第197話
状況が変わったのは翌朝のことだった。翌日のゴース行きの準備に取り掛かろうかという矢先のこと。このホルンメラン市内にて例の白い服の怪しい人間が捕らえられたとのこと。ただいまその白服をメイデン少将が尋問しているとのことで、私も呼ばれた。
軍部の虜囚が運ばれてくるこの地下のフロアは、暗くジメジメしていて、苦手だ。何度来ても一向に慣れる気配がない。重苦しい空気が流れているのに、メイデン少将の鋭い声が壁伝いに反響してくる。
「何度同じことを繰り返せば気が済むんだ! 貴様は気でも違っているのか?」
なかなか難航しているらしい。苛立ちが嫌でも伝わってくる。
尋問が行われている部屋の黒い木のドアをノックすると、中から取り繕ったように落ち着いた声で「入れ」と聞こえてきたので、中をそっと覗きながら押し開けた。
「来たか」
「ええ、その男ですか?」
メイデン少将の対面に座っている白服の男は、その顔面までも蒼白で、まるで幽霊のよう。そのくせ目はギラギラと天井の照明を反射させているので、内心ゾッとした。
「ああ、こいつだ。昨日から街に突然現れて、住民たちの前で訳の分からない演説をし始めたんだとさ。それで捕縛して連れてきたんだが、やはり訳の分からないことしか言わない。全く会話にならないものだから、ほとほと困ってしまったよ」
白服はどう見たって普通じゃない。これ以上何かを聞き出そうとしても無駄な気がするが……
「君にも協力してほしいんだ、パゴスキーくん」
そうは言われましてもね……
しかし断ることもできないので、私はメイデン少将に代わって白服の対面に座った。
「あなた、名前は?」
「名などはない」
「そんなことあり得ます?」
「必要ないからな」
なるほど、やはり只者ではないな。
とは言いつつ、私の中ではとっくにこいつの正体に察しがついている。メイデン少将にはまだ知らされていないから分からないのは当然だけど、きっとこの白服は例のマハジャ教国の人間だ。そして、ゴースに現れたという白服と同類に違いない。
「……ならいいです。別にあなた個人が何者であるのかはさして問題ではありませんから。重要なのはあなたがどこから来たのか、そしてなんの目的を持っているのかということです」
そう言うと、白服は意外にも素直に話し始めた。というより、全く隠しているつもりはないらしい。むしろ話したかったのか、積極的な口ぶりで興奮気味に語り始めた。
「私は、神龍の教えをこの南の地に広めるためにやって来た。いわば伝道師というものだ。ここから北の大地、その神龍のおわす土地からやって来た神聖な神の使いである」
そう高らかに言い放ったのだ。
メイデン少将は、私の方を見て「ほら、訳が分からないだろう?」という表情を見せるが、申し訳ない。私には大体の事情が理解できてしまった。
「北の大地、と言うのはつまりマハジャ教国のことですね。あなたはそのマハジャ教を広めるためにこのシャラパナにやって来たということでよろしいですか?」
「その通りだ! お嬢さん、あなた随分と物分かりがよろしい方だ。そこの頭の固い男とはまるで大違いだ」
後ろでメイデン少将がムッとしたのが分かる。
しかしマハジャ教の適正アリと診断されてしまったな。これはもはや不名誉じゃないのかしら? くれぐれも入信させられるなんてことは避けないと。
「物分かりがいいかどうかは分かりませんが、ともかく何か害をなそうというのではないのですね?」
「そりゃもちろん。信者になってくれるであろう人々を傷つけるなんてことがあってはならないからね。敵意だって微塵もないよ」
なるほど、予備知識を持ったうえで会話をすれば案外まともに話せるのか。にしても、この敵意はないという言葉、信用してもいいものなのだろうか?
それからも何度も質問したが、核心的な答えを聞き出すことが叶わなかった。こちらが半分誘導尋問のようなダーティープレイを仕掛けても、まったく尻尾をつかませない。終始穏やかなまま、答え続けるのである。
「少し失礼しますね」
「どうぞ」
私は立ち上がって一旦メイデン少将と一緒に部屋の外に出た。
部屋から出ると、メイデン少将の険しい顔に影が浮かんだ。
「あの男、結局のところは無害なんでしょうか?」
「いや……宗教の人間、それも全く分からない新しい教えだからな。あの白服はもはやカルト教団の人間に等しいものと思って警戒しておいた方がいい」
「しかし、このシャラパナでは国教がない代わりに宗教活動に制限はないはずです。彼を縛っておくような事情がないのでは?」
「それなら大丈夫だ。奴は私たちが連行しようとしたときに暴れた。私の部下も何人かケガを負わされたから、それだけでもう立派な罪だ」
「暴れた? 彼が?」
とてもそうは見えなかった。
「ああ、まあまあの戦闘力だったよ。『邪魔をするな! 私は民衆を導かなくてはならないのだ!』と喚き散らしながらさっき没収しておいた杖を振り回すんだよ。抑え込むのになかなか手間を取ってしまった」
やはりこの得体の知れなさは不気味だな。まるで人間の持つ二面性を究極に対照的にしたような言動。暴れまわるなんて話、もしも話したのがメイデン少将じゃなかったら、信じられなかっただろう。今この扉の向こうに座っているのは、ただの理性的な伝道師だというのに……
「ま、ともかく宗教ってのはこのホルンメランの住民にどんな影響を及ぼすか分からない。そうそう簡単に受け入れてしまってはいけないんだよ」
あくまで排除的な姿勢をとるという結論に達して、私たちは部屋に戻った。
白服は穏やかに目を瞑っていた。
「どうです? マハジャ教に入信する心の準備はできましたか?」
「都合のいいことを考えますね。そんなわけないでしょう。あなたがどんな活動をしようと、罪を犯さない限りは自由ですけどね、少なくとも私はマハジャ教には入信しません。それだけは神に誓って言えます。いるか分からないけど」
「……それでは、金輪際マハジャ教の教えは信じないと?」
彼の声音が重く変わった。
「そう言っているでしょう。龍の教えなんて私には到底理解できませんから」
そうきっぱり言い放つと、みるみる白服の形相が変わっていく。
「そうですか、残念です。ならば、死んでいただくしかないな!」
突然立ち上がった白服は両手がつながれていた手錠を物凄い怪力で引きちぎってしまった!
「……!」
白服は私に襲い掛かってきたのだ! とっさに私も席を立ちあがって白服と距離を取った。
「あなた、正気ですか?」
「正気に決まっておろう。マハジャ教の教えを正しく遂行しているのだから」
「これが教え?」
「ああ、我らが神龍の教えを信じぬくことができないかわいそうな人間は、この世から解放してやらねばならない。だから私はあなたを殺すのだ!」
なんというめちゃくちゃな教えなんだ! とんでもない宗教だったな。いや、とりあえずは今のこの状況をどうにかしないといけない。
こんなところに槍を持ってきているわけはない。今は腰に帯びた剣一本しかない。しかし相手は丸腰だ、そう考えていたのだが……
「シュルシュルシュルシュル……」
何もないはずの空間から、突如として細剣が出てきて、白服がそれを手に持ったのである!
没収された杖だけが武器になりうると思っていたのだが、まさか魔道具を持ち合わせていたとは!
「死になさい!」
「カチン!」
「……!」
素人ではないな。少なくともそれなりの戦闘訓練は受けているはずだ。
しかし、その程度の人間に負けてなんていられない。このような狂信者を倒すのには、このお粗末な剣一本で十分だ!
「シュパン!」
「くっ! おとなしくしなさい! 私はあなたを救おうとしているのですよ! あなたやはり物分かりが悪いですね」
「分かってたまるものですか!」
「ズブッ!」
「ぐぉぉ……」
胸のあたりを一突きすると、白服は息絶えた。このような者でも中身は生身の人間らしい。
にしても、これは思ったよりも大事かもしれない。早くゴースに急がなくちゃな……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます