第201話
ゴースの山になんて、仕事じゃなければこんな冬に絶対来ない。寒いし、そもそも危険だ。
「白い熊がいたとして、どうするんですか? 捕まえておくことも出来ないでしょうし」
「血さえ採れればいいんで、気絶させてください」
「そんな簡単に……」
熊だよ? そんな人間みたいにいかないよ。
でもやらないという選択肢はすでになく、私は二人と一緒に山行きの車に揺られている。
「洞穴に棲んでいると子爵はおっしゃっていましたね……」
マーベルさんはその洞穴を探すように窓から外をキョロキョロと見回しているけど、まだ麓を過ぎてすぐなのだから、流石にないだろう。気持ちが逸っているのかな?
そう言う私も、一応槍をすでに持っている。突然熊が出てきたときに対処することができるように。
野生の熊を退治するという仕事は、前にも一度したことがある。行く前までは、正直言って侮っていた。別に人間と斬り合うわけではないし、ほんの雑用のような軽い仕事と決めつけて臨んだのだが、それは大きな間違いだった。
熊は恐ろしかった。人間の兵で構成された小隊一つを相手にしているよりもよほど手強かったのだ。私は無事だったけど、武装している仲間の兵が何人か怪我を負ったのを覚えている。
その経験があるから、今回は侮ることなく、むしろ緊張している。
「洞穴、洞穴……あれれ、どの岩壁にもそんな穴は見えませんけどね?」
「たしかに……」
見渡す限りは、綺麗に切れた岩壁ばかりが並んでいる。穴どころか、凸凹さえもあまりない。
子爵が嘘っぱちを言うなんて思えないが、これは一体どういうことかな? 熊どころか、動物自体が全く見えない。時折ふぶいている音が聞こえてくるだけ。
「この吹雪の中だから、もう外には出ていないんじゃないですか?」
「どっちみち、洞穴を見つけ出すしかなさそうだよね」
二人は何でもないように言うけど、探すためには車の窓を開けなければならない。正直言って、寒いし雪が入ってくるからもう閉めてしまいたいっていうのに。
相変わらず、穴なんてどこにも見えない。これで何も見つからなかったら、全くの無駄骨を折ったことになってしまうのだから、それは避けたいところ。
何とかしなければと、3人で必死に窓の外を、目を凝らして見ていた時……
「ガタン!!」
車体が大きく揺れた。横に揺さぶられたというよりは、下に落ち込んだという感じ。
「車輪がはまったんですか!」
どこかの溝に車輪がはまってしまって進まなくなってしまったのだろうとはじめは思ったのだけど、そうではなかった。いったん落ち込んだ後も、車体は沈み続けるのだ!
「つかまって! この車下に落ちていきますよ!」
とっさに車内の椅子につかまると、その直後に車体は一気に下に落ちた!
「ドスーン……」
まあまあの衝撃だった。頭は打たなかったから全然大丈夫だけど、状況が分からない。今の今まで雪道の上を車で走っていただけなのに、どうして急に下に落ちたのだろう?
「お二人とも大丈夫ですか?」
「うーん、一応は」
「ところどころ打っちゃいましたけど全然平気です。それにしてもここはどこなんでしょうか?」
窓の外を見ても、真っ暗で何も見えない。
目が慣れてくるまで待つのも危険なので、ここは私の槍に頼ることにした。
「ボォォォ!」
この槍はこういう使い方もできる。槍にとっては本意ではないだろうが。
槍の穂先から出た炎は暗い周囲を明るく照らした。見えてきたのは、陰影にくまどられたゴツゴツの岩壁面。どうやら自然にできた空間のようだ。
「ひょっとしたら、ここが言ってた洞穴なんじゃないですか?」
「確かに。下にあるのなら、地上の岩壁をいくら探しても見つからないわけです」
洞穴が見つかってくれたのはよかったけれど、これは予想外だったし、心臓に悪い。子爵も教えてくれていればよかったのに、不親切だな。
洞穴は奥にうねりながら続いている。この先を行けば、目的の白熊に会えるというのだろうか?
「先、行きましょうか?」
「そうですね、少し危ない気もしますけれど」
「虎穴ならぬ熊穴にいらずんばってやつですね」
子供というよりは本体の方が欲しいんだけどね。
私たちは、蛇のルビーちゃんとはぐれてしまったこの車を降りて徒歩に切り替えた。槍の穂先から出る頼りない炎にすがって先に進んでいくと、洞穴は迷路のようになっていた。道が幾つかに分かれているのだ。
「どっちに進みます?」
「熊がいるんだから、狭い道はありえないでしょう」
「ああ確かに」
人間がやっと通れるような広さの道は、熊が通れるわけがないから、自動的に消去される。
「熊が通れそうなのは……」
一番広い道を選んだ。
「そんなこと言って、パゴスキー少将は狭いところが苦手なだけじゃないんですか?」
「あら、じゃあレインさんはそこの鼠の巣みたいな穴から行っていただけます?」
「あはは……遠慮しときます」
その後も何度か分かれ道があったけれど、あまり迷わなかった。熊の通れるような道はかなり限られており、ほぼほぼ一択だったのだ。
そして、道を進んでいくと
「グォォォォ」
と聞こえてきたのは獣のうめき声。
「これがおそらく……」
「そうですね、熊の声です。もう近くにいますよ。お二人とも心の準備をしてください。油断していると、やられてしまいますよ。いくらただの動物だと言っても、かなり凶暴なはずですから」
「言われなくても、僕たちだって動物とかなりの回数接してきていますから。心づもりはできているつもりです」
「それならよかった、さあいよいよです」
いざ会敵といったところ。向こうは私たちのことを見た瞬間に餌か敵だと思うだろう。出会った瞬間に戦闘になることは避けられないはずだ。
曲がり角、わずかに届いた炎の光が熊の姿を照らし出した。大きな影が角のそばにまで足を伸ばして、私たちの視界に入ってきた。その炎に向こうも気づいたようで、熊は自分から近づいてきた。
「ガァァァァ!!」
いきなりだ! 突然襲い掛かってきた。相当気が立っているらしい。
動物ながら、感情のある人間にも出せないほどのさっきを放っている。炎に照らし出された白いからだはその毛を怒りに逆立たせている。
「グォォォ!」
私に向かって真っ先に飛び掛かってきた。他の二人に真っ先に飛んでいくよりかは全然いいのだけれど、これは重い!
槍で受け止めたが、体を持っていかれてしまいそうだ! 私だってやられるわけにはいかない、ちょっと熱いだろうけど我慢してよ!
「ブロォォォ!」
炎が逆巻いて、白熊を包み込んだ。
「ガァァァァ!」
熊は苦しそうに暴れだしたが、おかげで私は熊から離れることができた。
炎は雪解けの水でよわまっていき、そのうちまた消えてしまった。白熊のヘイトはますます私の方に向いたようで、まっすぐこちらに突進してきた。
しかし今度はさっきのようには行かない。二度も火だるまにするのはかわいそうだし、あとはちょっとチクッとするだけで済ましてやるのが優しさだろう。
「マーベルさん、血があればいいんですよね?」
「ええ、そうです。ある程度の血が取れれば何でもいいです!」
ならば、わざわざ気絶させることもないだろう。
力に任せて振り下ろされる白熊の腕は、威力こそ絶大だろうけど、よけやすい。当たらなければ、何でもないのだから、大した脅威ではないだろう。私はその中をかいくぐりながら、槍の切っ先を熊の脇に押し当てた。穂先をツーっと血が流れてくる。この一筋の血だけで十分だ。これ以上この白熊と敵対することはない。
「もういいでしょう! お二人とも逃げますよ!」
二人はすぐに反応してくれた。三人そろって背を向けて、全力で来た道を引き返していくと、案の定白熊は追いかけてきた。
車のところまで逃げてきたが、ここから上に上がらなければならない。私の槍で上に穴をあけられるか? 割とまずいかもしれない。すると……
「シャァァァァァ!!」
突然上の雪が取り払われてしまった。そして顔を出したのはルビーちゃん! 彼女は車をその大きな口でつかんだのだ!
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