2019年2月16日

――よかったね、がんばったね。


芽衣のメンターだったある先輩看護師は、芽衣が予てから希望していた小児科病棟への異動を共に喜んでくれた。


芽衣の最初の配属は救急だったのだが、その切迫した仕事環境と希望ではない配属で求められる能力の落差に精神が追い付かず、苦しんでいた芽衣の支えとなってくれたのが彼女だった。思えばあの仕組みは素晴らしいもので、直接的な上司部下ではないナナメの関係性で新人をコーチングで補助するという機能は、まるで芽衣のためにあった制度であったかのような効果を発揮したといえよう。


芽衣のメンターだった恭子は認定看護師の資格を有し、医長からも師長からも一目置かれる存在であった。そしてその優しい人柄ゆえ、芽衣をはじめとする後輩から尊敬の眼差しを一身に集める存在だった。



しかし、昨年から流行し出した新型ウイルスにより、彼女の職場は疫病の患者のための病棟と成り果ててしまった。


大学院で緩和ケアを学んで普段の仕事に取り入れ自学自習を続けてきた彼女にとって、入院病棟の緩和ケア個室と面会室、付き添い家族のためのレスパイト入院個室の設計・施工プロジェクトは彼女の仕事人生に於ける或る到達点のひとつのはずだった。


患者にとっても、家族にとっても、これからの時間を大切にするための場所。そうなるように、彼女は先陣を切ってその場所を切り拓き、ずっと暖め続けてきた。


終末期医療の事を、私は〝戦い〟だと思った事はない。それぞれの気持ちを見つめて、それぞれの生活を、それぞれの最期まで続ける。そうした歩みそのものなんだから。でも、はじめて「負けた」と思った。あのウイルスがこの国に来て、あっという間に広がって。ウチも病棟編成の変更が院長命令で為されて、緩和ケア病棟が無くなって。ベッド不足を理由に、在院日数の制限が掛かって。ここで最期を迎えようとしていた人を、在宅に返さねばならなかった――最後までよろしくお願いします、そう言ってくださったご家族から、お世話になりました、と言われた――あの瞬間に。負けたんだ。負けたんだよ、私。


恭子は泣いていた。自分の愚痴や悩みを聞いてもらうときに使っていたいつものガード下の居酒屋のカウンター席で、隣に座っていた芽衣は自分が退職するつもりでいる事を打ち明けられずにいた。


店の客は2人だけだった。タッチパネルで注文したはずの2杯目のジンジャーハイボールは、いつまで経っても来なかった。その夜は、芽衣が恭子の姿を見た最後の夜となった。

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