第202話

 ルビーちゃんに助けられた。車の中に入った私たちは、全力で山を下りていく道すがら、確保しておいた槍先の熊の血を試験官に垂らしていた。


「さすがですね、少将は」


「ギリギリでしたよ。やはり殺してはいけないなんてのは想像以上のハンデなんですね。血の量は十分でしたか?」


「ええ、これでやれます。あとは試してみるだけだ」


穴を抜けたあと、白熊はしばらく私たちを追ってきているようだったが、ルビーちゃんの方がはるかに速いので、あっという間に振り切ってしまった。


 山の麓に来たところで、車を止めた。車内には配合マシンがあり、ルビーちゃんもいるわけだから、ここで配合を始めるらしい。


「街中で生まれるよりも、外から襲来した方がそれっぽいでしょ?」


とのこと。たしかに街中でとつぜん白い蛇が現れたとしても、人為的なものの存在を疑われてしまう。白い蛇はあくまでも野生という体でなければならないのだ。


 配合マシンに、ルビーちゃんの血液と、さっき採った白熊の血液をセットした。マーベルさんが慣れた手つきで機械を動かしていく。


「おお、問題ないみたいです。しっかり動きますね。クロードくん、そっちの方を見ておいて」


「分かりました」


レインも、しっかり働いている。まあ当然と言えばそうなのだけど、彼の普段の雰囲気を見ていると、こんなふうに真面目にやっているのが意外。


「よし、じゃあスタート」


機械がウォンウォンと鳴り始めた。


 しばらく三人とも無言で機械を見つめていると、やがて動きは止まった。


「終わりました……」


マーベルさんは、機械の真ん中にある扉に手をかけるとゆっくりとそこを開いた。


 中からは……


「え、ちっさ!」


レインが思わず声をあげるのもうなずける。機械の中にいたのは、確かに蛇は蛇だったのだが、かなり小さかった。


 マーベルさんが優しく取り上げると、蛇は綺麗に彼の手のひらに収まった。


「ちゃんと白いですよ!」


確かに、白くはあった。そこは狙い通り。しかし……


「でもこんな大きさじゃ、到底大蛇とは言えないですよ!」


手のひらサイズの蛇は、誰の価値観から言っても大蛇ではない。まあ、確かに人を襲うってことはなさそうだからそこは白服の話と全く矛盾していないわけだけど。


 しかし、マーベルさんはそんなことまるで問題にしていない様子。


「大丈夫ですよ。この子はまだ子供ですから。成長させてみたら大きくなると思いますから」


「それにしても小さくないですか? これじゃ成長したとしてもたかだか知れてますよ」


「それがそうでもないんですよ。それに、そもそもあのルビーちゃんと白熊の子ですからね。大きくならないわけがないんですよ」


こっちだけが心配している感じ。「見ていてください」といって、マーベルさんは別の機械に蛇を持っていった。


 蛇をその機械に入れると、マーベルさんはスイッチを入れた。また機械がウォンウォンと鳴り出した。少し時間が経つと、機械の可動部が大きく膨らみ始めて、モゾモゾと動き始めた。申し訳ないが、かなり不気味だ。


「よし、頃合いだ」


といいマーベルさんは、レインに指示を出して二人で機械の扉を開けた。扉が開いて、中からスルスルと出てきたのは……


「ええ! とんでもなく大きい!」


先ほどの姿からはまったくそうぞうできないほどに巨大な蛇が現れたのだ!


 正直全く期待していなかったから、とても驚いている。


「ほら、ちゃんと大きくなったでしょう?」


「ええ、本当に……」


そして、その白い体は、山の雪よりも純白で、太陽のもとにあっても冷たい雰囲気を漂わせていた。シャープな顔つきは、ルビーちゃんと似ていて、体の雄大さは白熊譲りといったところか。ともかく、申し分のない白い大蛇が私の目の前にいた。


 これを今から連れていくのだが、実際かなりリスキーな作戦である。あの白服たちの話を矛盾させるためには、この蛇に暴れてもらわないといけないのだけど、そうなると、ゴースの住民たちに被害が及んでしまう危険性がある。それは絶対に避けなければならない。


「この子のヘイトを私にしか向けないようにするっていうのは可能なんでしょうか?」


「うーん、動物ですからね……言うことを聞いてくれるわけではないですし」


やはり難しいか?


「あの、ちょっとパゴスキー少将にはしんどいかもしれませんけど」


レインがなにか言い出した。


「言ってみてください。私だって大抵のことならやってのける覚悟がありますから」


「じゃあ、いいますけど。パゴスキー少将の体に肉の匂いをしみ込ませればいいんじゃないですか?」


「は、はぁ……それでうまくいくものなのでしょうか?」


「その蛇がお腹空いているときにやれば効果てきめんでしょう。お腹空いているときに目の前に肉の匂いがあったら、飛びつくに決まってます。あとはその餌を捕まえるまで止まりませんよ」


「なるほど、確かに私がしんどいかもしれませんが、やる価値はありそうですね」


餌呼ばわりされるのは癪だけど、案外これがいいかもしれない。




 まあ、もっとも私よりもこの白蛇ちゃんの方がさらにしんどい。なにせ、今からゴースについて色々の作戦が終わるまでは断食していなければならない。


「今日の間は協力してね」


今のところはおとなしい。


 ゴースの門の前に着いた。だんだんと蛇がうるさくなってきている。やはり腹が減ってきているらしい。ちょうどいい頃合いだ。


「よし、それじゃあ食糧として持ってきていた豚肉を塗ったくっていきましょう!」


レインは無神経に私の服にペタペタと豚肉を貼り付けていく。作戦上必要な作業とはいえ、なんだか腹が立ってくる。


 匂いはこの人間の鼻でもかなりキツイ。もうこの軍服は着れないな。帰ったらまた新しいのを支給してもらわないと。


「よしよし、これで立派な肉ダルマですよ!」


「ふざけたこと言ってるとあなたもこの肉の中に加えますよ?」


「それは勘弁してください……」


鏡があったら見てみたいな。きっと素っ頓狂な格好をしているのだろう。


 肉をつけたときからすでに勝負は始まっていた。当たり前だ。もうとっくに肉の匂いは漂っているのだから、白蛇がそれに反応しないわけがない。


「町の中に逃げ込んで!」


そうだ、もともとはこの蛇を町の中に連れ込んで暴れてもらうのが目的なのだ。的になっている私が門をくぐらなければ。


 普段は手続きがいる門も、今はそれどころではない。門の衛兵たちの視線は、私にではなくてその後ろから来ている蛇に注がれていた。


「おい! 白くてデカい蛇がこっち来てるぞ!」


「止めろ! 止めろー!」


「無理に決まってるだろあんなの!」


早くも混乱している。なかなかいい反応だ。私も少し演技をしておくか。


「きゃー! 助けてー! 白い大蛇に襲われてるのー!」


いかにもか弱い感じの声で叫んだ。


 門を何の障害もなく抜けると、そのまま町の中心。いきなり人が多くて助かる。


「助けてー! 白くて大きな蛇から襲われてる!」


すぐに人々は混乱に陥った。ここまでパニックになるとは思わなかったな。今のところ蛇は私だけを追っているようだが、他の人々が巻き込まれないようにしなければ。


 人々が逃げ惑う中、白蛇を恐れることなく道の中央に出てきたのは何人かの集団。白服たちだった。


「皆さん、心配しないでください、この白い大蛇は、神龍が我々に遣わしてくれた使いです。決して皆さんを傷つけるようなことはありませんから、どうか安心してください」


そう叫んでいる。そんなアホな話があるもんですか。まあ見ておきなさい、ゴース市民たちよ。これが真実だから。


 私は、蛇と私の行方に立ちふさがっている白服たちのなかの、先頭の男に対して私の服についていた肉のうちの一枚を投げつけた!


「え? 肉?」


理解する暇もなかった。私と違って、動かない男に肉がついたのだ。もちろん蛇は彼を餌だと認識する。そして次の瞬間……




「ガシュ!!」




蛇は思いっきり頭から白服の体にかぶりついた! 容赦なく食いつかれた白服の体は一瞬で動かなくなってしまった……。

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