第212話

 騒然とした街の中で、私とこの赤ん坊二人、ホテルの一室に閉じこもっていた。


「あぅ……あぅ」


「心配ないからね、なんでもないから……多分」


でも本当のところ、何が起こっているのかなんて全く分かってない。ハモニカというよりかは、むしろ自分に言い聞かせるように何度も呟いた。


窓の外を見ると、町の中央のあたりに煙が上がっている。砂煙だから、何かが燃えているわけではなさそう。だけど普通ではないことが起きていることは間違いない。二人はそこへ行ったのだろうけど、果たして大丈夫なんだろうか?


「私はどうしていればいい?」


どんなことが起きているのかもわからないから、ここで待っていればいいのか、それともどこかへと避難していた方がいいのかが見当もつかない。あの二人に黙って勝手な行動をとってしまえば、大変なことになってしまうかもしれない。


 だけど、何をしないわけにも……そもそも、このハモニカを騒がしい場所に置いておきたくはない。何か危ないことがあるかもしれない。差し迫った中で、頭を悩ませていると私たちのいる部屋のドアがノックされた。


「誰かいるかしら?」


声はこのホテルのオーナーのおばちゃんのものだったから、安心した。


「はーい」


ガチャリとドアを開けると、いつも通りのおばちゃんが立っていた。こんなに騒がしいっていうのに、平気みたい。


「あら、ドウランさんしかいないのね」


「ええ、今はタイセイもシルバータさんも留守にしてるんだけど、何かあったの?」


「いやあね、うち宛てに手紙が届いたの。変な風に折られて風に乗って来たみたいなんだけど、私には全く心当たりがないものだから、あなたたちに宛てた手紙じゃないかと思ってね」


おばちゃんが手に持っていたのは、宛先の住所を書くと勝手に折れて飛んでいく手紙だった。タイセイがついこの前作ったもの。つまりは、これは外にいるタイセイが私たちに向けて書いたものだ!


 おばちゃんから手紙を受け取ると、すぐに開いた。字がかなり崩れていたけど、読めないことはない。


「至急身支度を済ませて、馬車でマハムンテから脱出してほしい」


短い手紙だった。汚い字からして、かなり切羽詰まったなかで書いたに違いない。本当に大事なことだけを一言書いたのだ。


 あとは末尾にここのホテルの住所が書かれているだけだった。


「行くしかないか、二人とももう町の外に出てるんだろうし」


もうここにいる理由はない。手紙に書かれている通り、早く脱出しなければ。


 仕方がないから、私は三人分の荷物とハモニカを抱えて部屋を出た。


「おばちゃん、お世話になったね」


「あれれ、もう行くのかい?」


「ああ、行かないといけなくなっちゃった」


「そう……じゃあ気を付けていきなよ」


「ありがとう」


ホテルを出て、馬車に乗り込んだ。


 馬車に荷物を突っ込んで、ハモニカを抱っこしながら車の前方に座った。


「突然で申し訳ないけど、頑張って走ってくれ!」



「シュパン!」



「ヒヒーーーン!」



馬に鞭打つと、いななきをあげて、勢いよく走り始めた。


 街は中央の方が騒ぎになっているから、こっちの方にはあまり人がいない。逃げ出すには絶好のタイミングだ。このまま町の外まで楽勝で行けると思ったのだけど……


「いたぞ! 異教徒だ!」


見つかった! でもどうして? 一応変装はしているんだけど、やっぱりお粗末だったかな?


 通りの向こうの角から、突然どっと住民たちが出てきて、私たちに向かって走ってきた。みんな血相を変えて、はっきりと私たちを狙っている。びっくりするし、どうして突然追われることになったんだろう?


 もちろん、住民たちに捕まるわけにはいかない。なんとかして逃げ切ってこの街を抜けていかないと。ちょうどこの前に泊った街と似ているな。あそこでもマハジャ教の信者でないことがばれて、こんなふうに追い回されたっけ。


「神龍さまが言っていた人間たちだ!」


「よく見ろ! あの恰好はただの変装だ! あいつ、信者じゃないぞ!」


口々にそう言って迫ってくる。しかし、これは前もそうだったのだけど、普通は人間の足じゃ馬車に追いつくことなんてできない。


 前のときにピンチになってしまったのは、囲まれてしまったから。私たち、私は別にそうじゃないのだけど、シルバータさんは軍人の立場としてこういった一般市民の人々を、たとえ襲ってくるとしても傷つけることはできない。


 私もそれに倣って、追いかけてくる人たちを傷つけないようにしなければいけないだろう。つまり、囲まれないようにしなければいけない。土地勘のない私にとってはなかなかに難しい注文だな。


 ともかく、最初は追いかけてくるので、その反対方向に逃げた。だけど、このままでは、回り込まれて挟み撃ちにあってしまうだろう。


「こっち!」


一本細い路地に入った。ここで意表を突けば、一気に追っ手をまくことができるだろう。


 狙い通り、集団になって私たちを追っていた住民たちを巻くことには成功した。が、飛び込んだ先の一本裏をいった路地のところにも、追っ手は存在していた。


「おい! あれってそうじゃないか?」


「そうだそうだ! 神龍さまが捕まえろと言っていた異教徒の人間どもだ!」


龍ってのが直々に私たちを殺そうと言ってるのかよ。町中がこんな調子なら、確かにあの二人も街にいられなくなってしまうな。


 次々と現れる、一般の住民たちから構成された追っ手から逃げつつ、町の外を目指した。そもそもが街の中央とは程遠い場所に泊っていたから壁はほどなくして見えてきた。


「あそこだ! あそこから逃げられれば!」


しかし、一つ問題がある。街の門を出ていくためには、入るときと同じように検査を受けなければならないらしい。だから、工夫しなければならないな。当然、真正面から突っ込んでいくことはできない。


 でも、こんなのを隠し通せるわけはないよな。入ったときだって運よくうまくいっただけだし、なにより今回は、入るときにはいなかったハモニカがいる。さて、どうやって突破しようか……。


「あーうぅ……」


「どうしたの?」


やっぱりこれだよな。ハモニカはまだ生まれて間もない赤ん坊なんだ。ずっと黙っていることなんてできない。だけど、この子が馬車に乗っていることは決してバレてはいけない。


 タイセイから聞いた話だけど、この子の一族は、みんな異教徒の疑いをかけられて捕まってしまったとのことだ。おそらくだけど、もうとっくに全員処刑されているだろうとのこと。そして、その罪は一族に生まれてしまったハモニカにも及んでしまうらしい。だから、ハモニカは絶対に見つかってはいけないのだ。


「くるまってな。少しの間だけ、静かにしておいてくれよ」


身だしなみを直して、変装を整えた。ちゃんと儀装束を着こめば、異教徒には見えない。ハモニカは、その儀装束のなかに包み隠した。


完璧に整った! これなら、まだ事情を知らない門番の衛兵たちは上手く騙されてくれるだろう。自信をもって、門に馬車を進めた。


「止まってください、どこに向かいますか?」


「バンビルビに。ちょっと買わなきゃいけないものがありまして……」


こんな言葉遣い、慣れないな。


「……それにしては随分と大きな馬車で行かれるのですね」


「ええ、買い込まなくてはいけませんので。このくらいの大きさがなければ」


「はあ……」


どことなく怪しんでいる感じがある。


「お荷物を改めさせてもらってもいいですか?」


「え、ええ。構いませんよ」


本当に構わないっけ?


 でも、なにかヤバいものを隠し持っているわけでもない。ただ……


「これは何ですか?」


衛兵が指さしたのは、タイセイが何かをするときに使うすごい機械。何って聞かれても正直返答に困る。


「ええと、正直私にも何かわかりませんの」


「分からない?」


「ええ、亡くなった夫の持ち物だったのですけど、無用となったのでバンビルビで売り払おうかと」


「そうでしたか……」


衛兵はそこで引き下がった。


 彼は私たちを通してくれそうだった。門が開いて、馬車を発進させようとしたのだけど、ああ、やはり最後の最後。


「ああーう!」


「……!」


しまった!!


「ん? なんです今の声は?」


ダメだ! これじゃあ……


 衛兵が近づいてくる。やめて!


「ごめんね!」




「バキッ!!」




彼に恨みはないけど、衛兵を殴り飛ばした。


「くそ! 何をするんだ! こいつ、異教徒だ! みんな出てこい!」


彼が吹っ飛んだ隙に馬車は発進。私たちは開いていた門から強引に脱出することができた。

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