第45話 7月18日正午に

 太路は、こんなに緊張する昼休みは初めてだった。

 ニコちゃんと二人、中庭でスマホを手にする。


「み……見ようか」

「はい……」


 すでに12時半を過ぎている。

 ネクストジェネレーション・サードエディションオーディションの結果は正午に発表されているはず。


 中庭に来るとすぐに立ち上げていた配信アプリではなく、ブラウザからオーディション特設サイトへと進む。


「ニコちゃん、先に見て」

「嫌です、一緒に見ましょう」

「一緒に……よし、見るよ。せーの、でここ押すよ」

「はい」

「せーの!」


 オーディション参加へのお礼など形式的な文言が並ぶ。

 その下にいよいよ、合格者のエントリーナンバーとニックネームが出てくる。


 慎重にゆっくりとスクロールして、ひとつひとつの番号と名前を確認する。

 太路は慎重に、何度も上に下に画面をスクロールさせた。


「……ありませんね……」


 ニコちゃんの声が聞こえるのに、理解できない。

 どうしてニコちゃんの名前がないんだ。番号がないんだ。ミスか。スタッフのミスだ。


「問い合わせよう」

「やめてください!」


 太路がガックリと肩を落とす。


「僕のせいだ……僕が徳永くんは歌が上手いと知っていれば、1次に合格した時点で先生を頼んでいたのに。練習期間が短すぎた。ちゃんと徳永くんの話を聞いていれば、結果は違ったかもしれないのに」


 悔しくてたまらない。

 申し訳なくて、太路は顔を上げることができなかった。


「本気で、私が合格できると思ってくれてたんですね」


 何を言われたのか理解できずに、太路はニコちゃんの顔を見た。

 不合格の悲しさも悔しさもニコちゃんからは感じない。


「もちろんだ」

「へへっ」


 ニコちゃんが笑う。

 太路にはわけが分からない。


「私、もし4回目のオーディションがあったら参加したいと思います。その時は、またプロデューサーとして手伝ってもらえますか?」

「僕でいいなら喜んで……でも、僕は今回結果を出せなかった。僕ではニコちゃんの魅力を伝えきれない。他の人に頼んだ方がいいんじゃ」

「わ……私に魅力なんて……1次に合格できたのは、一ノ瀬くんのおかげです。絶対です。だから、一ノ瀬くんがいいです」


 オーディションを受けたのはニコちゃんだ。

 1次に合格したのもニコちゃんだ。


「こんな不甲斐ない僕でいいの?」

「一ノ瀬くんだから、がんばれます」


 前髪の下の幅の狭い二重の目が太路を見つめる。


 ニコちゃんはプロデューサーとしての自分を認めてくれた。

 太路の胸は感動でいっぱいになった。


 ニコちゃんのために、できることなら何でもしたい。

 できないことなら、できるようになりたい。


「最後の配信、音楽室のピアノでやったらどうだろう。キーボードよりグランドピアノの方が音が良い。視聴者の印象に少しでも残っていたら、次回オーディションで気付いてくれるファンがいるかもしれない」

「はい!」

「夜より、この発表直後のタイミングの方がまだ配信アプリにも人がいるだろう。急いで食べて昼休み中に配信しよう」

「はい!」


 お弁当を食べ終えた太路とニコちゃんは校舎に入ると階段を駆け上がった。


 穏やかな笑顔でニコちゃんが丁寧にピアノを開く。

 赤い布を几帳面にたたんで、鍵盤に指を乗せた。


「いくよ……スタート!」


 太路は制服が映らないように気を付けながら、ニコちゃんのスマホを構えて撮影スタッフになる。


「こんにちは。エントリーナンバー25番、ニコです」


 最後の配信だけあって、視聴中の数字がこれまでにない勢いで増えていく。

 ニコちゃんを応援してくれる人が、こんなにたくさんいる。

 ニコちゃんの配信がなくなってしまうことを、悲しむ人がこんなにいる。


 ニコちゃんが話すひと言ひと言にコメントが流れてくる。

 今、リアルタイムでニコちゃんの言葉に耳を傾ける人がこんなにいる。


「聞いてください。大好きなセイちゃんのソロ曲、マーメイドメロン」


 ニコちゃんがピアノを弾き始めて、太路はハッとした。


 学校以外では、ニコちゃんはずっとキーボードで練習していた。

 グランドピアノの鍵盤はキーボードよりも重い。ニコちゃんの小学生のような細い指では負担が大きい。


 しまった、キーボードの方がミスなく弾けたかもしれない。


 ドキドキしながら食い入るようにスマホ画面を見る。

 高音へ大きく飛んで、左手も難しいミスしがちな箇所をクリアした。よし! と声が出そうになって必死にこらえる。


 ニコちゃんは見事に最後まで弾き切った。


「このオーディションに参加して良かったって心から思っています。素敵な出会いに感謝しています。本当に、ありがとうございました!」


 ニコちゃんが深々と頭を下げた。

 太路は一瞬顔が映ったのではないかと肝を冷やす。


 ピッと配信終了の音が響くと、ニコちゃんは晴れやかな笑顔を上げた。

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