第199話

 宗教の深みに一度ハマってしまった人間の心を解き放つというのは、想像以上に難しいものがある。ひょっとしたら、彼らにとって信じる神の存在というのは、太陽があの空に浮かんでいるのと同じくらい確かなことなのかもしれない。


 それはそうと、大商人の男と会いに行くノース子爵の後ろ姿は頼りない。彼の吐くタバコの煙の細々としたのは、その削れ細った神経だろうか?


「ここだよ」


「奇怪な建物ですね」


「これを建てても平気だなんて言うのは、完全に心がいかれちまってるのさ」


近くで見ても教会はおよそ人生の中で見たことのないような見た目をしていた。


「今この中にその商家の方がいらっしゃるんですか?」


「ああそうだよ。ここ最近はずっとここに篭りきりらしい。全く、そんなに神様ってのはいいもんなのか? 私のことは全く助けてくれないってのに」


「子爵、くれぐれも変な宗教にハマらないようにしてくださいね?」


「分かってるさ」


教会の門は開かれていたので、私たちはそのまま中に入った。


 教会にはほとんど人がいなかった。幸い、まだ信者は大した数にはなっていないようである。建物の中に入ると、中央の奥にうずくまっている男と、その奥に龍の像の姿が見えた。きっとあの男が商人だ。さしずめ今は儀式か何かの最中というところだろう。


「彼ですね」


「ありゃ前よりも酷くなってるな」


レインがうずくまっている男の後ろから近づいていき、話しかけようとした。すると、


「おやめください」


と傍から声をかけられた。


 現れたのは、もはや見慣れてしまった白服の男だった。全く同じ格好だから、ホルンメランに現れた男と同一人物に見えてしまうが、一応は別人のようである。


「今は儀式の途中です。邪魔してもらっては困ります」


「ああ、すいません」


そう言われてしまっては、いくら相手が邪教であっても引き下がるしかない。うずくまったままよく分からない呪文を唱え続ける男の姿を、四人並んで後ろからしばらく眺めていた。


 手順の分からない儀式は、やけに長く感じてしまう。ここに来てから儀式が終わるまでに一体どれだけの時間を過ごしただろうか? 意外と経っていないかもしれないが、ともかく退屈でつまらない。


「これっていつ終わるんですか?」


「そんなの聞かれても」


「知るわけないですよね」


「知ってたら信者ってことになってしまうだろうが」


「知ってたら一緒に牢屋に突っ込んでましたよ」


「無茶にきつい冗談を言ってくれるじゃないか。もしかしてイライラしてる?」


「ええ、多少はきてますよ」


目の前でこんな意味の分からないことをされて待たされてたら、誰だってイライラするだろう。逆にどうして後ろの二人は平気なのだろう?


「へえ、どこもかしこも龍がいますよ」


「すごいね。こういうのって専門の大工さんが作るのかな?」


興味を持ってるんじゃないよ本当。こんな二人、本当に連れてきてもよかったのかしら? このまま引きずり込まれて信者になったりでもしたら目も当てられないよ。


 ああーあ、にしてもいつ終わるのかな? もう何回あの上半身をグワングワンする奴を繰り返すっていうんだ。もういいだろ。誰だってそんなに激しくお辞儀されたら迷惑だろ。なんだよ全く。意味わかってやってるのか?


 もうイライライライラして、後ろから摘まみ上げてやろうかというところまでフラストレーションがたまってしまったところで、ようやく儀式は終わりを迎えた。


「$#〇!*☆◇!!」


最後まで意味が分からないじゃないか。


 


 儀式が終わったので、ようやく商人と思われる男は立ち上がった。今度は彼に近づいても、白服は何も言わない。


「こんにちは、はじめましてホルンメランから来ましたピオーネ・パゴスキー少将です。よろしくお願いします」


「ああ、こんにちは。先ほどからずっと後ろで待っておられたのはあなた方でしたか。申し訳ない。大変長らく待たせてしまいました」


一応待たせている自覚はあったのか。


 私たちはその商人の男に、教会の奥にある部屋に連れていかれた。


「皆さんこちらまでよくぞお越しくださいました。私がこの教会の設立者であるウェン・チーリンです。それにしても皆さんはどういった理由でこちらにいらっしゃったのですか?」


感触自体はいたって普通の人だ。さっきまであの気色の悪い儀式をしていたとは到底思えない。ただ、気になることは……


「そこの白服の方」


「なんでしょう?」


「これから機密に近しいことを会議いたしますので、申し訳ありませんが部外者の方には退室していただかなくてはなりません。席を外していただけますか?」


そう白服に、あくまで下手にそう言うと、止めに入ったのはまさかのチーリン。


「いえいえ、この方は私を導いてくださった方。蚊帳の外に追い出すなんてとんでもない! そもそも信頼のおける方ですからいてもらいましょう」


なんてことを言い出した。これはもはや盲信の域だな。普通に考えて自分の国の機密を話すと言われて、他国の人間をそのまま居座らせたままにするわけがない。


「そういうわけにはいきません。信頼しているかどうかは関係ないのです」


「しかし!」


「ではあなたは自分の仕事の会議に両親を立ち合わせるんですか? そんなことするわけないでしょう。部外者というのはそういうことです」


「それは……」


「いいのですよ、チーリン。このお嬢さんの言う通りです。私は外で待っておきましょう」


「感謝します」


白服は素直に部屋から出て行った。


 さて、ここからが本題。部屋には私たちとチーリンの五人。どうにかして彼に絡まった邪教を取り払わなければ。


「それで、お話というのは何でしょうか?」


「この教会のことですが……」


「ええ、それが何か?」


「すべて寄贈してしまったのですか?」


「はい、それが与えられた私の使命ですから」


「まるっきり?」


「はい」


分かってはいたけど、もはや手遅れに近いかもしれない。


「分かっているんですか? あなた、この国の土地を外国に勝手に渡したんですよ?」


「国なんて関係ない。そんなのは些細な問題なんだ。マハジャ教は私を救ってくれる教えなのだから、そのためならば私の財も捧げましょう」


「身勝手な理屈ですね。あなたはそれで良くてもシャラパナは困るんです」


「神龍への捧げ物を渋る公国の姿勢にこそ問題があるでしょうよ。そんなことを続けているようでは、いずれ国難に見舞われてしまうでしょう」


「勝手なことを」


「そう言っていられるのも、今のうちですよ」


ダメだ、まるで会話にならない。


 これだから宗教は嫌なんだ。こういった熱心な信者というのは、まるで自分の信じるものが世界の全てだと思っている。それだけならまだいいけど、その価値観を人に押し付けようとさえしてくるのだ。


「もういいでしょう。ともかく、私のこの土地と教会は私のものです。どうしようが私の勝手でしょう!」


「この気色の悪い教会のことは知りませんけど、ここの土地はあなたの土地である前に、シャラパナ公国の土地です! それが外国の手に渡ってしまえば、それは侵略されているのに等しい。あなたはそれを幇助したのですよ!」


「好き放題言って……!」


「そこまでにしておけ……!」


卓に身を乗り出した私をノース子爵が止めた。


 子爵は冷静に私たちを制止している。


「これ以上は無駄だよ。出直そう」


促されたので、私は席を立った。


 私も人のことは言えないけど、チーリンは狂ったように苛立ちを露わにしている。もう完全に私のことを敵とみなしているのだろう。


「邪魔したな、チーリン」


「首長様、このような不躾な小娘は、金輪際連れてこないでいただきたい」


「何を……!」


「いちいち噛みつくな。まったく……とりあえずはチーリン、また来るぞ」


「……」


もっと言ってやりたい気持ちもあったけど、子爵から促されたので、部屋から出た。


 教会から出てようやく冷静になってきた。


「君という子は、案外短気なんだね」


「すいません……いけないとは分かっているのですけど」


「いや、なんとなく胸がすく思いがしたよ。私が言えないことを全て言ってくれて」

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