第38話 ダンスのせんせい

 風呂から上がった太路は、すでに眠かった。


 疲れた……学校に行く方が何倍も楽だ。やっぱり、オーディションはしんどい。

 待機室はオーディション参加者の保護者が集まっていた。お前らみんなライバルだ! 合格はうちの子だ! という気を太路は感じた。


 ホテルを出た静が「全力を出し切った!」と笑ったのが唯一の癒しだ。


 そう、唯一。

 ニコちゃんの配信を見始めた太路は、大きなため息をついた。


 声が小さくて何を言っているのか聞き取りにくいニコちゃんは、それもかわいいと1次ではコメントがあったが歌となるとひどい。聞いていられない。


 加えてダンス。

 簡単なステップとリズムなのに、どうしてそんなに体がカクカクとしか動かないのか、逆に器用なんじゃないかと思えてくる。


 しかも、頭は悪くないはずなのにダンスの振り付けがまるで覚えられない。


 1次のラストの盛り上がりが嘘のようにニコちゃんのファンは大量に離れ、視聴者数が上がらない。


 ニコちゃんは隙あらば練習に明け暮れているが、むしろそれでも上達しないことに焦り始めていた。


「一ノ瀬くん、どうしましょう、どうしたらいいんでしょう」

「僕には歌とダンスは手を貸せない。とにかく練習するしかないよ」


 やるしかない。

 ニコちゃんがポンポンポンポンとリズムを打つ音源を鳴らし、ボックスステップを踏む。が、もう足の動きが間違っている。


「ニコちゃん、斜め前に足を出すんだよ。こう」


 太路の動きを見ながら、ニコちゃん初ボックス成功。

 悲壮感あふれる中庭に、やっと明るい風が吹いた。


「できた! できたよ、ニコちゃん!」

「はい! ありがとうございます! 一ノ瀬くんのおかげです!」


 そうか、人の動きを見ながらマネすることはできるんだ。

 だったら、ダンスが上手い人のマネをして覚えればいい。


 ダンス……ダンスが上手い人……。


「行くよ! ニコちゃん!」

「どこに?!」

「食堂!」


 食堂は体育館の前。

 入ってすぐの自動販売機で太路は白ブドウジュースを買った。


 そして、テーブルで楽しそうにお昼を過ごすリア充共を見回し、一層輝きがまぶしい集団を見つけた。徳永くん率いる一軍たちである。


 隣のクラスの環境美化委員の女生徒の目の前に白ブドウジュースをバンッと置く。


「くれんの? サンキュー」


 どうして僕が意味もなくジュースを差し入れたと思えるんだ。

 女生徒は嬉しそうにキャップを開け、一気に3割ほど飲み切った。


「うまい! やっぱコレだわー」

「飲んだね。飲んだからには、君の体を貸してもらう」

「げ。ヒーローが言っちゃいけないセリフ言ってる」


 楽し気なキラキラムードからザワッと空気が変わったが、太路は気付いていなかった。


「ヒーロー、それはダメですって!」

「しかも彼女の前で」

「ケンカでもしたの? ヒーローとヒロイン」


 希望が見えた太路に外野の声など聞こえない。

 白ブドウジュースを好む女生徒の手首をつかみ、目を見つめた。


「僕と一緒に来てくれ。頼む」


 頼んでおいて返事は聞かずに女生徒の腕をつかんで中庭に引っ張って行く。


 太路はオーディション運営からニコちゃんに送られてきたお手本のダンス動画を女生徒に突きつけた。


「これをこのニコちゃんが覚えるまで君に見本として踊ってほしいんだ」


 ニコちゃんは映像を見て覚えるということができない。

 ピアノの時もそうだった。目の前で生身の人間に教えてもらわねば頭に入らないのだ。


「お願いだ。君のそのダンス力でニコちゃんのピンチを救ってくれ」

「……ヒーローが超強引とか意外すぎ……ギャップずるぅい……」


 本気の思いの重さは方向性が違えども伝わるものである。

 女生徒が太路の手を両手で包み込んで、上目遣いにウットリと見つめた。


「やってくれるんだね?! やってくれるよね?!」

「何でもします」

「ありがとう!」

「いた! ゆい、まだ何もされてねえか?!」


 徳永くんが血相を変えて結と呼ばれた女生徒に駆け寄る。


「あ、修栄。これからするところ」

「やめろ! ヒーロー、こんなことはやめてくれ! 俺はヒーローに本気で憧れてるんだ。俺にできることなら俺何でもするから!」

「徳永くんも手伝ってくれるの? ありがとう! さあ、ニコちゃん。さっそく練習だ!」

「はい!」


 結と徳永くんはあっという間に短いダンスを覚えてしまった。

 結はダンスが上手く、徳永くんはコミュニケーション能力がずば抜けて高いせいか教えるのが上手い。


 これは素晴らしいコンビネーション!

 花壇に腰かけ三人を眺めながら、太路はガッツポーズを決めた。

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