第217話
いよいよ正式な決定が下ると、もう逃げられないと切に感じて、涙がほとほとと漏れ出てしまう。
「ねえ、どうにか回避するわけにはいかないのでしょうか?」
「うーん、なんなら私が代わりに行きたいくらいですけど、こればかりは」
「大佐、顔も知らないような男が相手でいいのです?」
「いないよりはマシでしょう?」
「それはどうかと思いますが」
ああ、こんなくだらない話をファンプール大佐とするのもこれで最後になってしまうのかしら?
マルイ王国、その首都ポムステックへの出立は、正式決定から三日後のことだった。それまで、納得してはやはり口惜しく泣き腫らしを繰り返していた。
「おいおい、これから嫁入りだっていうのに酷い顔をしているじゃないか」
「行く間にも治りましょう」
「頼んだぞ、我らの家の威信がかかっている」
「父上のちんけなプライドの間違いでは?」
「……早く行け」
言われずとも、もう逃げられないというのなら行ってやるさ。
乗り込んだ馬車は、金銀の装飾がくまなく施された、豪華絢爛の限り。その豪勢がかえって私には癪だった。
「こんなのいくらあったってなんの祝福にもならないっていうのに」
ヴォズさんから渡された私の武器ももちろん入れた。服の箱の下に滑り込ませて、秘密にしている。これを持っていさえすれば、いつの日かまたシャラパナの軍人に返り咲くことができるかもしれないと思えるから。
馬車が走り出してしまえば、もう護衛の兵士が百人程度周りにいるだけ。馬車の中には何も言わない車夫と私だけ。とても静かだった。
「このままどこかに逃げ出してしまおうかしら?」
いや、いけない。そんなことしてしまったら、シャラパナに戻れなくなってしまう。
結局どんなことを思いついても、馬鹿らしく非現実的で、諦めてしまった私はやけに質がいい座椅子の背にもたれかかった。
マルイ王国までは、七日を要した。そんなにかからないだろうと思うかもしれないが、儀礼をいちいち気にするから、進みが遅い。途中で嫌になった。何度誰かの馬をひったくって一人で行ってやろうと思ったことか。
でも、ドレスの女が馬に直接乗って疾走していたら、みっともないことくらいは私にも分かっているので、ぐっと我慢した。
「姫……」
「へんな呼び方しないでください」
「申し訳ございません、しかしほら。見えてきましたよ」
車夫は山の向こうを指さした。わずかに城が見えた。
ついに到着してしまったんだと身に震えを覚えた。あの山を越えてしまえばついに戻ってこれない。でももう無理だ。情けない覚悟を決め込んで、私は馬車に揺られ続けた。
山を越えるのに、もう一日使った。こうなってしまった以上は、さっさと到着してくれと思っているのに。とことん裏目に出てしまうのだな。もしも私の夫になるとかいう人に愛されたいなんて思えば逆に送り返されたりしないだろうか?
そんなことを考えながら、山の中で一晩を明かした。これだけ豪華な装飾の一隊だというのに、寝床は粗末なものだから、ミスマッチだ。
そのうち、ふとヴォズさんがくれた武器のことを思い出した。
「あれ、使う練習しておこうかしら」
とは言いつつ、本当は気晴らしがしたいだけだった。
誰も見ていないことを確認して、カチューシャを付けた。
「さあ、私のところへ来て!」
強く念じると、刃たちは力強く応えてくれた。
凄い! まるで私の手足のように動いている。面白くなってきて色んな形を作ったあとで、ふと興味が湧いてきた。
「今なら、空も飛べるんじゃないかしら?」
頭の中で、翼をイメージした。刃たちを背中に集めて……翼ならば、そう、天使の羽だ。せめて空を駆ける自由を。
「よし、いい感じ!」
私の背中には見事な一対の天使の大翼が完成した。
思わず興奮してしまった。ああ、翼ができたのなら飛んでみたい。あの空に向かって飛んでいきたい。衝動はどんどん大きくなってしまい、やがて抑えられなくなってしまった。
私は翼をはためかせ、部屋から飛び出した。翼はもう私の思い通りだ。自由に動くし、私の体は難なく空へと浮き上がった。
「自由だな」
そう、自由。もう得難いものだけど、この瞬間だけは私は誰よりも自由だった。どこまででも飛んでいけるのだから。すっかり身も心も舞い上がってしまった私は、雲を越えてしまった。
見上げた空は満天の星空で、ゆったりと私を見下ろしている。青い星々はみんなものを言わない。だからだろうか、見ていてこんなにも落ち着く。
「私も星の仲間になれないかしら?」
そんなセンチメンタルなことを考えながら、しばらくの間空を飛び回った。
私がこれから行く城も見えた。普通の城。シャラパナで言うところの宮殿なのかとも思ったけれど、それとはちょっと違うみたい。中を覗いてやろうかとも思ったけれど、怖くなってやめた。
「相手がとんでもない不細工だったら、いよいよ行きたくなくなっちゃうからね。まだやめとこう」
私の脳波に反応して動く魔道具だから、燃料切れもしない。途中で飛べなくなって嫁入り前に転落死なんて、逆に喜劇みたいな展開にはならない。
ひとしきり飛んで、気が済んだ。おかげ様、その日はよく眠れた。
翌朝出発して、昼頃には山を越えた。ついにポムステックに入った。普通の町だったから、それだけでちょっとホッとした。職業病でというか、すぐに見渡して探してしまうのは軍事施設。いくつかそれっぽいのは見えたけど、シャラパナと比べてしまうとかなり規模が小さかった。
「姫さま」
「だからやめてください! そんな呼び方。私は姫ではないんですから」
「申し訳ございません。しかし、今のあなたは間違いなく姫君ですよ」」
「嬉しくない称号ですね」
「何ならいいのですか?」
「軍人としての誉れの方が何倍もうれしいです」
「もう軍人ではないのですよ?」
「心はいつまでも軍人です」
「ゆめゆめ新郎さまを討伐なされないように」
「……ふふ、あなたも冗談を言うんですね」
今までひたすら無口だった車夫がこんなに喋るとは思わなかったから驚いた。
それに気を取られていたけれど、馬車はどんどん町の奥にある城に近づいていた。私にはあれが地獄の一丁目に見えてしまう。とても失礼だけど。ああ、散々覚悟してきたはずなのに、ここにきてやっぱり嫌になってくる。もう逃げ出してしまいたい。
「姫様、屋敷が用意されているみたいですから、そちらに一旦寄りましょうか」
「ええ、任せます」
もう姫呼びに突っ込む気分でもない。
屋敷に連れていかれると、そこにマルイ王国の役人がやって来て、ここで一晩を過ごすようにと言われた。新郎との顔合わせは明日らしい。
「今日は空は飛べないわね」
異国から来た女が空を飛んでいたら、騒ぎになってしまう。仕方がないから、その日は大人しく寝た。
翌朝、時間は早かった。私の支度は、マルイ王国の侍女らしき人たちが手伝ってくれた。
「これを着るんですか?」
「ええ、王太子様にお会いするのに、みっともない恰好はしていけませんから」
「にしても、ただの顔合わせでしょう?」
「婚礼の作法はこちらの国のものに従ってもらいます。それとも、このドレスがお気に召しませんでしたか?」
「いや気に入らないというか、動きづらいというか……」
そう言うと、侍女さんたちはみんな一斉に笑い始めた。
「ドレスが動きづらいのは当たり前でしょう?」
なんだか、世間知らずみたいに思われてしまった。私はまだこの国を警戒しているから、動きづらい服装が嫌だと言っているだけなのに。
「いえいえ、それは分かっているのですけど、どうしても動きづらい服には拒否反応が出てしまうというか」
「どうしてです?」
「軍人ですから」
そう言うと、侍女たちはざわついた。
「なら逆にどのようなドレスを希望されるのですか? 」
「ええと、強いて言うならこれを」
私は自分の箱から軍服を取り出した。
「そんなのが許されるわけないでしょ!」
結局、ドレスを着せられてしまい、今私は城の中にいる。広間に通されて、新郎が来るのを待っているのだけど、緊張してきた。
「王太子殿下がお越しになります!」
その言葉と同時に扉が開いた。奥から出てきたのは……なんというか、予想以上に普通の人だった。
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