第26話 キンシコウの調べ
すっかり日が陰ってきた頃、太路は中庭を見回して満足感に浸っていた。
枝切バサミを借りてきて、どうせひとりでやるなら、とまるで自宅の庭のように低木を丸く切りそろえ、太路的に多すぎるように見えた枝を切り落としていった。
いい出来栄えじゃないか。あんなにバラバラに草木がただ生えていた中庭に統一感が生まれた。やっぱり僕は創り出す方向に進むべきだ。今なら名曲を量産できる気しかしない。
「びっくりした! これ、一ノ瀬くんがひとりでやったんですか?」
廊下ですっかり眠り込んでいたニコちゃんが中庭に出てきて周りを見回す。
「僕なら君を合格させられる! ニコちゃん、けん玉をやろう!」
「けん玉? 持ってませんけど……」
あ、そう言えば僕も持ってない。
沈黙が訪れ、ふと小さい音量ながらピアノの調べに気付いた。
「一ノ瀬くん、これ……」
「ネクジェネの新曲だ」
太路とニコちゃんは同時に校舎へと入って行った。
新曲が配信されてまだ間もない。楽譜サイトでもまだ売られていないはずなのに、どうして弾けているんだろう。
素朴な疑問を胸に音楽室をのぞくと、太路をヘタレだと見抜いた目利きのギャルがピアノを奏でている。
まるでキンシコウのような顔からは想像もつかない優雅な音色に太路は驚いた。
最後まで弾き切ると、ギャルは微笑んで鍵盤をなで、ピアノのフタを閉めて立ち上がった。
「うわ! びっくりした!」
「おうっ」
「きゃっ」
ギャルの声量に太路とニコちゃんは怯えた。
「こんな時間まで何してんだよ」
「君のせいで僕たちは環境美化委員の仕事があったんだよ」
「あ、やべ」
やはりニコちゃんは環境美化委員をやりたいなどとは言っていなかったのだろう。ギャルが気まずそうにニコちゃんを見る。
「君、どうして今の曲が弾けるの?」
「昼休みにかかってたから」
「かかってたから?」
やはり楽譜らしき物は見当たらない。
ああ、とギャルは得意げに笑った。
「私、耳コピが得意なの。一度聴いたら何でも弾ける」
「それだ!」
太路はひらめいた。
嬉しくて嬉しくて、思わずギャルに駆け寄りついさっきまでピアノを弾いていた手を握る。
「なっ……何だよ」
「君の手を貸してほしい。ニコちゃんにピアノ指導をお願いしたい」
「ニコちゃんって?」
「この存在感の薄い彼女だよ」
「見和じゃん」
あ、存在に気付いていないんじゃなかったのか。
「訳あって僕はニコちゃんと呼んでいる」
「ふうん。彼女に独自の呼び名付けたいタイプか」
「まったくもって違う」
ギャルが先ほどは鍵盤をなでていたのに、乱暴にフタの上に手をついてピアノにもたれかかった。
「指導ったって、私本当の基本しか習ってないよ。あとは全部自己流」
「構わない。必要十分。あと、君の耳の力も借りたい」
「耳の力?」
太路はスマホを取り出し、ネクジェネのアルバム曲から1曲を再生する。
「セイちゃんのソロ曲、マーメイドメロンですね」
「この曲が楽譜に起こされているのを僕は見たことがない。弾ける?」
「やったろーじゃん」
ギャルはニヤリと笑うと再びピアノに向かった。
うん、多分に勝手なアレンジを入れられているがちゃんとマーメイドメロンだと分かる。
「ニコちゃん、ピアノに挑戦しよう。ピアノならば静もできないから静のイメージに引っ張られることもない、顔出ししなくても手元を映すだけでいい、音の心配もいらない、上達が分かりやすい、ゴールはマーメイドメロンを弾き切ること」
太路の頭には戦略があった。
これなら、静のファンを取り込めるかもしれない。
1発目の配信でニコちゃんは静のファンだと宣言していた。
静のファンが静のソロ曲を練習する配信。しかも、譜面に起こされていない曲。静のファンなら気になるはずだ。自分も弾いてみたい、という動機から配信の視聴者が増える可能性がある!
「お願いだ、キンシコウ。ぜひ、ニコちゃんにピアノの指導を頼む!」
ニコちゃんのオーディション合格に僕はガナッシュのデビューを賭けている。是が非でも合格してほしいんだ!
太路は真剣な顔でギャルの両肩を力強くつかんだ。
「指導って……お前も来るのかよ」
「もちろんだ。僕は他人任せになどしない。毎日でも君の指導に付き合うつもりだ」
ギャルはため息をついて、ピアノのフタを閉めた。
「私は楽譜が読めないから弾いて教えることしかできない。見和、覚えられんのか」
「がんばります!」
ギャルは太路にキンシコウを思わせる長い金色の髪を人差し指にクルクルと絡ませ、上目遣いに太路を見上げる。
「お前の頼みだから聞くわけじゃねえかんな。勘違いすんなよ」
「ありがとう!」
「あと、キンシコウって何だよ。私の名前は
「オーケー、珠莉。明日から早速、レッスンをお願いしたい!」
ガタン、と大きな音を立てて珠莉が立ち上がった。
「使ってないキーボードがあるから、明日持って来る。お前のためじゃねえかんな!」
そう言い捨てて、珠莉は走って音楽室を出て行った。
分かってるよ、キンシコウ……いや、珠莉。
ニコちゃんのために、ありがとう。
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