第8話 不機嫌
「太路ちゃん! 退院おめでとうー!」
「うわっ」
リビングに入ってくるなり、静がパーンとクラッカーを鳴らすから太路も健太も驚いた。
「静! 帰って来て秒で部屋汚すなよ!」
「後で片付けるからいいでしょ! 退院のお祝い!」
「どうせ片付けないくせに」
「片付けるなら後でじゃなく今やれよ!」
「全く、そういうところ母さんそっくりなんだから」
太路と健太から同時にお説教を食らった静がムーッと膨れる。
「ずっと入院生活で静かにしてなきゃだったから派手に祝ってあげようと思っただけなのに」
「気持ちはありがとう。はい、片付けよう」
三人でササッと片付ける。すぐに終わることなのになぜ静は後回しにしようとするんだ。綺麗好きの太路には理解できない。
「良かったね、後遺症残らなくて」
「リハビリを始めた当初は多少の後遺症くらい残ってもいいからやめたいと思ったものだけど、がんばった甲斐があったよ」
「太路、痛い痛いってヒーヒー言ってたもんな」
「これだからヘタレは。情けない」
「あの痛みを経験してから言ってくれ」
仏壇に手を合わせた静が太路と健太が並んで座るソファにやって来る。
「今日は泊って行くの?」
「ううん、明日朝早いから帰る」
「全然ゆっくりできないじゃないか。片道2時間かかるのに」
「太路ちゃんの退院日だからちょっとだけでも来たかったの」
「俺がマンションまで送ってってやるよ。バイクで高速使えば電車より早い」
「やったあ! ありがとう! 健ちゃん!」
「健ちゃんがそう言うのを見越して来ただろ」
「うん!」
まるで悪びれもせずに静が笑う。健太も静に頼りにされて顔がほころぶ。
「一週間、お昼なんですよのコーディネート対決コーナーにネクストジェネレーションがひとりずつ殴り込みかけるの。私は木曜日に出るんだけど、ロケが明日なの」
「殴り込みって!」
「そういう設定なんだって」
「静は木曜日か。予約しとこ」
忘れないうちに、とリモコンを手に取る。この家のハードディスクはネクジェネばかりだが、毎日ガナッシュの出演番組がないか検索は欠かさない太路である。
「アリーバTVでロケの裏側も配信するらしいよ」
「静は裏側の方が撮れ高ありそうだな!」
「どういう意味よ、健ちゃん」
ムスッとした静が健太の足を蹴ってソファの端に追いやり、太路にももっと寄れとジェスチャーをする。太路がピッタリと健太にくっつくと、太路の太ももに頭を載せて空いたスペースに静が横たわる。
「今日はまた機嫌が悪いね。何かあったの?」
「私が活動休止してる間に、また妹分オーディションが決まってたの。今日からネットオーディションが始まったんだって」
本当に何かあったのか。
静は何もなくても普通に機嫌の悪い日があるので、太路はてっきりそっちかと思っていた。
「またかよ! ネクジェネ・セカンドステージのオーディションって去年だっただろ」
「そうなの。去年12人も妹分ができたのに、更に増えるなんてヤダー」
「セカステも結構人気出てきてる印象なのに新グループ?」
「だからよ。セカステが成功したから第三グループを作るんだって。ネクジェネ・サードエディションだって」
「サードエディションってどう略すんだろうね」
「そんな膨れなくても静のファンは女子ばっかだから被んねーだろ」
「そういう問題じゃないのー」
「どういう問題なの?」
太路はますます機嫌が悪くなっていく静の長い髪を優しくなでる。
「私のキャラなんてさー、グループ最年少のくせに態度デカいのがウケたんじゃん。なのに後輩が増えていったらただのイキってる先輩になっちゃうじゃない」
「ファンからクソガキと呼ばれるアイドルだもんな」
健太が爆笑して静に睨まれる。
「十代の間はアイドル続けるつもりだったのに、妹分なんて邪魔なだけ」
「二十歳になったら辞めるつもりだったの?」
静があと4年でアイドルを辞めるつもりだなんて、と太路は驚きの声を上げる。
「二十歳過ぎて奇抜な衣装着て歌って踊ってなんてやってらんないよ」
「二十歳過ぎたメンバーの方が多いのによく言えるね」
「人がやってる分にはいいの。でも私はイヤ。二十歳になったら女優に転向したい」
そうか……。
太路は思わずうつむいた。
静が決めるべきことだから口を挟む気はないけど、残念だな。
「僕は見たかったよ。十年二十年アイドルを続けた静がどこまで行くのか」
「太路。二十年経ったら静は36だぞ。アラフォーアイドルはさすがに」
「静ならやれると思うんだよね。40でも50でも」
「50で今くらい踊ってたらすげえな」
「女優やりながらアイドルを続けることもできるだろうし」
「お前マジだな」
笑っていた健太が唐突に引いた。もちろん、太路は
「静の人気はクソガキっぷりがウケただけじゃないよ。アイドルなのに歌もダンスもレベル高いって言われるネクジェネの中でも静のパフォーマンスは突き抜けてるもん。静の実力だよ」
イジイジと太路の腹をつねっていた静の手が止まる。
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