第207話

 シルバータさんの名前を出した途端、急に顔色が変わったレイア。


「ちょっと、今の話は本当? 本当に彼女が来ているの?」


「そうですよ。だってもとはといえば彼女の任務なんだから。いまも待合室にいます」


「ええ……それは困ったわね」


「なに? 顔でも知られてるんです?」


「分からない。あまり直接顔を合わせる機会はなかったから。けれど、そもそも彼女がマハジャに来ていること自体が不味いのよ。いけない、早く伯爵に伝えないと。ああ、どうせ乗り込んでくるのなら少将か中将くらいのものだと思っていたのだけど……」


レイアはあたふたしていた。


「この任務を放棄して帰るわけにはいかないし、だからといってシルバータ大将が来ていることはいち早く伝えないといけないし……」


どうしたらいいのか分からなくなってるみたいだ。


 ここに来る患者の症状を調べて帰るんだったな。そのくらいだったらカルテを何本か抜いて帰るだけでよさそうなものだが……


「レイアさん、じゃあさっさとこっちの任務を済ませちゃえばいいんじゃないですか?」


「それができてたら苦労してないわよ。私は新人だからって、診察室に入れてもらえないのよ。雑用か受付が関の山ね。これじゃあろくに調べることもできないわ」


新人には大事なところは任せられないっていうのは、集団じゃ当たり前の話か。


 そろそろ戻ろう。レイアは大変そうだけど、所詮は敵側の話だ。


「じゃあ、僕はそろそろ戻ります。シルバータさんが待ってると思うし」


「あ! 私がいたことは言わないでちょうだいよ」


「分かりました分かりました」


レイアと一緒に院内に戻って、彼女は仕事に戻り、僕は待合室に帰った。


 待合室に行くと、もともと僕が座っていた席、シルバータさんの隣には知らない人が座っていた。つばの長い帽子を被った男で、シルバータさんと話している。


「ああ、戻りましたかタイセイさん」


「あの……そちらの方は?」


「そうでした! 初対面なんでしょうか? こちら、元ニフライン首長のワイド伯爵です」


は?


 紹介された男は、帽子をくいっとあげて、顔を見せた。


「ああ……」


本当に、ワイド伯だった。どうして彼がこんなところでシルバータさんと話しているのか?


 状況が理解できなかった。どうしてこの二人が話しているのか?


「あの……」


「こんにちは、はじめましてだねタイセイ君。君のことは聞き及んでいるよ」


「はぁ……」


なんて言っていいか分からない。


「タイセイさん、彼が私といることに驚いているかもしれませんが、私たち知り合いなんです」


「まあ、同じ国の同じ軍隊にいたのだから当たり前だな」


そうか、ラメルの話を思い出した。ワイド伯はニフラインの首長になる前は軍人をやっていたはず。


「同僚、でいいのかな? 年齢的には上官と部下のはずなのだけど、あいにく俺と彼女の階級は差がなかったからね」


「先輩というところでしょう。こちらに来ているのは知っていましたけど、まさか病院で会うことになろうとは」


いや、昔はそうだったのかもしれないけど、今となっては軍人と罪人だろ? こんな間柄なら、レイアがさっきあんなに頭を悩ませていたのはまったく無駄だったか……。


「あの、こんなことを本人のまえで言うのもなんだかおかしな話ですけど、捕まえなくてもいいんですか?」


大目標が目の前にいるのである。この人さえ捕まえれば、そもそもこんな国を調査する必要もなくなるのだ。それなのにそんなに悠長なことを言っておいて大丈夫なのか?


「うーんと……私の今回の任務はあくまで調査ですからね。この人を捕まえる必要はないんですよ」


「そんなことを言ったって!」


「そもそもワイド伯の案件はブラックさんの担当ですからね」


そんな仕組みの話ばっかりして。さっさと捕まえればいいじゃないか!


 しかし、二人とも余裕で構えている。


「それに、私はまだこの方を見定めている途中なのですよ、タイセイさん」


「見定めている?」


「私、この人がただやみくもにこのようなことをしでかすような人ではないことを良く知ってます。だから、この人の行く末にあるものがどのようなものなのか、しっかりと評価するべきなのです。頭ごなしに否定するのはいけない」


「……」


「タイセイ君、君の思うところは至極普通のことだ。ただし、君はまだ知らない。俺と話そう」


ワイド伯は、さらに隣の空いている席をポンポンと叩いた。自分だけ立っているのも確かにおかしいので、言われるがままにそこに座った。


 ワイド伯は一人で話を始めた。黙って聞けということなのだろう。


「まずは、何から話そうか……そうだな。今目の前に起こっていることから話そうか」


時間がどんどん経っているというのに、患者は増える一方である。みんな同じような症状、熱と咳が出ている。


「これはね、俺が仕組んだことなんだ。俺たちが作った人工の病気をこのマハムンテに蔓延させた」


……やっぱりテロリストに違いないじゃないか!


「一体何のためにそんなことを?」


「この国を見てきただろう? どこに行っても神龍神龍、そればかり。その神龍とやらが何でも助けてくれると本気で信じていやがるイカレた国なんだよ。それだけならまだいいが、自分たちと同じものを信じない人間がいれば殺してしまう。そんな自分勝手なことが当たり前に許されているのはおかしいだろ?」


「それは僕も思いましたけど……」


つい昨日その場面を見ただけに、それは否定のしようがなかった。


「俺はこれを否定するのだよ。神が何でもできるだなんて下らない幻想をすべてぶっ壊してやるのだ」


「だから、病気を蔓延させて、龍には治せないことを証明しようとしたのですか?」


「なかなか察しがいいじゃないか」


「だとしたら、結局あなたがやっていることが一番苛烈じゃないですか!」


ついつい声が大きくなってしまった僕を、シルバータさんが黙ったまま噤んだ口に人差し指を当てていさめた。


 ワイド伯は、自信に満ち溢れていた。


「大丈夫だ、心配するなタイセイ君。この病気じゃ人も死なないし、薬も用意している。この薬を飲まなければ、延々と治ることのない弱めの風邪とでも思ってくれたらいい」


「人殺しはあくまでやらないということですか」


「そうだよ。俺たちだって、イカレたやつらと一緒になりたくはないからね」


あくまで正義としてやっているわけか。にしても、やはり引っかかる。


「そもそもどうしてあなたがそこまでするのです? ここは所詮外国でしょう?」


「確かにここはシャラパナじゃない。しかし、陸続きの国で、同じ人間が住んでいる。そこがこのような状態になっていては、放っておくことができない。なにもここだけじゃないんだ。この大陸のすべての場所を俺は気にかけている」


「どうしたいのですか?」


「ハハハ、急に取り留めのない問いが来たな。しかし大切なことだ。俺はなタイセイ君、人々を縛るものをまるっきり無くしてしまいたいんだ」


「ここでは宗教がそうなのですか?」


「そりゃ語弊がある。宗教が全部悪いわけじゃない。人の心を救うことだってあると思う。しかしね、このマハジャ教に限って言えば、邪教に違いない。ここの国民たちは、神龍とやらに心を縛られてしまっているのさ」


「あの狂気は確かに恐ろしいですけど……なんだか、伯爵には完全に賛成はできない気がします。理由ははっきりとしないけど」


「それはきっとまだ飲み込めていないだけの話だよ。時間が経てば、それかもっとたくさんのものを見れば、自然と飲み込めて来るはずだよ」


本当か? 道徳なのか不道徳なのか、よくわからなくなってくるような飛躍した話をされて混乱しているだけなのか?


 病院の患者は留まることを知らずに増えていき、待合の席はもうとっくに満員。立ったまま待っている患者も大勢いた。


「おっと、健康な俺たちはもうここにいちゃいけないね。早いところ出てあげないと」


「あなたが病気にしておいて、よく言いますよ本当。それじゃあ私たちもそろそろ出ましょうか、真相も分かったことですし」


僕たちは患者に席を譲るために席を立って病院から出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る