第2話 静
ふと聴き慣れた歌声に気付く。
高音も低音も安定していて歌詞が聞き取りやすい。しっとりしたバラードの中に息づくリズム感、抑揚の付け方、ブレスに至るまで聞かせるのが上手い。一朝一夕で身につくものではない。
一転してアップテンポに変わる。
いつもの歌声と違う。だいぶキーが高いんだ。
これは新曲だな。
静の新たな魅力がまた見つけられそうだ。
太路がゆっくりと目を開く。
太路の左手を両手で包みこんで頬に当て、目を閉じて歌う静がベッドの傍らに座っている。
「静」
太路が呼び掛けると、静の大きな目がパッと見開かれ、目が合った。
「太路ちゃん! 起きたの?!」
静は太路の手をベッドに叩きつけ、柵に絡まったナースコールを押した。
「一ノ瀬さん、どうされました?」
「起きました! 太路ちゃんが目を覚ましました!」
「すぐ行きます!」
連絡を終えた静がキッと太路をにらむ。
「ヘタレのくせに迷惑客に注意なんかするから! 太路ちゃん3カ月も寝てたのよ! ヘタレはヘタレらしく隅っこで小さくなってれば良かったのに!」
いきなりの大声に太路の顔が険しくゆがむ。
「怒鳴らないでくれ。僕だって好き好んで注意したんじゃない」
「本当だ! 一ノ瀬さんが起きてる!」
白衣のナースと医師が慌ただしく病室に入って来る。
「良かったー! これで病院辞めずに済む~」
「目覚めてくれて本当に良かった!」
医師たちが太路のまぶたをめくったり胸に聴診器を当てたりする中、太路は弁明を続ける。
「僕の記憶が確かならば、僕に注意しろと命じたヤンキーがいるんだ」
「ヤンキー? 報道では太路ちゃんと犯人しか映ってなかったよ」
「報道?」
「ほら、これ」
勇気ある男子高校生、迷惑客に注意 意識不明の重体
赤字のテロップが太路の目に飛び込んだ。
力なく横たわる学ラン姿の少年を乱れたスーツの男が蹴っている映像が流れている。
「これが僕か。ひどいな」
「顔が?」
「映ってないじゃないか!」
同級生のKくん(16)と表示され、学ランの胸元だけが映る。
「勇敢に注意する一ノ瀬に感動した! 一ノ瀬は俺のヒーローです!」
何を言っているんだ、加藤くん。
太路は静のスマホに収まる加藤くんを指差した。
「彼だよ。加藤くんが僕に注意して来いって言ったんだ」
ナースが太路の腕から点滴を外すと微笑んだ。
「ニュースで犯人の顔を見たけど、あんな怖い人に注意しようなんてすごい勇気ね。まさにヒーローだわ」
「え」
太路が静へと目を向ける。
「まさか、加藤くんは自分が命じたことは言わずに僕が注意したとだけ語っているのか」
「そうね。太路ちゃんらしくないと思ったらそういうことかって私も今知ったもの」
「冗談じゃない!」
冷静に見えながら太路は内心怒りに震えていた。
そんなごく一部を切り取ったのでは、このナースのようにヒーローだなどと誤解されるじゃないか!
僕は真なるヘタレである。ヒーローの対極に位置する人間だ。
「意識の混濁等もなさそうですね。明日以降順次検査を行い、問題ないようでしたらリハビリ専門の病院に転院していただきます」
「はい」
「リハビリには最低でも6カ月はかかると思っていてください」
「そんなに?!」
「まだ安静にしていてくださいよ。薬で痛みを感じていないだけですから」
「あ!」
たった今安静にしていろと言われたことも忘れて太路が体を起こしてキョロキョロと見回す。
「僕のスマホは?! 3カ月もガナッシュの活躍を見れなかっただなんて!」
「そんな慌てなくても安心して。安定の底辺アイドルやってるから」
静が太路のスマホを渡すと、一心不乱にブラウザを立ち上げる。
「そんなはずない! 3カ月もあればネクジェネとの共演だって――」
フル充電されている画面には、太路の記憶と変わらぬガナッシュのホームページがあった。活動予定は空白である。
「こんな弱小事務所のアイドルがうちと共演なんてあるワケないでしょ」
「くそぅ……活動期間は同じ5年なのに……」
悔しさを隠しきれずにつぶやくと、やっとアイドルよりも気にしなければならないことに気付く。
「そう言えば、3カ月も寝ていたなんて学校はどうなっているんだろう?」
「大丈夫よ。長期療養が必要になるって診断されて、
「健ちゃんが? 母さんは?」
途端に静の顔が悲しみにゆがむ。
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