第30話 徳永修栄という男

 音楽室にたどたどしいピアノの旋律が響く。

 ニコちゃんのスマホで懸命に鍵盤を叩くニコちゃんの手元の撮影を続けていると、太路は手が痛くなってきた。


 珠莉には家で練習するために撮る、と言っているが、もちろんオーディション合格を目指して練習風景を配信するためである。

 珠莉のキンシコウのような姿が映り込んではいけない。太路は全神経を集中してスマホ画面を確認していた。


「一通りは覚えたな。やるじゃん、見和」

「ありがとうございます! 影山さんのおかげです!」

「お前のためじゃねえよ、バーカ」

「じゃあ、誰のためなんだい?」


 停止ボタンを押した太路が顔を上げ、珠莉と目が合った。


「べっ、別に誰のためでもねーよ! 私はただ、ピアノが好きだからピアノを弾く人が増えるのが嬉しいだけ!」


 分かる。

 僕もガナッシュが大好きだからひとりでも多くの人にガナッシュを知ってもらいたい。


 うなずきながら太路が珠莉の肩に手をポンと置いた。


「きゃっ。ちげーよ! 私は別にヒーローと一緒にいたくてレッスン引き受けたんじゃねーから!」

「誰もそんなことは言ってないんだが」

「あ! 良かったー、まだいた!」


 サッカー部のユニフォーム姿の徳永くんが音楽室へと駆け込んで来る。


「ちょうど終わって、帰るところだよ。徳永くん、もう部活に復帰したの?」

「はい! 足は完治してるって言われたんで!」

「全治2か月も全然かからなかったね」

「医者もビックリしてました! 犬みたいな治りの早さだって」

「犬は治りが早いんだ?」

「たぶんジョークっす」


 徳永くんの周りの人間は陽キャしかいないんだろうか。

 僕なんかとは住む世界が違うキラキラ星人だ。


「修栄が音楽室なんて意外ー」

「やっぱヒーローか」


 徳永くんと同じユニフォームの男子二人とジャージの女子二人が音楽室の入り口から笑っている。


「どけよ。邪魔」


 出入口をふさいでいた男女が焦った様子で左右に割れ、珠莉が音楽室を出て行くと4人が音楽室に入ってきた。


「うーわ、こっわ。修栄、影山さんとなんか関わらない方がいいって」

「ギャルなのかヤンキーなのか知らないけど、いっつもボッチでクール気取っててさあ」

「協調性ってものがないんだよね。学校は集団行動を学ぶ場だってのに」

「勉強だけしてればいいと思ってるんだよ。友達との関係を築くのも大事なのに」


 まるで自分のことを言われているようで、太路はムッとした。

 だが、もちろんカーストトップ集団に意見などしない。帰ろう、とカバンを肩に掛けた。


「影山ってピアノ上手なんだよ。教えるのも丁寧だし、見た目は怖いけどいい子だよ」

「いい子がどけとか邪魔とか言わないって」

「事実じゃん。お前らが邪魔してたでしょ。影山はいい子だよ。ねえ、ヒーロー」


 笑顔のまぶしい徳永くんが太路を振り返った。

 コッソリこの場から抜け出そうとしていた太路は気まずかったが、虚栄心が勝った。


「彼女はたしかに口が悪いところはあるけど、クラスメイトのために重いキーボードをひとりで持って来たり、放課後はおなかがすくからって毎日手作りのお菓子を作って来たり、お菓子食べたらのどが渇くからって冷たい紅茶を大きな水筒に入れて来たり、とても力持ちだよ」


 焦っていたので着地点がおかしいが、太路はそんな支離滅裂を感じさせないほどに堂々と胸を張った。


「そうです、影山さんは毎日長時間レッスンしてくれて、本当にいい子です」


 ニコちゃんが勇気を振り絞って聞き取りにくい小さな声で訴えると、徳永くんのお仲間4人が飛びのいて驚いた。


「ビックリしたー! ずっといた?!」


 ニコちゃんはアイドルよりも忍になるべきだ。

 すごく小さいから隠れるのに適しているし、隠れなくても見つからない。


 いいな、これは名曲になりそうだ。くノ一ロック。

 ガナッシュが忍者の格好をして演奏したらさぞ似合うだろう。


 太路の頭の中で激しいロックが席巻し、忍者となったガナッシュ5人が山を飛び谷を越える。


「めっちゃ話し込んじゃったな。いいかげん帰らないと。ヒーロー、また明日!」


 気付いたら太路の隣で徳永くんが笑って手を振っていた。

 ニコちゃんもまた明日、と言ったがトラックの音にかき消され太路にも徳永くんにも聞こえなかった。


「あれ? お友達は?」


 今さらっすか、と徳永くんが爽やかに大きな口を開けて笑う。


「ヒーロー、あいつらのノリ苦手なんでしょ。別で帰ってもらいました」

「え、そんなことをしたら徳永くんの好感度が下がってしまうんじゃ」

「気にしないっす。ヒーローが黙って耐えてくれてるの俺知ってるから。俺はあいつらよりヒーローと帰りたかったんで」


 じゃあ、と背中を向けサッカーボールを蹴りながら徳永くんが去って行く。

 ポンポンとボールの音が遠ざかる中、太路は思った。


 徳永くん、カッコいい――……。



 翌朝、太路が登校すると、昨日の4人の内のひとりの男子が肩を叩いた。


「おはよ! ヒーロー! 昨日は徳永の相手してくれてありがとうね!」


 ニコニコと輝く笑顔。

 この僕が徳永くんの好感度の心配なんて、おこがましいにも程がある。


 太路は苦笑しながらおはよう、と応えた。

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