そのさん
それから数日が経ったが、エアは一向にマスターから呼ばれなかった。
それでも契約を結んでいるのでマスターの様子はある程度わかるし、エアの方から出向こうと思えばで向ける。
なので、あんまりにも音沙汰がなくれ逆に不安に思ったエアがマスターの元に出向いてみたら、マスターはちょうど重たそうな荷物を背負って道無き道を進んでいるところだった。
「どうしたの?」
マスターは拾ったであろう頑丈そうな枝を片手に、足を引きずるように歩きながらやってきたエアの顔を見上げた。
「少し、様子見に……それはどうしたのですか?」
「ああ、これ? ちょっと町に買い物に。薬と果物と毛皮がいい値段で売れたから、つい買いすぎた」
家まで一時間以上かかるの忘れててさ、とマスターははにかむが、そっちじゃない。
「そちらではありません。足をどうしたのですか?」
「あー、これ? 転んでちょっと捻っただけ。さっき薬塗ったし、あんまりたいしたことないよ」
そう言いながらも足取りはふらついている、本当は痛いようで顔も少し強張っている。
「……何故、私を呼ばなかったのです?」
「え? なんで?」
心底不思議そうな顔で見上げられて、エアは面食らった。
「だ、だって……怪我をしているのでしょう……なら私が運べば……そもそも徒歩で一時間以上かかるような場所に行くのなら、何故最初から私を……」
エアは風の精霊だ、風を操り風に乗り、何よりも早くなによりも遠くに移動できる。
多くの人間達は風の精霊のその翅の速さを求めて自分達と契約を行う。
それなのにこの子供はそれを求めなかった。
今も不思議そうな顔でエアの顔を見上げている。
「私を見縊っているのですか……マスター一人を抱えて飛ぶこともできないと……この、私を?」
「いやだからなんで? 一時間ちょいの移動なら別にたいしたことないし
から……それにこの程度で誰かを頼るわけにいかないし」
マスターは本当にたいしたことがなさそうな顔で言っている。
「行きは、行きはいいです……でも帰りは? そんな大荷物抱えて足を怪我しても、まだ大したことがない、と?」
「うん」
マスターはあっけらかんと答えた、どうも本気で大したことがないと思っているようだった。
こんな子供が、なんで。
エアは人間の子供のことをよく知らなかった。
それでもマスターの年齢ならその反応が少しばかり異常なものであることはわかっていた。
「それで、様子見に来たって言ってたけど……まあ今日もこの通り普通に元気だし、変なことも起こってないから、異常なし、って事で」
「どこが元気だっていうんですか?」
「元気だよ? 足は本当に大したことないし、風邪とかもひいてないから」
ケラケラ笑いながらそう主張するマスターの身体をエアは無言でひょいっと抱え上げた。
「え」
そして上空へ飛ぶ、木々が邪魔にならない程度の高さまで飛んでから、遠くに見える小さな屋根を目視した。
「みゃっ!!?」
そちらに向かってそこそこの速度で飛ぶと、マスターはエアの腕の中で変な悲鳴を上げた。
マスターの家までほぼ一瞬で到着した。エアは家のドアの前にマスターをゆっくりと下ろした。
「このように、私の翅ならあの程度の距離一瞬で移動できます。ですので次は遠慮なく申し付ください。怪我をされて死なれては困ります……マスター?」
返事がないので蹲み込んで様子を見てみたら、マスターは白目を剥いて気絶していた。
「ま、マスター!!? お、お気を確かに、マスター!!?」
マスターは少しして目を覚ました。
何が起こったのかまるで理解できなかったらしく、いつのまにか家に着いているはエアが慌てふためているわで混乱していたが、少しして事情を飲み込めたらしかった。
そんなことがあった後も、マスターは一向にエアを呼ばなかった。
どこかに出かける時も相変わらず徒歩。
最初はエアの速さに恐れをなしているのだろうかと思っていたエアだったが、どうもそれだけではないような気がしていた。
マスターは、どうも他者の手を借りることを厭っているらしかった。
そもそもなんでマスターのような子供がこんな森の中の小屋で一人きりで過ごしているのか。
気になって話を聞いたところ、数ヶ月前に母親が亡くなってからずっと一人でこの小屋で過ごしている、と。
マスターの母親は年老いた猟師だったらしい、母親はまだ幼いマスターに生きる術をある程度叩き込んだ後、もう大丈夫だろうと息を引き取ったそうだ。
それからマスターは母親がしていた通りに、獣を狩り庭先で薬草や野菜を育て、足りないものがあれば獣の毛皮やら薬草から作った薬などを町に降りて売り捌き、その金で必要なものを買って生活しているらしい。
町の住民達からは不便だろうしこちらで過ごさないかと何度か提案されたことはあったらしいが、マスターは毎回それを断っているようだった。
何故断ったのかと訊ねてみたら「こっちの方が性に合ってる」とだけ返ってきた。
そんなやりとりがあった数日後、マスターは風邪をひいた。
マスターはこれもまた一人きりで解決しようとしていたが、良くなるどころか逆に拗らせ、死にかけた。
ちょうど女王としての業務が忙しい時だったのでエアも気付けずにいたのだが、ちょっとした休憩時にマスターの様子を伺ってみたら布団でぐったりしていたので慌ててそちらにすっ飛んだ。
死なれたら困る、何故こんなになるまで誰も頼らなかった、と説教しつつ精霊界から持ち出した霊薬を無理矢理飲ませていたら、マスターは熱で朦朧とした声で譫言のようにこんな話をした。
夢を、見るのだという。
生まれた頃から定期的に、同じ夢を繰り返すように。
夢に出てくるのは醜い女、歳は四十か五十は超えているはずなのに働きもせず自分の家に引きこもり、年老いた親を酷使させて彼らが汗水垂らしてやっとの思いで稼いだ金を使い込んで遊び呆けている。
やがて醜い女の両親は心労で亡くなった。それでも家から出ることのない女は、自分が殺したも同然の両親に役立たず共と怨嗟の言葉を吐きながら、死ぬのだという。
ああはなりたくないとマスターは言った。
だから誰も頼らない、一人きりで生きて一人きりで死ぬんだ、と。
霊薬のおかげですっかり調子をよくしたマスターはエアに深々と頭を下げて礼を言った。
エアは礼を言うくらいなら、次同じようなことがあったら絶対に自分を呼ぶようにきつく言い聞かせた。
「いいですか。どれだけ他者に頼るつもりがなかろうと、あなたは私の契約者。死なれると困るのです」
「……うぅん……わかった、気をつける」
とか言いつつも、マスターはどことなく不満げだったので、エアはいつかこの子供は似たようなことをやらかす、しかも何回も、と思った。
そしてその数日後、マスターはケツァルコアトルを召喚した。
風の精霊の中でも特に強力な上級精霊、人間からは神獣とも呼ばれ恐れられる存在を、エアを呼び出したものと同じような魔法陣であっさりと。
マスターは驚きつつも微妙な顔で契約するかどうかをケツァルコアトルに聞き、エアと似たような理由で契約を望んだケツァルコアトルと契約を行った。
その後も竜種を含む強力な精霊をマスターは連続で召喚したが、どういうわけか何度も召喚を続けている。
誰にも頼りたくないと言っている割には、何故他者に頼ることが前提となる召喚を続けているのか。
そして、あまりにも上級精霊が召喚され続けている為、一人の召喚者に戦力が集まりすぎるのは流石に危険だから真意を聞いてくれてと夫に頼まれたエアはマスターの元に訪れた。
「マスター、何故あなたは召喚を続けているのですか?」
開口一番、険しい顔でそう言ったエアに畑に水やりをしていたマスターはキョトンと首を傾げた。
「私もいます、ケツァルコアトルもその他にも強力な精霊達も。そんな我らと契約しておきながら、マスターはまだ足りないと? マスターの目的はなんなのですか。戦力ならもう十分でしょう。それとも、世界の破壊でもお望みなのですか?」
少しきつい言い方かもしれないが、万が一マスターが良からぬことを考えているのであればここでたださなければならない。
子供という生き物は道理がわからない分、ある意味貪欲で残酷な生き物である。
そしてマスターの周辺に人間の大人は誰一人としておらず、だからこそそんな子供の心を抱えたまま最悪の大人になってもらうわけにはいかなかった。
と、心を鬼にして毅然とした態度で問い詰めたエアにマスターはぽつりと呟いた。
「うさぎさん」
「はい?」
「うさぎさんにきてほしい。でもきてくれない」
「う、さぎ……?」
うさぎとはあれか、あの耳が長くて小さい生き物のことか。それとも自分が知らない何か超強力な精霊か何かなのかとエアが混乱していたら、マスターはしょぼしょぼとした顔で謎めいた単語を呟いた。
「もふもふ」
「も……」
「もふもふがほしい。ちっちゃくてかわいくてもふもふでふわふわの子がいい」
何を言っているんだとエアは思ったが、よく考えずともエアのマスターは人間のお子様である。
ついでにこんな森の中で一人、世捨て人のような生活を送っている。
そしてひとりぼっちの小さな人の子が寂しさを紛らわすために
というかそれならものすごくしっくり来るのだ、王である自分や数々の上級精霊を呼び出しても「こういうんじゃないんだよなあ」みたいな微妙な顔をしていたのは、単純にお目当ての精霊が呼べなかったが故の失望であったのだ。
子供は残酷で貪欲だ、確かにその通りである。
自分を含めた最高位の精霊をあんなにたくさん召喚できても、それでもこの小さなマスターの心は満たされない。
何故ならマスターが求めているのは強いものではなくもふもふで可愛い生き物であるのだから。
「なのになんかすっごいのが来るんだよぅ……!! うさぎさんが来ない、うさぎさんがきてくれない……」
そのままマスターは両目からぼろぼろ流し、顔をくちゃくちゃに歪めて大声で泣き始めてしまった。
子供にしては妙に大人びた言動をする幼児である、と思っていたエアはいきなり年相応の子供のようにわんわん泣き始めてしまったマスターに慌てふためき、なんとか宥めようと苦心したのだった。
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