第219話

 突然の訪問で驚いたけど、やってきたのはクランさんだった。


「どうしたのです? そんなに慌てた顔で」


彼の顔は切羽詰まったようだった。息も少し乱れている。


「こんな夜更けに申し訳ありません。しかし、急を要します。僕について来てください!」


突然引っ張っていくものだから、びっくりして手を振り払ってしまった。


「わかるように言ってください! クランさんだけそんなに慌ててしまって、私はちんぷんかんぷんです!」


「……事情はあとで全部話します! とにかくここにいては危ないのです!」


彼は必死だった。結局押し切られた私は、このままの姿で外に出るのもみっともないので、そばにあったカチューシャだけをつけてクランさんについて行った。


 彼に手を引かれて、連れて行かれたのは彼の部屋。


「どういうことなんです?」


もしかしたら、婚礼を待たずして初夜を迫られるのかとも考えた。だけど、彼の顔はそれどころではなかった。


 青ざめて、冷や汗も一筋二筋流れている。


「落ち着いて聞いてください」


なんて言うけれど、そう言う本人が一番落ち着いてない。


「落ち着いていますから、話してください」


彼の肩を押さえてなだめると、ようやく深呼吸を一つしてほっと息を整えた。


 しかし、話の内容を聞いてみれば今度は私の方が落ち着いていられなかった。


「……とても言いにくいことなんだが……私の父は、レイマート王は君のことを殺すつもりらしい」


「……!」


いきなり言うことじゃないでしょう! いや、そもそも話の内容がとんでもない。


「驚くのは当たり前だ」


「しかし、どうして?」


理由もなく殺意を向けられるわけがない。


「僕は君がとても素敵な人だと思う。だけどそもそもこれは政略結婚だ。それで父は君の身分が気に入らなかったらしい」


「下級貴族の娘ではダメでしたか?」


「そうらしい。父としては、王太子である息子を出しているのに、君のところからは一貴族の娘が嫁に出されたっていう態度が許せないらしい」


たしかに政略結婚にしては不釣り合いだとは思っていたけど、そのくらいの国力差がシャラパナとマルイにはあった。


 しかし、レイマート王はそれに異を唱えた。私を見せしめに殺すつもりみたい。


「しかし、僕は一人の男として、妻になるはずだった女性を殺させるわけにはいかない。この夜更けならばどうにか国の外に出ることも出来るだろうから、僕が君を逃すよ!」


「でも、そんなことをしてしまえばクランさんは!」


「いや大丈夫だ。君が気にすることじゃないんだよ、スネル。これは僕の責任なんだ。君に生きていて欲しいから。そのためなら僕は王太子の立場なんて惜しくはない」


「……わかりました。私も殺されるのは嫌ですし、逃げます!」


「よし! じゃあ時間も惜しい。いつあなたのところに刺客がやってくるか分からない」


彼はやっぱり落ち着きなく私の手を引っ張っていく。


 部屋から出て、クランさんは私を馬に乗せて脱出させてくれようとしたけど、そんな必要はない。私には翼があるのだから。


「待って、私の荷物が全て置いてある屋敷に行きましょう」


「スネル! 今は荷物よりも命が!」


「いいえ違うのクランさん。別に荷物が惜しいわけじゃないわ。話すと長いけど、ともかく屋敷にさえたどり着けたらもう私は助かるの」


「……僕にはよくわからないけれど、君のことだから考えなしに何かを言っているわけじゃないんだな?」


「分かってくれてうれしいです。さあ、行きましょう」


目指すは城の外、すぐそばにある私が待機していた屋敷。


 周りを起こさないように行くだけかと思いきや、そう簡単にも行かないらしい。城内には、とっくに大勢の兵士が歩きまわっていた。


「おい、部屋にはいないぞ」


「スネル姫は城には不慣れのはず。そう遠くには行っていないだろうから早く見つけるのだ」


兵士たちはやはり私を探しているみたい。


「……もう手が回っているみたいですね。もう少し遅かったら危なかったかもしれません」


「フフ、今から殺す敵国の女のことを姫と呼ぶだなんて、なんだかおかしい話ですね」


「余裕ですね」


「軍人ですから」


 私たちは、上手く兵士たちの目をかいくぐりながら城の外を目指していた。しかし……


「おい、いたぞ!」


「王太子殿下も一緒だ!」


見つかっちゃった! 逃げないと!


「どっちに逃げます?」


「……こっちだ!」


彼は私の手を引っ張って、細い方の道を行く。こんな隠し通路みたいな細い廊下を通って行って本当に外に出られるのだろうかと不安に駆られた。そんな私の胸中を見通したのか


「大丈夫です。秘密の通路ですから、誰にも見られることなく外に出ることができますよ」


彼は自信をもってそう言う。


 クランさんの言う通り、本当に通路は城の外につながっていた。およそ人間が通るために作られていないような場所は何回か通ったけれど。


「ここはですね、僕が子供のころによく遊んでいた場所なんですよ。こんな感じの何も手が付けられていない道ですから、僕以外は誰も知らないはずです」


「なら、私がこの道を知った二人目だっていうのは、光栄なことですね」


「はは、確かに」


よかった、クランさんにも余裕が出てきたみたいだ。


 無事に城の外に出て、あとは一直線に屋敷に向かうだけ。


「屋敷に入った後はもう大丈夫なんですか?」


「ええ、私に考えがあります。心配しないでください」


屋敷に到着すれば、百パーセント逃げられるんだ。こうやってこそこそと逃げ回るのは、それまでの間の辛抱だ。


 ……あんまり油断できないみたい。もうとっくに私の捜索の目は城の外にまで及んでいる。またちらほらと兵士たちが歩いているのが見えた。あんまり長居していてもダメだ。それこそ見つかってしまう。


「クランさん、急ぎましょう!」


今度は私が彼の手を引っ張って、屋敷まで急いだ。


 幸い、まだ屋敷の近くまでには追っ手が来ていないみたい。でもここに私が来るってことは向こうも考えるだろうし、時間はない。


「早く中に入ってしまいましょう!」


屋敷に人はいなかった。普段は使われていない場所だから、完全に私の荷物置きになってしまっている。でも、その方が都合がいい。


 屋敷の入り口に入ると、少しだけ気が抜けてしまった。


「本当にここに来ればもう大丈夫なんですか? 僕には自分から袋小路に閉じ込められているようにしか見えないのですけど」


「普通はそう考えますよね」


でも心配ない。ああ、ヴォズさんに感謝しなくちゃね。おかげで簡単に逃げることができる。


 しかし、一階を歩いているときだった。


「ここだ! ここに入っていくのを見たんだ」


「では中にいるんだな?」


「ああ、もう逃げられないぞ!」


そとから聞こえてきた。しまった、誰かに見られていたんだ!


 私よりも慌てたのはクランさん。


「本当に大丈夫なんですか?」


「落ち着いてください!」


しかし、なおさら落ち着けない状況になってしまった。


「パチパチパチパチ……」


焦げ臭いにおいとともに、そんな音が聞こえてきた。


「火の手が上がりましたよ!」


そとの兵士たちはどうやら私の姿しか見えなかったみたいで、火をかけた。


「あまり燃えてはいないみたいですね。あくまで私を生け捕りにするつもりでしょうか? でもどうして生け捕り?」


そんなことを言っていると、突然クランさんは私の手を引っ張って近くのキッチンに引き込んだ。


 彼は一体何を考えたのだろう? 突然包丁を一本手に取った。


「何をするつもりです?」


「囲まれてしまって、火もつけられてしまったのですよ? さすがにもう捕まるしかありません」


普通の人間ならそうだよね。


「敵国の人となってしまったあなたが生きたまま捕まればどうなってしまうか、軍人であるならわかるでしょう?」


捕まったら、おそらく拷問まがいの尋問があって、それからやっぱり殺されちゃうのだろう。


「だったら、私をさきに殺してしまうということですか?」


「だって、あなたを苦しめるわけにはいかない。捕まるくらいならいっそ」


そんな心配はないと、事情を話そうにも、彼は興奮しきっていた。

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