第198話

 出発を少し早めた。夜明けを待たずして、夜からゴースに向けて出発する。


「急ぐんですね」


「ええ、私たちが思っていた以上に急を要する話のようですので」


ホルンメランにまで、例の宗教の影が伸びていた。ゴースはもしかしたらとんでもないところまで侵蝕されているかもしれない。


 さっきの男のこともあったから、向こうでも荒事は覚悟しておかなければならないだろう。私とレインはいいけれど、マーベルさんは戦闘面では全くの素人。巻き込まれないようにしないと……


「あなた方の蛇が引くあの車にご一緒してもいいでしょうか?」


「ええ、構いませんけどいいんですか?」


「大丈夫です。私はマーベルさんを護衛しなければならないので」


「え、僕のですか?」


「そうです。道中も十分に気を付けておかなければ危ないので。襲われるかもしれませんから」


「今回ってそんなに危険なんですか!」


彼らは宗教としか聞いていない。とんでもないレベルの邪教だとはつゆとも思っていないだろう。


 しかし向こうは殺人に正当な理由がついてしまうような教えだ。


「ともかく、日が沈む前に出発しましょう」


ちょうど私たちの前までやってきた蛇の車に乗り込んだ。




 まだホルンメラン管轄内からは出ていない。ゴース行きは、前にもタイセイさんと二人で行っているが、そのときも緊張感はあったけど、流石に道中までは気を使わなくてよかった。しかし、今回は何が起きるか分からない。なにせとうにマハジャ教国の連中はホルンメランにまで到達しているのだ。この道中で鉢合わせる可能性だって少なくない。


「もう少しでゴース管轄ですからね。二人とも窓にはできるだけ近づかないように」


「突然矢で狙撃でもされるっていうんですか?」


「あり得ますね」


「ええ……」


しかしここまで過激な宗教だったとは。その巣窟に潜入しているタイセイさんが心配だな。シルバータ大将はもちろん心配いらないけど、タイセイさんはそれこそ素人。入信しないなんて言って、袋叩きにあってなければいいのだけど……


 心配とは裏腹に、結局白服と会うことはなかった。山越えの際などは、逃げ道がないから特に気を使ったのだけど、気配すらない。終わってみれば、最初から最後までずっと穏やかな旅路だった。


「パゴスキー少将、少し心配しすぎだったんじゃないですか?」


「ええ、そのようですね」


嫌な予感がしていたから、余計に神経を使ってしまっていたかもしれない。


 しかし二回夜を明かしても、何も問題は起こらなかった。前に来た時に出会ったこの蛇の母親のような怪物にも会わなかった。そして、もうゴースの門の目の前にまで来ている。


「では、行きましょうか」


事情は門番たちにまで伝わっているようで、すんなりと中に入ることができた。入ってすぐの街中は一見すると前来た時と全く変わらない様子だった。何か異変が起きているようには見えない。


 街に入ると、門のすぐ近くで待っているようにと言われたので、その通りにしておくと、やがて迎えの馬車が一台。止まった車から降りてきたのは、前にもお世話になったノース子爵家の執事だった。


「皆さん、お待ちしておりました。屋敷にて首長が待っておりますので、私にご同行願いたい」


執事の馬車が私たちが乗った蛇を先導して、ノース子爵の屋敷に向かった。


 


 子爵の睡眠障害は、タイセイさんが送った鳥のおかげで解消されたと聞いていたが、彼の顔はむしろ前よりも悩まし気になっていた。心なしかやせている気もするし。


「お久しぶりです、ノース子爵」


ドアを開けた音に子爵はすぐに反応したらしく、すでに席から立ち上がっていた。


「おお、待ち望んでいたぞ。君たちしかもはや頼れないんだ!」


「ちょ! とりあえず落ち着いてください!」


これはかなり弱ってしまっているな。それほどに何があったというのか?


 子爵は執事になだめられて、椅子に腰を下ろした。


「落ち着いてから、ゆっくりと事情を話してください」


「ああ、それにしてもタイセイくんの姿が見えないようだけど……」


やはりそこを聞いてくるよな。


「タイセイさんは今留守にしているので、私たちがその代行で来ました」


伝えると子爵は分かりやすく落胆した。そこまで態度に出されると、さすがに少し傷つくな。


「こんなに大変な状況を放っておいて、彼は一体どこに行っているというのだね?」


身勝手な物言いをするな、実際大変なんだろうけど。


「もっと大変な場所に行っております」


「もっと大変?」


「ええ、あなたが今まさに悩まされている白服の連中がやって来たという、北の地ですよ」


「……それは、本当なのか?」


「ええ、私の上官の潜入任務に同行しております」


「そうか……なら文句は言えんな」


「私たちも最大限協力させていただくので、期待してください」


何ができるかは分からないけど。


 紅茶を啜ってだんだんと呼吸が落ち着いてきた子爵は、ようやく今回の事情を語り始めた。


「最近になってのことなんだがね、この街を騒がす悩みの種が現れたんだ。突然のことだった。その悩みの種と言うのは、手紙に書いてある通りの白い服を着た連中だ。本当に真っ白い服を着ているから、不気味なんだよ」


「知っております。一人ホルンメランに現れましたから」


「ほう、ホルンメランにもいるというのか! もはやゴースだけの問題ではないのだな」


「ええですから、一刻も早く対策を打たなければなりません。このゴースでなんとか彼らの南下を食い止めなければ、得体のしれない宗教がこの国に蔓延してしまう」


「その兆候がすでにこの町で見られるのだよ。相手は宗教だ。別に表立って侵略を仕掛けてくるわけじゃない。攻撃もしてこない。ただ何かよくわからない経典を配って演説しているのだ。だから取り締まろうにも全くもって理由がない。厄介だよ。追い出すどころか、住民の中に信者が現れ始める始末だよ」


「もうそんなに……信者が新しく出てきたのは大問題ですね」


これは思ったよりも重症かもしれない。ホルンメランにきたあの男はすぐにお縄についたわけだけど、こっちにやって来た連中は上手くやっているみたいだ。


 こんな調子だと、ノース子爵がこんなにあたまを悩ませるのもうなずける。


「しまいには、あれを見てくれ」


子爵は窓の外を指さした。その先には、何やら変わった建物。前に来た時にはあのような建物はなかったはずだけど。


「あそこはもともと、この街に住んでいる商家の富豪が建てた別邸があった。なのに今はあのような建物が建っている。あの建物はな、例の宗教の教会らしいんだよ」


「教会? なぜ?」


「その富豪が信者になってしまったんだよ。それで自分の土地を白服たちに与えてしまった。だからああして立派な教会が建ちあがってしまったというわけだ」


これはもはや侵略ではないか! この前まで自分たちの方から向こうにのりこむなんて話だったはずなのに、今はまるっきり逆転している。こっちが飲み込まれようとしているじゃないか。


 ともかく、かなり大変な局面になっているのは分かった。


「それで、なにからやればいいのかさえ分からなくなってしまったのだよ。全く手を出せないからな」


「相手は別に何も悪いことをしているわけではないですからね。それを無理やり否定しようとすると、こちらに落ち度ができてしまいます。ますます民衆の心があちら側に流れていってしまう危険性だってあるでしょう」


「なら何をしたらいいというんだ?」


「簡単には行かないでしょうからね。マハジャ教のことを民衆が全く信じられなくなるような状況を作り出すことができればいいんですけど」


「ああいうのは一度信じだすと止まらないものではないのか?」


「そこが問題です。屋台骨が揺らぐくらいのことが起きれば洗脳じみた信仰だって崩れ去るでしょう」


宗教というのは、必ずと言っていいほど、「これはこうである」のような勝手な定義がある。人間は神が作ったなんて、よくありがち。それを崩せばいいのだ。


「とりあえずは、あの教会の建つ原因を作った商家の方に会わせてもらってもいいですか?」

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