第36話 舌戦

「ついにヒマの彼氏特定されたな。32歳の名脇役と業界で評判の俳優」

「え? 48歳のネットサービス関連会社社長だろ」

「56歳の事務所専務だって俺は見たよ」


 全員ハズレ。

 適当に書かれた情報を鵜呑みにするものじゃない。


 ヒマさんの彼氏はヒマさんが長年片思いしていた小学校からの同級生だ。


 それだけにメンバー誰も交際に反対できなかった、と太路は静から聞いている。

 静に至ってはずっと好きだった人と結ばれて何が悪いと憤っていた。


「ヒーローは誰推しっすか? ネクジェネで」

「静」

「お! 即答ー。かなりのセイファンと見た!」


 太路の席へと徳永くんがやってくるせいで、太路までカーストトップのキラキラ一軍集団に囲まれている。

 太路にとっては迷惑千万だが、真なるヘタレだと自覚する太路にあっち行け、などと言えるはずもない。


 あと1時間の我慢だ。

 ヒーローのお昼休みはヒロインと中庭で過ごすと周知されている。


「行ってらっしゃい! ごゆっくり!」


 大きな声で徳永くんが廊下まで見送ってくれる。

 太路がペコペコと頭を下げるニコちゃんと共に廊下に出ると、隣のクラスの廊下で白ブドウジュースを好む徳永くんの友人が大声で歌いながら激しいダンスを踊っている。


「チックチョップで流行ってるヤツじゃん。すげーレベル高けー」


 このダンスには感染力でもあるのか。

 徳永くんも踊りだし、教室から出てきたキラキラ軍団もがリズムに乗る。


 そうだ、2次オーディションの課題をニコちゃんに確認しないと。

 胸の前で右手で左手を包み込みながらひざを曲げて上下にズレたリズムを刻むニコちゃんを見て、太路は思い出した。


「ばっち撮れたー。うちらもあげよー」

「撮ってたんか。言えよなー」


 ワイワイと窓際にいた女生徒に徳永くんたちが集まり、廊下が空いた。


 やっと一軍の群れから開放され、ニコちゃんと校舎を出た太路は自分が手入れした気持ちのいい空間で深呼吸をした。


「セイちゃん、もう1週間もブログ放置です」

「ニコちゃん、思い出して。静はもともとマメにブログ書いてないじゃないか。ヒマさんが書かなくなったから更新が滞っているんだと思うよ」


 ネクジェネとしてのブログだが、8割はリーダーであるヒマワリがメンバーの画像や出演情報などを更新していた。

 熱愛報道以来、ヒマワリの登場はなくミオとユイナが交替に書いているようだ。


「セイちゃん、ヒマちゃんのことすっごく好きだと思うんです。仲の良いメンバーを聞かれたら毎回ヒマって答えてるし、動画のアンケート企画で無人島にひとつだけ持って行くならヒマって言ってたし」

「あれは笑ったな。エマのドラえもんに続いてだったから余計に」

「私も爆笑しました」


 ニコちゃんがスマホから顔を上げて不安げに太路を見つめる。

 初夏のよく晴れた昼時。太路はここは暑いな、と思っていたが、ニコちゃんの真剣な顔に気付き、話題を変えよう、と思った。


 ニコちゃんはやはり静をよく理解している。

 素直に好きだなんて言わない静だが、ヒマワリが大好きだし尊敬しているし憧れているのだろうと太路も思う。


 ヒマワリへの誹謗中傷が激化していっているこの状況は、静にとっても辛い。

 この話はニコちゃんをも暗くしてしまうだろう。


「それより、歌とダンスの課題はどんなものだったの?」

「歌は自由に選んでいいので、マーメイドメロンにしようと思ってます」


 それはいい。

 ピアノで弾くために何度も繰り返し聴いているから音程もしっかり頭に入っているだろう。


「歌ってみて」

「えっ」


 顔を赤くしたニコちゃんがキョロキョロと周りを見回した。


「大丈夫、ここには誰も来ないよ」

「でも、一ノ瀬くんがいます」


 上目遣いにおずおずとニコちゃんは抵抗を試みる。

 太路はズキュンと胸に刺激を感じた。


「僕は、どっちみち配信を見るんだからいいじゃないか」

「いえ、でも、目の前に人がいるのに歌うなんて恥ずかしいです」


 向かい合わせに座っていたが、耐えられなくなったニコちゃんが太路の隣へと移動する。


「恥ずかしがることはないよ。配信を見る何百人の前で歌う方が恥ずかしくない?」

「でも、その人たちは私が見和いろはだとは知らないし、顔も分からないですから」


 そうだった。ニコはオーディション用の名前であって、彼女は見和いろはだった。

 そして、見和いろはがオーディションを受けていると知っているのは、僕だけだ。


「アイドルになった時のためにも、人前で歌うことに慣れた方がいいよ」

「無理です、一ノ瀬くんの前で歌うのが一番恥ずかしいんです」


 太路とニコちゃんはそろって真っ赤な顔で並んで座りながら、互いに前だけを見てチャイムが鳴るまで攻防一体のせめぎ合いを続けた。

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