第5話

「そ、んな……」

 あまりのショックに言葉が続かない。

 若林と里見が田村を連れて俺のいる会計課に現れた時、一瞬だが胸がざわついた。田村はいつものポーカーフェイスだったが、若林と里見の顔色が冴えなかったからだ。

 だが俺は、気づかないフリをした。若林たちの顔を見ないように、無表情の田村の顔に視線を合わせた。

 認めたくなかった。

 必ず爆弾は見つかる。そう信じていたからこそ、〈死〉と隣り合わせになりながらもここまで頑張ることができた。この極限状態の中、踏みとどまることができたのだ。

 けれど、それが無駄足だったと、爆弾は今なおこの建物のどこにあるか分からない、と認めたくなかった。

 だから俺は、気づかないフリをした。蜘蛛の糸ほどの細くはかない期待にしがみついた。

 俺は会計課の方に顔を向ける。職員たちが俺たちの様子を不安そうな顔で遠巻きに窺っている。俺は彼らの視線から逃げるように顔を背けた。

 今の俺は、さっきの若林たちと同じ表情をしているはずだ。こんな顔を見せる訳にはいかない。これ以上、追い詰めるようなことをしてはいけない。もしここで集団パニックでも起きたら――

「若林さん、携帯見せてもらえませんか」

 田村の声に、俺は我に返る。

「え、あ、ああ」

 若林が前髪をかき上げ、大きく息をついた。

「いかんな。するべきこともしないで何やってるんだか、俺は」

 若林がジャケットの内ポケットに手をかけた時、「こっちの方が見やすいわ」と里見がジャケットのポケットから素早くメモ用紙を取り出すと若林に差し出した。

「例の暗号文。書き写しておいたの。私もだめね、ショックを受けてる暇なんてないのに」

 里見の手からメモを受け取った若林は、「まだ五十分ある。諦めるのは、まだ早いよな」と言いながらメモを俺たちにも見えるようにカウンターの上に置いた。

 若林や里見だけではない。俺も動揺してやるべきことを忘れていた。諦めていなかったのは、田村だけだ。鉄仮面とか鉄面皮とか鉄人とか、そんなのどうでもいい。俺は――

「この杜撰ずさんな管理体制の中、犯人が108番のロッカーの場所を把握していたとは思えません」

 更衣室で気づいたことを俺は口にする。

「それは俺も思った。それに、いくら更衣室が人目につく場所にあるからといって一般人が気づかれずに忍び込むのはやはり難しいと思う」

「人目につく場所だからこそ、なおさらにね」

 若林や里見の会話を聞きながら、俺はメモ用紙に書かれた奇妙な文章に集中する。答えは、ここにある。この中に。

 頭の中で何度も読み返す。何度も、何度も、繰り返し読んでいるうちに奇妙な感覚にとらわれる。文章の中に隠された意味を探し出そうとしているのに、いつの間にかその文章から意味が、感情が、ぎ取られ、文字という記号の羅列としか悩が認識しなくなっていく。

 一瞬、訳が分からなくなり、俺は文章を分解することにする。文章を短くして言葉の意味を取り戻す。

「空箱、棺桶……ねぇ、若さん。空箱も棺桶も中身は空っすよね。『目覚め待つ空箱』が爆弾ってのはなんかおかしくないですか?」

 俺が言うと、若林もうなずいた。

「確かに。『空箱』ってことは、これも入れ物ってことか?」

 若林が顎をさすりながらうなり声を上げる。

「『目覚め待つ』ってのはどういう意味だ?」

「今は眠っているということかしら? 仕舞われている、保管、管理されている、そういったもののことも眠っているって言うわよね」

 里見の言葉に俺の中で何かが引っかかった。それが何なのか確かめるために里見に声をかけようとした時、横から若林が口を挟んだ。

「押収品のことを言ってるのか? 保管庫に一般人が出入りできる訳はない」

「けれどあそこに保管されているものには、番号がふられているわ」

「それはそうだが、俺たちでさえ規定された手続きを取らなければあそこには入れないんだぞ」

 そう言った途端、若林の顔が強張こわばる。愕然がくぜんとするように口許を手で覆い、その場に固まった。

「どうしたの?」

「若さん?」

 ほぼ同時に俺と里見が声をかけた。若林は口許から手を離し「まさか……」と小さく呟いた。

「なにか、解ったんですか?」

 俺はもう一度、声をかける。すると若林はゆっくりと俺の方に蒼白となった顔を向ける。

「……まさか、犯人は警察内部の人間なのか?」

 若林の言葉に、今度は俺と里見が愕然がくぜんとすることとなった。思いもよらない展開に頭の中が混乱する。

「でも、あそこに自由に出入りできる人間は今ここに全員揃っているわ。本部の出入口は完全に封鎖されているし、逃げることもできないのよ」

「……道連れにするつもりか?」

 顎に手を当て、低い声で若林が呟くように言った。

「それとも爆弾はダミーで他に目的が? いや、この状況では自由に身動きすることはできないはず。では、保管庫のモノをこの世から抹消するつもりだとしたら? 押収した薬物の横流よこながし、もしくは証拠品の改ざん、紛失、そういった不祥事を誤魔化すために保管庫が吹き飛ぶほどの威力の爆弾を仕掛けてあるとか? いや、そんなことすればすぐに内部の人間の犯行だとバレてしまう」

 若林が自問自答する中、俺は別のことを考えていた。

 さっきの里見の言葉。あの時、俺は里見に何を言おうとしたのか。それが思い出せない。一瞬だが、何か見えた気がしたのだが。若林の内部犯行説に衝撃を受け、すべてが頭から吹き飛んでしまった。

 内部犯行説、か。若林には申し訳ないが、俺は懐疑的かいぎてきだった。

 仮に若林のいう不祥事があったとしても、ここまで大がかりなことをせずとも秘密裏ひみつりに処理することはできたはずだ。

 今回の騒動で本部の逆鱗げきりんに触れたのは必至。今後、本部は総力を挙げて犯人検挙に乗り出すことになるだろう。犯人が内部の人間ならば、それがどれほど危険な行為なのかは想像に難くないはず。自殺行為に他ならない。

「犯人に操られているというのは? 弱みを握られて脅されているとか?」

 里見の声が耳に届いた。なるほど、そういう考えもあるか。

「だが、命を捨ててまで何を守るっていうんだ?」

 若林がすぐさま反論する。確かに。命を捨ててまで守らなくてはいけないものなど、俺には思いつかない。たったひとつしかない命よりも大切なものなど――

「あっ!」

 思わず声を上げる俺に、若林と里見が同時に振り向く。俺は興奮しながら「拾得物しゅうとくぶつですよ!」と若林たちに早口でまくし立てた。

「犯人が、拾ったものだと警察に爆弾を入れた箱を届けていたとしたら?! 拾得物しゅうとくぶつなら、モノを持ち込んでも怪しまれないし、中もそこまで細かく確認したりしない。もちろん、番号もふられる。爆弾の入った箱を届けてから、暗号文を作成したんじゃないですか?」

 頭の中でごちゃごちゃに絡まっていた糸が一気に解けていく感覚に、鳥肌が立った。

「この暗号文を短時間で作ることなんてできるか?」

 若林が言った。

「大本はできてたんじゃないですか? 『煩悩を刻み込まれた棺桶』の部分だけ、あ……」

 言葉を失う俺に、「気づいたか」と今まで手紙を凝視ぎょうししていた田村が声を発した。ここに来て初めての発言だった。

「さっき自分で『目覚め待つ空箱』は爆弾を示していないと気づいたのに、言葉にとらわれ過ぎて前と同じ失敗を繰り返していることに」

 そう言いながら、田村は俺の方に顔を向ける。

「聞いてたのか、俺たちの会話」

 俺の中で解けきったと思った糸が、前以上にひどい絡まり方で俺の前に転がっている。さっき味わった高揚感こうようかんも、いつの間にか跡形あとかたもなく消え去っていた。

「聞こえただけだ」

 しれっと田村が答えた。コイツは人を怒らせる天才かもしれない。

「だったら無視してないで入ってこいや。ていうか、気づいてたなら言え! バカがっ!」

「解読が先だろ、どあほぅが」

 負けじと田村が言い返してきた。相変わらずムカツク顔だ。なんでいつもそんなに偉そうなんだよ。

「おっまえ、ほんと腹立つなー! 若さんもなんか言ってやったらどうです? コイツ、失礼過ぎるでしょ」

 何も言わない若林に俺は不満をぶつけた。すると若林は苦笑くしょうし、「聞く耳があれば言ってるさ」と言った。

「なるほど」

 大きく頷く俺を田村がにらんだ。本当のことだろうが。

「よし、頭切り替えて次いこう!」

 両肩を回しながら気合を入れる俺に、「前向きなヤツだなぁ、お前」と若林が笑った。

「自覚してます。今日の自分を責めるのは、すべてが終わってからです。いやっちゅうほどビールあおって、酔い潰れるつもりですよ」

「いいねぇ、お前。気に入った。俺も付き合ってやるよ」

「私も」

 里見の「私も」が俺のことを気に入ったことなのか、それとも飲みに付き合うということなのか気にはなったが、まずは目の前に立ちはだかる難問が先だ。俺は丁寧な文字で書かれた暗号文に意識を集中させる。

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