第312話

 また、一瞬の静けさがやって来た。盾も雷も消え失せて、風が吹くのみ。上空の龍は、わずかにその輪郭が見えるだけだが、攻撃の手は緩めていた。まさか自分の攻撃が打ち消されるとは思ってもみなかったのだろう。


「おお! やったぞ! 耐え忍んだ!」


「いや、まだ安心できないぞ。きっとすぐにまた攻撃してくるぞ」


 そう、こちらはすでにボロボロだ。ムーアくんにもう一度あの盾を出す力は残っていない。一方で、龍はたった一度攻撃を当て損ねただけに過ぎないのだ。また同じ攻撃が来てしまっては、今度こそ町ごと消し飛んでしまう。


 ……どうする? いや、なにも浮かばないぞ。このままやられてしまうのか?


 冷や汗だけが、砂まじりに頬を伝う中、風がそれを冷やしていく。据わりの悪い十秒余りが過ぎたところで、静止画のようだった上空の龍は動いた。


「降りてくるぞ!」


 今まで空から雷を落としてくるだけだった龍がついに下へと降りてきた。


「おい! 備えろ! 来るぞ!」


 しかし、龍はまるで戦っている最中とは思えないくらいに悠々と下へと降りてくる。自分が攻撃されてしまう心配なんて端からしていないのか? 空を舞う旗が風に抱かれるがごとくはらり、ひらりと降りてくる。


 翻るその鱗は碧く輝き、ほのかに電気を帯びているのがここからでもわかった。その優雅さは暴力性を感じない。思わず見入った僕たちは攻撃することを完全に忘れていた。そしてついに龍は僕たちの目の前に着地して、起こった風が周りの人たちの髪を揺らした。


 不思議な間が開く。緊迫した空気感の中で、目の前の龍はまるで彫像のように思えてしまう。そして、沈黙を破ったのも、その彫像だった。


「さきの童はどこにおる?」


 低く、重々しい声でそう言う。まったく、龍という生き物はみんなこんなお堅い喋り方しかできないのだろうか?


「……僕……ですが」


 ムーアくんが人間たちの最前列に出ると、魔王先生も彼の後ろについていく。


 龍と相対したムーアくんは、堂々としていた。


「貴様か?」


「ええ。あなたは?」


「不遜なり。しかし感心したのも事実である。名乗ろう。儂はエレクトロン。龍である」


「エレクトロンさんですか。でもどうしてこんなところへ?」


 そうだ。まだ約束の日は来ていない。と言っても、ほとんどの人はその約束の日さえも知らないのだけど。


「貴様ら人間がどのような生き物か。向こう百年を生きる資格があるかどうかを査定しにきたのである」


「そちらこそ不遜もいいところではありませんか。あなたに他の生き物の生き死にをどうこう言う権利がありでもするのですか?」


 おお……ムーアくん、言うじゃないか。強気なのは頼もしいが、あまり刺激しすぎると危険だ。


「ある。儂らを貴様らと同じ生き物と思うな。儂らは神にも等しい存在だと思え」


「……それで、神はどうして僕たちの目の前まで降りてきたんです? 査定とやらをしていたんじゃないんですか?」


「それについてだがな。儂には分からなくなった」


「?」


「貴様のように、魔法が使える人間なんてのは今まで見たことがない。少なくとも儂が前回この世界に来た二百年前にはいなかったはずだ。それが分からない」


「そうでしょうね。僕が世界初みたいですから。人間の魔法使いは」


「それほど、人間は進歩をしていくというのか?」


「魔法だけじゃないと思いますけどね。人間はいつでも、間違いながらも前へと進んでいく。それはあなたが前に見た二百年前の人類も同じだったはずですよ。あなたたちが見ていたか、そうじゃないかだけです」


「……まあ、今はその進歩に免じて退いてやろう。いつまでこれが続くかもわからないがな。では、これにて」


 言い終えたエレクトロンはパッと飛び上がって、あっという間にコメ粒ほどの大きさになってしまった。そして、強大な気配とともに、どこかへと飛び去ってしまった。


「……ふぅ」


「まるで夢のようでしたね」


「あの龍、一体何だったんでしょうか?」


「見たことないやつでしたよね」


 今まで、向こうの世界に閉じこもっていた龍が、こっちの世界に出てきたのだ。明らかに例の試練が原因だろう。あのサーバリに呼応して、押し寄せてきているのかもしれない。龍たちの中には、試練なんて関係ないやつらだっているだろうから、もしかしたらこんなふうにこれから先も妨害をされるかもしれない。


 この試練、思っているよりもずっと困難なのかもしれない。あのエレクトロンと名乗る龍は、人間にまだ可能性を感じて猶予を与えてくれるだけ良心的なのかもしれない。


 ますます急がなくては。龍の騒ぎが落ち着いてきたあたりで、僕は一人生物開発課の二人から離れた。八日丸々使えるなんて思ったら大間違いだ。すぐに手を打たなければと、僕はピオーネのもとに向かった。彼女はバタバタしていただろうが、自分はこれまでのことでなんだかんだ顔が通るようになっているので、半ば強引に彼女に会わせてもらった。すぐに行動を起こすように進言するつもりだったが、部屋の中のピオーネはもとよりそのつもりだったらしく、鎧は準備万端と言わんばかりの輝きを放っていた。

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