第203話

 自分がけしかけておいてなんだけど、あまりのことに状況を忘れて数瞬間その場に立ち尽くしてしまった。これは災害か何かなのかしら? 私たちが敵を殺すのとは明らかに異質の衝撃があった。


 しかし、本当に驚いたのは私なんかじゃなくて周りの人々。特にマハジャ教の信者の人々は混乱していた。


「きゃああああ!」


女の人の金切り声が響くと、それが余計に人々のパニックに拍車をかけた。


「蛇が人を襲ったぞ!」


「どういうこと? 白蛇さまは人間を襲わないんじゃないの?」


ハッとして、周りの状況とは対照的に、私は正気を取り戻した。


 概ね狙い通りになったな。人々の信仰に穴を開けるのには十分すぎるほどの出来事になっただろう。喰われた白服は気の毒だったけど、どのみち侵略者だし、自業自得といったところだ。


 白蛇は口周りだけが赤く染まっている。しかし、まだ腹を空かしているようだった。白服一人だけでは足りなかったらしい。相変わらず私を狙ってくる。


「さて、次に行かなくちゃいけないのは!」


私は方向転換、街の中心の方に走った。


 街の中心には、屋敷が並んでいる。上流階級の人間たちが住んでいるエリアだ。そして、私が目指す先はただ一つ。チーリンの屋敷、もといマハジャ教の教会だ!


「見えた! あそこに突っ込もう」


チーリンはどんな反応をするかな? きっと無邪気に喜ぶに違いない。なんせ自分が信じている神の使いが目の前に現れたのだから。


 チーリンの教会の門が広かったのが助かった。白蛇も難なく入ることができたので、まっすぐに教会の扉の前にいく。


「チーリンはどこにいるの?」


見回してみても、チーリンはいない。どこかな? もしやまた教会の建物の中で怪しげな儀式をしているのか?


「うーん、ちょっとためらっちゃうけど、行くしかないか」


扉を突き破って、私は教会の中に入った。この扉も大きいので、細長い大蛇は中に入ることができる。


 中には案の定チーリンがいた。前に来た時と同じように中央奥の方で突っ伏していた。扉を突き破る音があまりに大きかったので、儀式の最中のチーリンもさすがにこちらを振り返った。


「何事です!」


「ごきげんよう、チーリンさん」


「……! それは……」


開いた口が塞がらないという様子だった。それもそうだろう。今彼が見ているのは、私というよりも後ろから来ている白い大蛇なのだ。


 さすがにマハジャ教の中に出てくる神の使いでも、いざ目の前にすると一瞬こういう反応になってしまうんだな。


「大丈夫ですか、チーリンさん。言葉が出ないようですけど」


とは言うが、実際大丈夫じゃないのは私の方だ。この狭い建物の中を逃げ回らなくてはならない。さっきから白蛇がずっと狙っているのは私なのだから。


 チーリンはようやく正気を取り戻してきたようで、次にその顔に浮かんだのは、恍惚と喜びの感情だった。


「おお……まさか私の前に姿を現してくださるとは……」


やはりさすがは信者である。白蛇の襲来を心から喜んでいるようだ。私が絶賛襲われている最中ということに気づいていないらしい。


 いや、どうやら都合のいい解釈をしているようだ。


「ああ、この異教徒めを自ら懲らしめるために来てくださったのですね。白蛇様は私たちマハジャ教徒に寄り添ってくださっているのだ!」


随分と勝手なことを言う。少し腹が立ってしまったな。


 しかし、能天気なものだ。自分はマハジャ教を信じているからといって、絶対に襲われないものだと、心の底から信じ切ってしまっている。このおじさんはかなり強く揺すらなきゃ目を覚まさないだろうな。


「あなたね、蛇が宗教の違いを分かっているわけないでしょ?」


「それだから君は信仰心が足りないと言っているんだよ、小娘! 白蛇さまはその傲慢な態度にお怒りなのだ! まだ遅くない、君も信仰に目覚めたらきっと白蛇様は許してくださる。白蛇様は慈悲深いのだから」


アホな講釈に付き合うのはうんざりだよ。どれだけ信心深くたって、美味しかったら食べられちゃうのだから、全く無意味な話だ。


「じゃあ、あなたの信仰心っていうのはどれほどのものなんでしょうね?」


私は自分の体についている肉のうちの1枚を今度はチーリンに投げつけた。


 突然飛んできた肉塊を避けることができずに、チーリンは肉を頭に載せてしまった。


「うわ! なにをするんだね!」


「さて、慈悲深い白蛇なら信仰しているあなたを襲わないはずだけど、どうでしょうね?」


私と違って動かない的ができたのだ。白蛇はもちろんそちらにターゲットを変えた。




「シャァァァァァァ!!」




白蛇はチーリンに飛び掛かった!


「な! ちがいます白蛇様! 私ではありません、無礼を働いているのはあの小娘の方です!」


くそ、めちゃくちゃムカつくな。でも、彼にはここで死んでもらうわけにはいかない。なんていったって、この男はあの白服と違ってシャラパナの国民なのだから。




「ガチン!!」




「ふぇ?」


「ほら、ぼーっとしないで、後ろに下がっていてください! ……くっ!」


すごい力だ。この巨体だからなんら不思議じゃないのだが、これはあの白熊以上だな。


 白蛇は、私よりもチーリンの方がチョロいと判断したのか、完全にターゲットを彼に変えていた。これは誤算だ。この男を守りながら戦わなくてはならないのは少々骨が折れる。


「チーリンさん! 死にたくなかったら、早く外に脱出してください!」


「あ、ああ」


「早く!」


尻を蹴り上げると、チーリンはようやく立ち上がって建物から出ていった。


 白蛇はすぐさま、チーリンを追うが、させるわけにはいかない。


「通さないよ。もう君はお役御免なんだから、おとなしくしてくれ」




「シャァァァ!!」




「ドスン!」


「おっとっと」


正面から受けると体を吹っ飛ばされてしまうな。これは人間の手練れとやるときよりもきちんと考えて臨まなくては。


 しかももう一つ厄介なのは、この蛇は殺さないようにとマーベルさんから言われていることだ。気持ちは分かるけど、ちょっと無茶を言いすぎじゃないか? こんなのを生け捕りにする余裕なんて、今のところは全くないよ。


 蛇に押されて、私も教会の外に出た。後ろを振り返ると、チーリンはまだ敷地の中にいた。


「あのおじさん、足が遅すぎるよ!」


肥満体型だから仕方ないのかもしれないけど、あれじゃ私がいなかったらすぐに捕まってしまっているだろうね。まあ私がいなければ最初から彼が狙われることもなかったのかもしれないけど。


「どうしようかしら、街中に誘導することもできないし、ここで足止めするには……」


こんなに大きい相手をここにずっと留めておくのは、正直言ってかなり困難だ。どうにかならないか……


 教会の敷地の外から、激しく回る車輪の音が聞こえてきた。ああ、どうやら私は独りじゃなかったらしい。


「無事ですかー!」


颯爽と現れたのは、マーベルさんとレインの乗った車、それとルビーちゃん。


 ルビーちゃんは私と白蛇の間に割り込んだ。


「ルビーちゃん!」


「シャァァァァァァ!!」


力の強さは正直なところ、ルビーちゃんよりも白蛇の方が勝っているのだが、ルビーちゃんが白蛇を威嚇すると、不思議と白蛇は大人しくなってしまった。母は強し……というやつなのかな?


 マーベルさんとレインは、車から降りて荷車を引いてきた。そこに乗っているのは、大量の肉たち。


「ごめんな、ずっとお預けさせてしまっていて。ほら、好きなだけ食べな」


荷車は白蛇の前まで運ばれてきて、それを見た白蛇は目の色を変えてそれに食いついた。


 しばらくの間、夢中で肉を食べ続けた白蛇は、荷車の中身をすべて平らげてしまった。


「おい、君たち。すごい騒ぎになっているじゃないか!」


走ってきたのはノース子爵。子爵はでっぷりしている割に速く走れるんだ……。


「ええ、でも大成功です」


「どんなマジックを使ったのか、じっくり聞かせてもらおうじゃないか」


その後、私たちは子爵の屋敷に戻って、休養兼事情聴取となった。


 



 翌日にはもう白服たちの姿は町になかった。すでに北へと逃げ帰ったのだろう。だが、まだマハジャ教の香りは根強くある。一度侵入を許してしまったのだから、完全に消し去ってしまうのは難しいだろう。


 ベルスニーチェでグレル姉弟とした話を思い出した。一体ワイド伯はどうやって宗教を否定してみせるのだろうか……。

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