第123話
脱獄を許してしまったのである。しかも、看守が誰一人として気づくことないままにである。これは紛れもなく非常事態だろう。
「どうやって逃げたのでしょうか?」
「逃げた経路が全く分かりませんね。魔法の類でしょうか?」
「全員が魔族ですからね。ありえなくはないと思いますし、今のところはそれが最有力でしょう。」
シルバータ大将はすぐに牢獄を出ると、再び屋上へと上がっていった。
龍輝石の洞窟前、本部テントにて―
まさかの事態が見えたので、騒然としている。というか、驚きの連続である。まず、こんな遠くのエルマンテ都市内の様子が、まるですぐ目の前にあるかのように映し出されたのだ。一瞬は作られた幻覚を見せられているのだと思ったが、それにしてはあまりにも筋が通り過ぎている。
そもそもキャルメールが知り得ないようなことまで出てきたのだから、もう疑いようがないだろう。キャルメールの魔法は、どんなに遠くのものでも見ることができるという、いわゆる「千里眼」というやつなのだろう。シルバータさんの地獄耳と似たものを感じるが、向こうはただの体質だ。
その千里眼は周りにいる人間たちにも見せることができるらしく、それで今までの一部始終を僕たちは覗いていた。
「やはり、ワタシの仲間は一筋縄ではいかないよ。」
キャルメールは得意気になってふんぞり返っている。いや、お前本人は捕まっているんだからな?
しかし、これでせっかく捕まえた賊二人がまた野に放たれてしまった。魔法越しに見ていただけだから実際どうなのかは分からないけど、本当にどうやって逃げたのか分からないな。まるで団員たちだけがすっぽりと抜け落ちてしまったかのような失踪である。
おそらく、あの鳥の魔族が二人を助けて脱獄させたのだろうが、それ自体は戦力的は何の影響もない。あの二人、マリンとダクソンはシルバータさんにボコボコにされて瀕死になってしまっているので、もう戦えるような状態ではない。
しかし、侮ることはできないだろう。あの鳥のような魔族は、かなりのやり手だ。現にこうやってシルバータさんたちを出し抜いているのだから。
あわただしい街中とは違って、このテントの外は静まり返っている。いままさに洞窟の中で行われている大捕り物の喧騒もここには聞こえてこない。その静かさが冷たい風に拍車をかけて、軽く身震いしてしまう。
ちらと雪が降ってきた。山の上から雲が下りてきたらしい。
「はて? ここでも雪が降るのね。」
「こっちは街と違って内陸ですからね。ちょっと暖かいだけで立派に冬ですよ。」
ほのかな風のなかに、雪はゆらゆらと舞った。
雪はテントの中の僕たちの足下までやってきた。床に落ちた雪の粉はそのまま溶けてしまった。
「寒いわね、もっとしっかり閉めてちょうだい。」
アイラが言うと、兵士の一人がさっと入口の布をおさえた。
「それと、熱い紅茶が欲しくなったわ。頼めるかしら?」
「ハッ!」
テントの外から返事が聞こえてきた。一言言うだけで紅茶が出てくる生活はちょっと羨ましいな。
兵士のうちの一人がテントに入ってきた。中にあるカップと、茶葉を取るためである。
五杯のカップを並べたが、それを見たアイラはさらに二つ並べた。
「え?」
「あなたたちも飲みなさいよ。外で突っ立ってるのも寒いでしょ?」
「いえ、そういうわけには。」
「いいのよ。どうせ賊の人数はもう分かってるんだから。何も問題はないわ。それに、あなたたちより私の方が強いもの。」
「……それはそうですが。」
否定はできないのが複雑なところだ。
彼らは結局恐縮しながら紅茶のカップを受け取った。
「はい、熱いから気をつけなさいね。」
「いや! おかしいだろ! なぜワタシが飲む流れになっているのだ!」
「え? 紅茶は嫌い?」
「そうじゃなくて! 自分で言うのもなんだけど、ワタシは囚われの賊だよ?」
「賊だろうがなんだろうが、水分は取らなきゃダメよ? 冬の方が水分補給サボりがちになっちゃうんだから。」
全く噛み合っていないな。キャルメールは縛られた上に、手錠をはめられた状態だ。アイラを拒むことができないので、紅茶を飲まされていた。
「ね? おいしいでしょ?」
「……まあ。」
ちょっと寒い中で飲む熱い紅茶はかなり美味しい。
こんなお茶会をしている最中、キャルメールはまた街の様子が気になってきたよう。
「ワタシの仲間たちの行方がまだわかってないじゃないの!」
「突然どうしたのよ? 大きな声出して。」
「なにか釈然としないなと思ったら、さっきからあなたたちの仲間ばっかり追っかけてるじゃないの! 今度は私の方の仲間を『千里眼』で……。」
「いいの? そんなことしたら、私たちにお仲間の場所が分かっちゃうわよ?」
「……うぅ。」
そりゃそうだろ。考えなかったのかな。
しかし、そこでアイラの遊び心と負けず嫌いに火がついてしまった。
「いいわよ。あなたの方も見てやろうじゃないのよ。そっちの方がフェアだものね。私たちが今からシルバータ将軍に連絡することはないから安心しなさい。」
「なにを……!」
また変なことを言い出したよ。でもまあ気になるといえば気になる。敵がそもそもどんな奴なのか、そして今どこにいるのかは普通に見てみたい。
しかし、当然ながらキャルメールはさすがに信用しない。そこは味方と敵の境界線がしっかりと敷かれている。そこでアイラは紅茶を啜っているテントの警備兵二人に
「これから街の決着がつくまでこのテントから出ちゃ駄目よ。」
という命令。警備兵たちにとっては、雪が降る寒い外に出なくてもいいのだから僥倖だろう。
キャルメールは、完全にテントが閉じられてしまったのを見ると、その気になってくれたようだった。
「じゃあ、見るよ? ちょっとでも怪しいそぶりを見せたら、すぐに止めるからね?」
「分かってる。」
再びキャルメールの藍色の瞳が輝くと、今度はさっきとは全く違う風景が映し出された。
「……ここは?」
「東通り、海辺の方ですね。」
僕とアイラが前に朝食兼観光に行ったあそこの近くらしい。確かに街並みの感じに見覚えがある。
そこを歩いている一人の男が映し出された。背丈は普通くらいで、全身を覆い隠すようなマントを羽織っている。
「あらら、もしかしてこの人が?」
「ええそうよ。もう東通りにまで来ていたのね。」
監獄のある北通りからこの東通りまではなかなかの距離がある。それに脱獄させた仲間二人は連れ立っていないのを見ると、どこかに隠れさせてきたのだろう。とすれば、こいつが仲間たちを脱獄させたのは結構前になるのだ。
でも、一番気になったのは、こいつの見た目。全く鳥ではない。普通の人間なのである。僕たちが林の中で遭遇したあの怪鳥とは似ても似つかない。
その賊は、通りの端の方を目立たないようにとぼとぼと歩いていたが、ふと空を見上げた。なにかがあるのだろうかと、キャルメールも千里眼の目線を上げると、そこには一つの影。
「あれって、シルバータ将軍よね?」
かなり遠かったが、シルバータさんに間違いなかった。またあの例の武器の力を使って空を飛んでいるらしい。
彼女は彼女でかなり早いな。ついさっきまで北通りの端の方にある収監所にいたというのに、もう東通りにまで来ている。
猛スピードで人間が空を飛んでいるのだから、賊でなくとも気になってみてしまう。観光客たちはみんな足を止めてシルバータさんを見ている。
ただ一人だけ、その賊だけはすぐにまた目線を落として歩き出した。ちょっと速足になっている。
「ああ、行っちゃうわよ。早く追いかけて。」
「分かってるわよ。」
すぐに千里眼も彼を追いかけていく。
しかし、民衆がみんな空を見上げて足を止めている中で、一人だけ早足でその場を離れようとしたのが失策だったようだ。賊が大通りを抜けて、細い路地に出たところである。
「ズドーーン!」
彼の目の前に人間が二人降ってきた。
見慣れたその二人はシルバータさん、それからルアー中将である。中将の方はかなり息が荒れていた。
「ちょっといいですか? いくつかお聞きしたいことがあるのですけれど。」
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