第27話 150人足りない

 キンシコウのような髪色で顔も似ている影山珠莉が持って来たのは、フル鍵盤の立派なキーボードだった。


「も……持てません」

「でしょうね。僕がニコちゃんの家に持って行くよ」

「私も行く!」

「俺も行く!」


 右足をギプスに包まれて松葉杖の徳永くんも笑顔で手を上げている。


「どうしたの、その足」

「犬の散歩をしてる親子がいたんだけど、親が目を離した隙に子供が犬に引っ張られてトラックの前に飛び出したんだよ」


 それを助けて徳永くんがケガを負った、と。

 やはり、僕なんかじゃなく君こそ真なるヒーローだ。


「修栄、おっつー。ヒーロー、昨日はありがとうね。中庭、超綺麗じゃん。さすがヒーロー」


 隣のクラスの環境美化委員の女子生徒が廊下から声をかけてくる。


「ヒーロー、環境美化委員になったんすか! すごいな、みんなが嫌がる役目を率先してやるなんて、さすがはヒーローだ!」

「いや、そんなことより犬と少年を救った徳永くんの方がよほど」

「しかもさ、ひとりであの中庭の緑を改善したんだよ。ヒーローひとりで」

「すっげえ! 俺マジでヒーローを尊敬してます!」


 僕ひとりに押し付けられたから開き直ってやっていたら楽しくなってしまっただけなんだが。


 言ったところでどうせ事実をねじ曲げて解釈されるだけか、と太路は口をつぐんだ。


「無言で見せる男の背中。かっけえ! マジかっけえよ、ヒーロー!」


 黙っていてもダメなのか。僕にどうしろと。


「ところでヒーロー、キンシコウって何か気になって調べたんだけど、どういう意味で私のことキンシコウつったんだよ」


 珠莉が太路をにらみつける。

 太路は珠莉がキンシコウに似ていると思って言ったが、女子が似てると言われて喜ぶ顔ではないだろうことも分かっている。


 これはまずいな、とさすがの太路も冷や汗を感じる。


「キンシコウ超かわいいっすよね。俺好きっすよ」

「目が腐ってるんじゃないのか、徳永くん」

「かわいいじゃないっすか。俺スクバに付けてんすよ」


 足の不自由な徳永くんに代わり、珠莉が徳永くんのスクールバックを取って来る。


「え、これ?」


 珠莉が嬉しそうに長い金髪のかわいらしい女の子が赤い棒を持っているキーホルダーを手にした。


 何だこのキャラは。

 太路はまったく見覚えがなかった。


「なあんだ、なるほどねー。さ、さっさとキーボードを見和ん家に持って行ってレッスンしよ! 徳永、大変だろうから私がバッグ持ってあげる!」


 よいしょ、と珠莉が徳永くんのバッグを肩にかけ、キンシコウをなでた。


 太路がキーボード本体を持ち、ニコちゃんがスタンドを持ち上げる。


 ニコちゃんの家は歩いて20分ほどのマンションだった。

 ニコちゃんの部屋は綺麗に整理整頓されていて、神経質な太路にも気持ちがいい。


 ほえー、と珠莉が感嘆の息をもらす。


「すげー綺麗にしてんじゃん。うち、急に誰か来るっつっても断るレベルに荒れてんだけど」

「見た目通りだから誰も驚かないよ」

「どういう意味だよ、ヒーロー」


 説明書も何もないが、なんとかスタンドを立ててキーボードを乗せる。

 ニコちゃんはとても背が低いから、立ったままでちょうどいい高さだった。


「椅子いらねえじゃん。ちっせ、身長何センチだよ」

「143センチです」


 これは、オーディションに合格したらアイドル史を塗り替える可能性あるんじゃないだろうか。

 舞台映えしないから小さくて不利だと思っていたが、突出しているというのは武器にもなり得る。


 まずは指使いから、と珠莉のピアノレッスンが始まった。

 その間、太路はこのオーディションをクリアするためにはどうすべきか今一度整理しておこう、とニコちゃんの学習机の椅子に腰かける。


 ニコちゃんは静が受けたオーディションだから受けているだけでよくシステムを理解していない。だが、太路は静からオーディションについて詳しく愚痴を聞いている。


 3か月に渡って行われるネクストジェネレーション・サードエディションオーディションは、1次と2次に分かれている。

 まず越えねばならないのが1次オーディションだ。


 1次の合否を決めるのは、ファンの数。

 オーディションが開催されているネット配信サービスには、ファンボタンがある。

 配信者を気に入ったユーザーがファンボタンを押しファンになると、配信開始のお知らせがファンの元に届くようになったりと使えるサービスが増えるのだ。


 現在ニコちゃんのファンは3名。うち1人は太路だから、実質2人。

 少なすぎるが、この2人のうち1人はたぶん熱心なファンで、毎日お弁当配信を見ているのはこの1人だと思われる。


 ファン登録だけして全然見ない薄っすいファン100人よりも、本気で応援してくれる1人の方が大事だと太路は思う。

 決して、自分自身が気持ち悪いくらいガナッシュの濃すぎるファンだから自己弁護のために言うのではない。


 1/2で濃いファンをつかんだというのは、希望だ。ニコちゃんには、太路には分からない魅力がもしかしたらあるのかもしれない。


 1次合格のボーダーラインは上位50位内。

 現在の50位のファンは153人。150人足りない。


 太路は頭を抱えて、ベッドに大の字になって寝ている徳永くんに気付いた。

 骨折していて荷物も運べないのに、彼は一体何しに来たんだ。

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