第39話 下積み時代

 5分ほどの短いダンスの動きは覚えた。

 どれだけ体力がないのか、ハアハアと肩で息をするニコちゃんの背中を結がニコニコと叩く。


「動けるようになったじゃん。見和さん、自主練超がんばってんだね」

「……ありがとう……ございます……」

「あとは見せ方だよね。自分をいかにカッコ良くダイナミックに見せるか」

「見せ方……」


 なるほど、見せ方か。難しいな。

 そもそも上位50位は顔出ししている子が多くて、していない子への配慮がなってない。

 胸から下しか映さずに人を魅了するダンスなんてプロでも難しいんじゃないのか。


「見和ー」

「はい!」


 次はピアノのレッスンである。

 最近は放課後、音楽室でダンスとピアノのレッスンを受ける日々が続いている。


 1次合格の要となったピアノだが、オーディション結果にはもはや関係ない。

 だが、最後の配信でこれまで応援してくれたファンへ感謝を込めて、完璧な演奏をしたい、とニコちゃんの熱意は変わらない。


 ファンを思う気持ちだけなら、すでにニコちゃんは静に負けてない、と太路は思う。


 だが、歌とダンスは完敗だ。足元にも及ばない。

 特に歌なんて、力強い生命力あふれる静とは正反対と言っていい。


「2次は拾い上げがあるとは言え、これは厳しいな……」

「投げ銭が全然ありませんね……」


 レッスンを終え、帰宅途中ながらスマホを見て二人は大きなため息が出てしまう。


 2次オーディションの合否を決めるのは、ズバリ稼ぐ力である。

 この配信アプリには投げ銭と呼ばれる、視聴者と配信者がアプリ内通貨で金銭授受を行えるシステムがある。


 視聴者の立場になってみよう。

 まず、アプリ内で100円課金して1000ポイントをゲットする。

 そして、配信している中から気になるものを探し、気に入ったり応援したいと思ったら100ポイントから投げ銭できる。


 課金しない主義の人もいる。

 そういう人には、配信内容を見て、これは投げ銭せずにはいられないと思わせ、わざわざ課金という手間をかけさせねばならない。

 かなり高いハードルだ。


「オーディション配信ですでに稼いでいるだろうに、更に稼げる子を合格させるなんて合理的だね」


 ガナッシュのいるカントリーと違って、金にがめつい事務所だ。静もヒマさんのスキャンダル以来、ずっと働き詰めで全然帰って来ないし。


「セイちゃんはやっぱりすごいです。こんなに難しいことを、デビュー当時から簡単にこなしてしまうんですから」


 セイはテレビで放送されていたオーディション当時から歌もダンスも課題を軽々こなしていて、話題になった。


「それは違う。静が歌とダンスを始めたのは3歳の時だ。その時は今のニコちゃんと一緒だよ。うまくできなくて、1日中でもテレビの前で録画を戻してはくり返し練習していた。静には長い長い下積みがあったんだ」


 食べるものもなく困り切った静は、毎日ただテレビを見ていたらしい。

 そして、アイドルという職業に出会う。歌って踊ることで生きている人がいる、と知った。


 そこで静はアイドルのマネを始めた。

 歌とダンスを覚えて、近所の家を回って強制的に見せつけ、お菓子や食べ物、ジュースなんかをもらった。


 静が回った家々のひとつに、一ノ瀬家もあった。


 太路には衝撃だった。

 自分よりも小さな女の子が、生きるために歌って踊っていたのだ。


「そうだったんですか……その話、何に載ってたんですか? セイちゃんのことで私が知らない情報がまだあったなんて」

「え? えーと、何だったかなあ……なんか、小さなネットニュースだったと思うよ」


 小さなネットニュースって何なんだ、それを言うなら雑誌の小さな記事だ。

 心の中でセルフでツッコミながら、太路は背中を冷や汗が流れるのを感じた。


「ありがとうございます。ネットなら探せば見つかりますね!」

「いや……小さいから、どうかなあ」


 名前の通りニコニコと笑うニコちゃんの笑顔を太路は正視できなかった。小心者の男である。


 ニコちゃんと別れた太路は早速ながらスマホで一応記事を探してみる。

 うん、出身地すら県名しか出てこない。そんな限定されそうな話がネット上に転がっているほど危機管理の甘い事務所ではなかった。


「あ」


 思わず声が出た。

 検索ホーム画面に戻ったらちょうどネクジェネのニュースが一番上にある。


 へえ、初の野外ライブ決定か。


 プロ意識の高い静は、太路にも事前にイベントの情報漏洩はしない。


 着信でスマホが震える。七瀬静、と表示されている。


「野外ライブやるの! めっちゃ広いんだよ! 山の上でねえ、7月でも涼しいだろうって……太路ちゃん? 聞いてる?」

「聞いてる。相づちすら挟む隙がなかっただけだよ」


 おっとりしたニコちゃんと話すペースの違いに思わず笑ってしまう。


「静、元気そうで良かった」

「太路ちゃん……うん! 元気元気!」


 もうどれだけ静の顔を見ていないだろう、と太路はふと思った。

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