第2話
なんでこうなる――。
隣には、酒を飲みながら悪態をつく猪又。顔が真っ赤になっている。完全な酔っ払いだ。
帰り際に猪又に捕まり、彼の行きつけの店だという居酒屋まで連れて来られた。そして三十分も経たずにこの大男は酒を
店内を見渡すと、仕事帰りの会社員で席は埋まっていた。皆、楽しそうに料理をつまみながら酒を飲んでいる。
頑固そうな店主が一人で切り盛りしている店で、旬の食材や地元で作られた野菜を使って作られた料理が人気なのだそうだ。出てくる料理はボリュームがあり、里芋の煮物やぶつ切りにされたカレイの煮つけなどが目の前のテーブルに並んだ。
美味そうだ、とひと口食べてみると素朴で家庭的な味だった。あの頑固そうな店主がこれを作ったことに驚くとともに、自分の母親の料理より美味いことに小さな衝撃を受けた。
「大丈夫か?」
料理にも手をつけず酒を呷っている猪又に声を掛けると、真っ赤に充血した目で、うるさいとでも言うかのように睨んできた。
一人になりたいのなら、何故俺をここに連れてきた。付き合いきれなくなって、手元の酒を飲み干した。
「あんた――望月さんは、なんとも思わないのか?」
「何が? ああ、田村のこと? 憎たらしいヤツだとは思うよ」
俺はカレイの身を解してつまみ取ると、口に放り込んだ。程よく味が染み込んでて美味い。
「あんないい加減なヤツを、なんで刑事部に置いておくのか俺はわからん!」
「別にいい加減でもないだろ。アイツはアイツなりに考えて動いてるだけだよ」
里芋を掴み、口に運ぶ。固さの残っている里芋。ねっとりした里芋よりこっちの方が断然美味い。
「何でだよ!」
猪又がテーブルに拳を叩きつけたので、周りの客が驚いてこちらを見てきた。また怒りが込み上げてきたのか、握った拳が震えている。頼むから俺を殴るなよ。
「静かに飲めよ。周りの客に迷惑だろ。ほれ、カレイ食っとけ。アイツは、職務に忠実なだけなんだよ」
今にも暴れ出しそうな勢いの猪又を、周りの客は心配そうに見ている。なんで俺が田村を
「まるで自分は何も悪くないかのような顔で、遺族に無神経な質問をするアイツが残って、何で俺が異動させられなきゃいけなかったんだ」
悔しそうにテーブルを何度も叩きまくる猪又に、店主が外に向かって指を差した。出て行けということらしい。この状態じゃ無理もないよな。料理をもう少し楽しみたかったが仕方ない。ため息をつき、周りの客が心配そうに見守る中、猪又の腕を掴んで外に引きずり出した。
「すみません、お勘定コイツにつけといて下さい」
店の外に出るや否や、俺の手を振りほどき、一人でフラフラ歩き出す猪又に無性に腹が立ってきた。もうコイツと酒を飲むのはごめんだ。
「俺は、犯罪を無くしたくて警察官になったんだ。これ以上傷つく人が出るのは嫌なんだ。なのに、俺は止められなかった。俺たちのせいで、何人も亡くなったんだ。なのに、アイツは――」
嘆きに近い声で己を責める猪又に、少し前の自分の姿が重なる。
「田村は、何ていうか線引きをして仕事をしてるんだよ。俺たち警察だって、ただの
言い終わらないうちに「お前も田村と同類かよ」と猪又に捨て台詞を言われ、ブチッと頭の中の何かが切れる音がした――実際はそんな音はしてないし切れてないが――と同時に猪又の背中を思い切り足で蹴り飛ばしていた。前のめりに倒れこんだ猪又は、驚いた顔をして俺を見上げる。
「思い上がるなよ、ボケが! 何でも抱え込んで背負っちまったら、やらなきゃいけないことすらできなくなるだろーが! どあほうが! 感情に流されれば迅速な判断もできないだろ。頭を冷やして冷静になれ!」
俺の豹変ぶりに、猪又は口をパクパクさせながら座り込んでいた。俺はそのまま呆然としている猪又を残して歩き出した。
蹴ったのは、田村を悪く言われたからじゃない。それは断じてない。ただ、悔しかっただけだ。
立ち止まり、夜空を見上げて深く息をついた。そして、飲み直すためにオンブラージュに向かって歩き出す。
ドアを開けると、いつものカウンター席に田村がいた。
「お疲れ」
「ほんと疲れた、お前の相手してる方がずっと楽だ」
席に座ると店内に流れているビル・エヴァンスのブルー・イン・グリーンに耳を傾け、長い息を吐く。前に置かれたジントニックをひと口飲むと、火照った体からじんわりと熱が引いていく。
「やっぱりここが一番いいや」
マスターに笑いかけると、ありがとうございますと会釈で返された。
「仲良くなれそうか?」
意地悪く聞いてくる田村に、「さぁな」と短く答えた。
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