涸れる事の無い
@toru0218
2020年12月1日
雪だ。
そう思ったそばから、違うと気づいた。其れは空中を舞う羽毛と埃だった。カーテンではなく段ボールらしきもので目張りされた窓の隙間から、白肌の足に光が零れ落ちている。枕元の時計を見遣る。午前11時21分。少しの頭痛。のそり、と自分の手足を使ってベッドの布団から抜け出そうと試みる。そと崩れ落ちる掛け布団の動きは緩慢で、する、とすっかり落ちる事なく中途でその動きを止めた。
全身裸かと思いきや、ショーツだけは付けていた。そうか、なけなしの恥じらいや貞操のようなものが自分にもあったのだな――などと独りでに感慨に耽る。くだらない。
昨晩、このところ何度か行っていたネオバルのカウンターでしばしば話し相手をしていた男と勢いに任せ寝てしまった。彼が早朝に起きて、短い言葉を告げて出て行った事は憶えている。其れが別れの台詞だったのか、身体や心を気遣う言葉だったのか、何だったのかは憶えていない。最後まで互いの胸の内は隠されたままだったように思う。消えなんとする男の残り香が、ひんやりとした冬の空気に乗って鼻腔に届いた。
夜勤終わりの夜、店で会うとずっとその男の下らない下世話な話なぞを愛想よく聞いていた。たまにはいいでしょとばかりに今度は自分のよもやま話を聴いてもらった。
自分を受け止めてくれる人がいる、其れが一夜限りの相手であったとして。その事実のお蔭で、話し手となる自分の事柄について多少の嘘を綯い交ぜにして語ることに何の呵責も要らなかった。
ため息をつく。終わってしまった。でも、もういいのだ。あのときは一切を脱ぎ棄てたかった。恐らくは見過ごしてはならぬ情動も少なからずはあったろうが、しかしそれら総てを酒の中に溶かして飲み下してしまいたかった。姿勢を正し律する自我が全く無かったとは云わないが、それでも何かを諦めた人間には諦める事それ自体が似付かわしい。そう思い込むだけの思念が背中を押すかのようで、酩酊する自分にすら諦めを付かせ転げ落ちていく事がいつか来る未来に望まれているような気さえしていた。
昨日は芽衣の最終勤務日だった。芽衣にとって、看護師という職業は幼少のころからの憧れだった。小学生のころ入院したとき出会った病棟看護師の優しさに孤独を救われ、感謝は憧れになり、憧れは目標になっていった。国立の看護大学を出た後に入職した医療機関では、希望した職場への配属は直ぐに叶わなかったものの、やっとの思いで望み通り小児科の入院病棟の配属となった。
しかし、ひとりの副師長からの度重なる罵倒と執拗なパワハラに耐え切れず、何もかもが馬鹿馬鹿しく思えて、ふと退職の意を告げてしまった。
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