第204話
〜マハジャ教国、マハムンテ某所にて〜
伯爵のお考えになることが今までで前もって分かったことなんて一度たりともなかったわけだが、今回はとりわけ意味がわからないね。
「ミラージュ……」
「なんでしょうか?」
「お前はさっきから退屈そうだが、もう少し愛想良くは出来ないものか? 仮面を被るのはお前の領分じゃなかったのかね?」
「仮面もあまりの時間の長さに干からびて落ちてしまったのでしょう」
「大した日数は経っていないだろうに」
おかしなことをしているのは伯爵閣下の方だというのに。
このマハジャに来てからというもの、伯爵は特にこれといった動きをしていない。驚くほどに平穏な日常を過ごしているのである。
私としては本当に退屈だ。何もない、時間だっていくらでもあるわけではなかろうに、何もしていないのだ。退屈な上に、少し焦ってきてしまう。
「しかし、大事なことなのだよ、ミラージュ」
「どう大事なのかを教えていただきたいですな」
「それは……まだ秘密だな。ともかく我々はもっとこの街に溶け込むのだよ。経典だってちゃんと読んでおくんだぞ?」
「……承知しました」
厄介なのは、私たちもこの国の中ではマハジャ教の信者にならなければならないということだ。おかげで変な儀式をさせられたり、こんなに分厚い経典を延々と読まされたりしている。私はこんなことをするためにここに来たわけではないのに。
しかし、そんな中でも伯爵はひとつだけ変わったことをしていた。
「さて、今日も様子を見に行こう」
「今日もですか?」
「ああ、毎日進捗を見ておかなければならないからな」
そう言って、伯爵は毎日町外れに行くのだ。
その目的は、ある寂れた研究室に閉じこもった、これまたくたびれた一人の老人。と言っても、人間感覚の話だから私よりは年下なのだけど。
ともかく、伯爵はその老人に用があるのだ。
「もし! いるかい?」
「ああ……」
無愛想なものだ。まあ変に明るくても気味が悪いからいいか。
返事を聞いて、伯爵はドアを開けると、少しイヤな音がした。
「なかなか進んでいるようじゃないか、ブラフマン」
この老人の名前はブラフマンという。この旅の中で伯爵がスカウトしたらしい。
最初聞いたときは、無理矢理連れて来たとばかり思っていたのだけど、どうやらそうではないらしく、ブラフマンは伯爵の思想に賛同して付いてきたらしい。
「ああ、もうすこしだよ伯爵。まもなく注文通りのものが出来上がるからな」
「さすがだな。俺が見込んだだけのことはある」
「伯爵が見込まなくても儂は世界一に決まっとるよ」
口の減らないジジイだな。
しかし、悔しいことにこの爺さんの言っていることは間違いなく本当だ。ブラフマンは天才も天才、名前こそ知る人ぞ知るという程度の知名度だが、この世界にある魔道具のほとんど全てはこいつが作ったというのだ。
伯爵もとんだやつに目をつけたものだ。それで本当に連れてきてしまうのだから凄いよ、本当。これが彼のカリスマというやつか。
「明日にはできるかい?」
「そんなに逸ってはいけないよ、伯爵」
「しかし君は急がなくてはならないのじゃないかね?」
「老人だからって変な気を回すもんじゃないよ。……明日にはできる。今日と同じ時間にここに来てくれ」
「ああ、分かった」
ほっ、よかった。この釈然としない謎のやり取りも明日で見納めになるのか。自分だけ事情を知らない空間にいるのはしんどいからな。
伯爵曰く、作戦を知るのは最低限でいいとのことだ。だから、今回は参謀たる私にさえも知らされていない。徹底した秘密主義だ。知らされないことに対しては、不満がないわけじゃないが、これこそが伯爵の強さの秘密なのだ。
伯爵がブラフマンのためにわざわざ用意した即席の研究室から、街中へと戻るとまたさっきのような退屈なことをしなければならない。
「さて、午後は子供たちと遊ぶぞ」
「はい?」
「街の住民は大人だけじゃないんだぞ。子供たちとも交流を持たなければなるまい」
だから、どうして交流を持たなきゃいけないかが分かってないんだよ私は!
しかし、どんな不可解であったとしても、伯爵のすることだ。何かしらがあるのだと信じるしかない。子供たちが集まっている施設に行くと、もうすでにジャンとレイア、それにラメル嬢が子供たちと戯れていた。
こういうのは彼らみたいに若い方が得意だろうに。私みたいなのがいたところでしょうがな……
「おじさん、おめめキレイ!」
突然言われて動揺した。下を見ると小さな女の子が一人。
「そうかい? ありがとう」
「ねえ、どんなものが見えてるの?」
「ええと……」
なんて答えればいいのやら。すると伯爵が私の肩を持って
「お嬢ちゃん、このおじさんの綺麗な目はね。みんなの幸せな未来を見るためにあるんだよ。この綺麗な目にふさわしい良い未来を」
また適当なことを言って……。
少女は正直ピンときていなかったようだけど、伯爵がニコリと微笑むと、それに彼女も笑顔で返した。
「ほら、みんな遊んでいるよ。君も混ざらなくていいのかい?」
「うん、遊んでくる!」
クルッと回って少女は他の子供たちの中に戻っていった。
ふと、伯爵は何かに気づいたようでラメル嬢の元に。
「ラメル、聞きたいことがあるのだが」
「はい、なんでしょうか?」
「毎日遊びに来ていたあの髪の長い男の子、今日は来ていないようだが、知らないかい?」
伯爵が聞いた途端に、ラメル嬢の顔が曇った。
「あくまで聞いただけなのですが、亡くなったそうです」
「なに?」
「子供たちに聞いただけでなくて、保護者の方々にも何人かお尋ねしたのですが、みんなそう言っておりました」
「どうして亡くなったんだ?」
「彼の両親がマハジャ教の信者をやめようとしたらしく、それが見つかって一家皆殺しにと……」
おいおい、改宗しようとしたのは親だろう? それなのに子どもまで殺してしまうっていうのか?
「そうか……残念だ。俺はこの宗教の恐ろしさを計り損ねていたらしい」
伯爵は苦い顔をしている。
この国は、どこかおかしい。宗教があるから? いや、そういう問題ではないようだ。一見して、こんなにも穏やかな日常が流れているように見える。しかしその裏では簡単に人が殺されている。この二面性に住民たちは気づいたうえで納得しているというのか?
戦争なんかじゃない。兵士同士が戦って死んでいるのではない。日常の些細な中で、この国は人民を殺してしまえるのである。
「今日は、もう帰ろうか」
「いいんですか?」
「そんな気分じゃない」
この人は、本当に繊細な感性を持った人だな。とても国をひっくり返そうとした張本人には見えない。いや、逆か。その感じすぎる心がワイド伯を動かしているのだろうな。
その日は、グレル姉弟とラメル嬢を残して、私たちは借り受けている屋敷に戻った。そして伯爵は自室にこもってしまった。全く、何を考えているのやら……。
翌朝、何事もなかったかのように伯爵は快活だった。あまりに明るく振舞うから、こちらの調子が狂ってしまいそうだ。
「どうしてそんなにはしゃいでいるんですか?」
「そりゃあ今日こそが運命の日だからさ。この国は今日から変わり始める」
「何を言っているのか全くつかめないのですが」
「じきに分かるさ」
伯爵は意気揚々と屋敷を飛び出していった。
ついて行くと、伯爵が向かった先は、またあのブラフマンの研究室。またここに来るのかという、若干辟易とした気持ちと、ようやくここに来ていたわけを知ることができるという高揚とが混在している。
扉をノックして、また伯爵が声をかけると、中からは再びやる気のない無愛想な返事が聞こえてきた。
「できたかい?」
「ああ、問題なく。はっきり言って完璧だよ」
「それならよかった」
「これだよ」
ブラフマンは自信が完成させた何かを机の上に出した。
「缶?」
見た目はただの缶だった。それが五つほどあるのである。
「これの効果はちゃんと?」
「ああ、死にはしない。そこが大事なんだろう?」
「そのとおりだ……」
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