第206話

 結局、連れ帰ってきてしまった。僕とシルバータさんが赤ん坊を連れて帰ってきたものだから、ドウランが驚いたのは言うまでもない。


「お前たち、いつの間に!」


「違うって」


「認めろ! そして責任を取れ! さもないとタイセイ、お前は正真正銘のクズになってしまうぞ!」


「だから違うってば!」


「この子、身寄りのないところを拾ってきたんですよ」


あのまま放置していたら、そう遠くないうちに赤ん坊は死んでしまっていたことだろう。


 赤ん坊には名札がついていた。残していった家族が、善意の第三者に拾ってもらえることに一縷の望みをかけて、つけたのだろう。


「ハモニカという名前の子らしいです」


「もっとちゃんとしたところに届けた方がいいんじゃないのか?」


「きっと殺されてしまうでしょう。この子は自我がまだなくとも、異教徒だと判断されてしまいます。あの白服さんたち、子供にも容赦しないみたいですから」


「なんかよく分からないけど、曰く付きの子どもってことか」


「ええ、この子にとってちゃんとしたところなんて今のところはないんですよ」


赤ん坊は僕の腕の中で眠っていた。


 しかし、この異教徒家族の赤ん坊も見つかれば追われる身なわけである。その子が僕たちお尋ね者のもとに転がり込んでくるなんて、同じ運命が絡まり合っているかのようだ。


「あら、この子の首、何かが巻かれていますよ?」


「本当だ」


布に隠れていて気づかなかったけど、何かが巻かれている。紙にくるまれて、帯状になったものが結ばれているのである。


「何かな?」


「外してみます?」


「なんだか、勝手に見ているようで気が引けてしまいますけど、見ちゃいましょう」


紙をそっと首から外し、机の上に。


「じゃあ、さっそく……」


紙の端を爪先でつまみ上げて、クルクルと剥がしていく。


 中に隠れていたのは、ネックレスのようだった。


「赤ん坊にこんなものを付けるだなんて、危ないですね」


「なんだこの石?」


ネックレスの真ん中には、真っ黒な石がついていた。どこまでも黒く、もはや黒光りさえもしないほどの漆黒である。


 何か、あの家族が信仰していた宗教にとって大事なものなのだろうか? だから、紙に包んで隠してまで、赤ん坊と共に置いた。


「ただのネックレスではないらしいのですが」


「全くの正体不明ですね」


ただのアクセサリーではないことだけは明らかだ。


 下手に何かできないな。捨てるのなんてもっての外。


「これはこの子のものですし、しばらくの間はただ預かってるだけにしておきましょうか」


ネックレスは、紙に包み直してシルバータさんが懐にしまった。


 翌日のこと、また何もない平静の街を当てもなく調査するのかと思っていたのだが……


「なにやら静かすぎないか?」


夜が早いこの街も、流石に昼にはこの人口の分だけ人の往来が多いはず。にもかかわらず、今日はやけにそれが少ないのだ。


 シルバータさんも何か感じているようで、


「これは、ちょっとおかしいですね。街全体の空気が重いですよ」


「事情が分からないことには何のことか全く分からないですけど、なんだか変ですよね」


赤ん坊とドウランだけをまた宿に残して二人で外に出た。ドウランはかなり不満そうにしていたけど。


 街を行く人は別に落ち込んでいるわけでも、変に喜んでいるわけでもなかった。ただ日常の中にいる。違和感があるのはむしろ背景の方。この街の空気がどこか澱んでいる。


「うーん、ただの勘なんですよね」


「でも二人で同じ感覚を味わったんですから、きっと何かあるはずでしょ?」


「私たち、心が通じ合ってますからね? ふふっ」


「あはは、そうかもしれません」


静かなお陰でシルバータさんは機嫌が良さそうだ。今日は耳栓を外している。


 だが、静かな町の中で、ひとつだけ騒がしい通りがあった。


「あそこ、人が集まってますよ?」


「気になりますね。行ってみましょうか」


人混みに近づいてみると、すぐに事態は飲み込めた。集まっている人々は野次馬なんかではない。


 人混みが向かう先は、病院だった。この首都・マハムンテにも病院がいくつかあるわけだが、そのうちの一つだ。そこにみんな殺到しているのである。


「こんなに一斉に病院に向かうことって……」


「おかしいですね。これが違和感の正体でしょうか」


人々は付き添いで、病人を連れていた。


 病人の症状は重いらしく、もはや一人では立って歩けないほど。みんな顔が赤くなっているところを見ると、高熱も出ているようだ。


 みんな病院の中に入っていく。


「私たちも入ってみましょうか?」

 

「ええ、そうですね。どんな症状ってことにしておきます?」


まるっきりの健康な人間が診察に来るのはちょっと不自然。


「うーんと……恋煩いってことにでもしておけばいいんじゃないですか?」


「ふざけすぎですよ、シルバータさん」


「あれ? だって病気ですよね?」


「え……もしかして、恋煩いっていう病気があると思ってます?」


「ないんですか?」


……天然かよ。


 普通のかぜということにして、二人で病院に入った。院内は、さらに大勢の患者たちでごった返している。しかも、示し合わせたかのように、みな同じ症状のようだ。


 これは、自分たちの番が来るまでにどれだけの時間がかかるか分からない。仮病だから、自分たちの番が来てもかなり困ってしまうのだけど。


 病院は、かなり清潔、当たり前なのだけど大切なことだ。ホルンメランにある病院よりも雰囲気が元の世界の病院に近い。待合室なんて、特に懐かしい感じがする。


 待っているうちに、トイレに行きたくなってきた。


「すいません、お手洗いに行ってきますね?」


「分かりました」


席を立って、しんどそうな患者たちの前をそろそろと抜け廊下に出た。


 看護師の人たちも忙しそうに働いている。油断しているとぶつかってしまいそうなほどだ。まあこれだけの患者が殺到しているのだから、仕方ないな。


 ところがそんな中に、一人だけ全然働いていないナースがいた。一見して何か運んでいるように見えるけど、全然動いていないから、周りと見比べると一目瞭然である。


 気になって近づいてみると……驚いた!


「あれ? レイア准将?」


この前にも顔を見ていたから、すぐに気づいた。この人はニフラインのレイア・グレル准将だ!


 向こうもすぐに僕のことがわかったようで、驚いていた。彼女は焦った表情で僕の口を手で押さえた。


「ちょっと! 准将はやめてよ! 私は今新人ナースってことになってるんだから!」


なるほどな、この人も潜入しているのか。ワイド伯の一行がマハジャ教国にいるというのは、ひとまず本当だったらしい。


 しかし、どうしてナースなんてやってるのだろうか? さっきも見ていてわかる通り、まったく仕事ができていないっていうのに。


「タイセイさんといったね。どうしてこんなところにいるのかしら?」


「自分だって怪しいじゃないですか。聞くのならまずは自分から話しましょうよ」


「……そうね。と言っても、話せることはあまりないわ」


患者と立ち話をしているところを見られるわけにはいかないので、人目のつかないところに行った。あと、ちょっとの間トイレの時間は待ってもらった。


 病院の裏口から出たところで、レイアは自分の任務のことを話し始めた。


「わたしにも、これがなんの目的なのかは分からないのよね。ただ伯爵がここでどんな症状が多いのかを調べてこいっていうものだから、来てるって感じ」


「そしたらどうしたことか、タイミングよく病人が殺到したっていうわけですか……」


もしかして、あの病人たちの症状は、作為的なものなのか?


 レイアはあくまで深いところの事情は何も知らないらしい。


「それ以上のことは何も分からないから、聞かないでちょうだい。次はあなたが話す番よ」


僕の事情も、あまり隠す必要はないか。どうせワイド伯にはそれくらいのことは分かっているはずだし。


「潜入任務の付き添いで来たんですよ」


「誰の付き添いなのよ?」


「シルバータさん」


「え……シルバータって軍部の?」


「ああそうだね、軍人の」


レイアの顔が急に引きつった。

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