第4話

 まだ時間があったので俺たちは車に乗り込み、佐々木頼子の事件現場に向かう。

 現場は、中央区の大通りから一本奥に入った路地で、雑居ビルと民家が隣接している。日中は、雑居ビル内のテナントで働いている会社員などが多く出入りしているが、夜になると人通りが極端になくなる場所だった。

「四件とも目撃者いないんだよな」

 いくら深夜とはいえ中央区の中心街で事件が起こっているのだ。注意を払って犯行に及んだとしても、一人も目撃者がいないというのは犯人にとって運がいいとしかいいようがない。

「神様が味方してるのかもな」

 運転しながら、田村が吐き捨てた。やっぱりおかしい。いつもの田村ならそんな妄言もうげんは吐かない。

「お前どうかしたのか?」

「別に」

 強い拒絶を含んだ口調だった。

「話したくないなら聞かねぇけどさ――無理はするなよ」

 何か通り魔事件に思い入れがあるのだろうか? 田村は相変わらずの無表情でハンドルを握っている。俺には、その横顔から彼の考えを読み取ることはできない。

 現場に着くと、黄昏たそがれがあたりを包みはじめていた。いくつかの民家の電灯がいつの間にか灯っている。俺は車から降り、現場をくまなく歩いてみる。辺りも暗くなり、事件発生から二ヶ月も経っているので、さすがに何も見つけることはできなかった。そんなすぐ何か見つかるようなら、とっくに所轄が見つけているはずだ。車に戻り、大きく息をついた。

 中央警察署に戻り、捜査員が集まったところで捜査会議が開かれた。意識を取り戻した第二被害者の証言で、犯人が少しの間その場に留まっていたことがわかった。

「低く押し殺したような笑い声が聞こえたそうです」

 若林が報告するのを聞きながら、他の捜査員たちは苦虫を噛み潰した顔をした。怖かった、と被害者は震えながら泣いていたそうだ。俺は唇を噛み締める。

「もう二度と次の犠牲者を出さないように犯人逮捕に尽力してくれ! 以上」

 篠原がそう言うと、捜査員たちの顔が一気に引き締まった。会議終了後、捜査員たちが次々部屋から出ていき、最後に俺たち二人が残った。

 何も収穫がないまま一日が終わった。今までだってそんな日はあった。無駄だとも思っていない。可能性を一つ一つ当たっていって、最後に行き着いた所に真実があるのだから。でも今日の田村は、明らかに苛立っていた。

 県警に戻ると、田村がこんな状態なのに背後に猪又の気配がする。お前は背後霊か。俺はコーヒーを飲んで一息ついている若林のところに行き、猪又を連れだすように頼んだ。

「OK、今度何か奢れよ」

「延期になったバル代、俺持ちでいいすよ」

「はは、男前だな。食堂の定食でいいよ。あんまり無理すんなよ」

 若林は俺の肩を軽く叩き、猪又に声をかけて執務室から出ていった。猪又は何か言いたそうに俺を見ていたが、今はお前を相手している暇はない。事件資料と向き合う田村を横目で見つつ、席につき手元の資料を広げた。どれくらいの間、資料と向き合っていたのだろう。気付けば部屋には俺たちしか残っていなかった。

「付き合う必要ないぞ」

 田村が事件資料を読みながら、いつもにまして素っ気なく言ってきた。

「別に付き合ってるわけじゃねぇよ。早くケリつけたいって言っただろ」

 様子がおかしいヤツ残して帰るわけにもいかないだろうが。それに、事件も気になってはいるのだ。第一被害者の佐々木頼子にも約束したしな。

 イスに深くもたれかかり、机上に広げられた資料を見据える。犯人に繋がるものがない。何か突破口が見つけられれば――。

 窓の外を見ると、周りのビルの窓からちらほらと明かりが見える。もう十一時だ。俺たちの他にも頑張っている人たちがいるんだな。

 犯人は今何をし、何を考えているのだろう――。

 コーヒーを淹れに席を立ちながら、犯人の事を考えてみる。犯行はすべて平日深夜。襲われた日も曜日もバラバラで被害者も性別以外、職業も年齢も見た目も共通するところはない。

 犯人は女性に強い恨みを持っているのだろうか。それとも、反撃されないよう力の弱い女性を狙ったのか。いや、たまたま独りでいたのが女性だったということもありうるし、犯人の条件に当てはまっただけかもしれない。

 ――犯行の条件。そんなものあるのだろうか。無差別に無秩序にただ目についた人間を襲っているのではないのだろうか。

 唯一の共通点である性別について考えても先に進めない。では、別の視点から考えてみるか。

 仕事終わりにそのまま犯行に及んでいるのか。スニーカーってことは会社勤めではないのか。それとも一旦家に帰っているのか。犯行が中央区ばかりなのは職場、もしくは住んでいる場所が中央区かその近辺なのだろうか。土日に犯行に及ばないのは何故だ。犯人には家族がいるのだろうか。もしくは犯行に及んでいるのは犯人の休みの日か。どれも答えの出ない疑問ばかりが頭に浮かぶ。頭を振り、深呼吸をする。

 田村の机にコーヒーを置き、窓際に立つとさっきよりも明かりが減っている。急にぞわりと体の中に嫌な感覚が沸き上がってきた。じわりじわりと体中に広がっていく。まただ、この嫌な感じ。色々な感情が、ぜになったもの。

 子供の頃、居残り授業や授業後の委員会が苦手だった。周りの友達が帰っていく中、自分だけが取り残されていくようで無性に寂しく思ったのを覚えている。未だに最終電車に乗るのが苦手なのだから、まだ直っていないのだろう。家路へと向かう電車の中から見る明かりの灯った家々。あの湧き上がる焦燥感。

 部屋に独りでいるときは何とも思わないのに。両親が共働きだったので独りには慣れているはずなのに。それとも、本当は寂しかったのか――俺は。

 窓の外の明かりが、またひとつ消えた。あぁ、どんどん取り残されていく――。

 俺は深く大きな息をついた。いつもなら寂しさで胸が押し潰されそうになるのだが、今は自分ひとりではない。そう思うと安堵に近い心持ちになった。いい大人が恥ずかしい。俺は気持ちを切り替え、犯人についてもう一度考える。

 いつも凶器を持ち歩いていて衝動に駆られて凶行に及んでいるのか。人を襲うと決めてから獲物を探して徘徊するのか。

「衝動的だろうと計画的だろうと、何らかの要因があるよな」

「どんな要因だ?」

 声に反応して振り向くと田村がこちらを見ていた。

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