序章―第3話 現実となったゲームの世界
それから、俺はクリッサと一緒に近くにある街へ向かうこととなった。
彼女曰く、記憶喪失の俺をこんな危険な場所に置いていくことはできないらしい。
現状を把握できてない俺としても、クリッサが同行してくれるのはありがたい限りだ。むしろ、申し訳ないとすら思ってしまう。
「うーん……住んでいる場所も自分の家族や知り合いも覚えていなくて、分かるのは自分の名前だけ、ねぇ」
木々がまばらに点在している草原のど真ん中を歩きながら、クリッサは考える素振りを見せていた。
その横顔はとても凛々しく、ひと目見ただけで思わず見惚れてしまいそうになる……。
俺が生粋のケモナーというものあるが、それを抜きにしても彼女は絶世の美貌の持ち主だった。
「どうしたの、私の顔になにかついてる?」
「い、いや……なんでもないよ。それより、ちょっと教えてほしいことがあるんだけど」
「ええ、私の知っている範囲であれば助けになるわ」
クリッサを隣で眺めるのは一旦やめにして、俺は俺のやるべきことをやらなくては。
まずはここら周辺の地理だ。仮にここがAMOの世界なのであれば、俺が知っている場所が話に出てくる可能性が高い。
「これから向かう街と、ここの国の名前を知りたいんだ。もしかしたら知っているかもしれないし」
「そうねぇ。国の名前……は分からないけど、街の名前なら分かるわ。『始まりの都市』アークトゥス――この星、アルファースで最も栄えている街よ」
そうか……やはりその名前が出てきたか。
アークトゥス、それはAMOを初めたばかりのプレイヤーが必ず訪れる街であり、ゲーム序盤から中盤までの拠点となりうる場所なのだ。
実際に俺もAMOを初めてからニ年前後はこの街で過ごしつつ、クエストを熟したり、ダンジョンを攻略したりしていたからな。
そして、宇宙に散りばめられた様々な星を巡って、全世界を冒険するという内容のMMORPGであるAMOで、最初に攻略しなければならない星がアルファース。
すなわちここはAMOの中でも序盤のエリア、魔物はいるにせよ比較的安全な場所と言える。
たとえ今のような素手の状態であっても、余程のことがなければこのエリアの魔物に負けないだろう。
「……どう? 聞き覚えはありそう?」
「いや、聞いたこともないし……なにも思い出せない。すまないな」
「あなたが謝る必要はないわよ。それに、あなたはこの辺りじゃあまり見ない服装をしているし、アークトゥスどころかアルファースの人ですらないかもしれない」
「この星の人じゃない……ってこと?」
「ええ、ごく稀にいるのよ。他の星から転移してくる迷い人が。もしかしたらあなたもそうなのかも」
そう言ったクリッサは昼間でもわずかに輝いている空に浮かぶ星々を見て、静かにため息を吐き出したのだった。
その口ぶりだと……どうやらまだ星界転移は開放されていないらしい。
AMOでは攻略を進めていくと様々な星に自由自在に転移できるようになる。だがそのためには最初の星、アルファースにそびえ立つ巨大な塔――通称『星界の塔』を攻略する必要性が出てくる。
全30階層からなるその塔の最上階にたどり着き、封印を解くのが星界転移を開放するための必須事項なのだ。
初めて挑んだ時は凄まじく厳しい戦いを強いられた塔だったが……時間が経つにつれてタイムアタック勢の遊び場となっていったのを今でも覚えている。
かく言う俺もそのタイムアタックに参加していた廃人なのだけどな。
「し、心配しなくてもいいわよ。仮にあなたが迷い人だったとしても、ここでしっかりと暮らしていけるようサポートしてあげるからっ」
「流石にそこまでの迷惑はかけられないって……。街に俺を知っている人がいないなら、自分一人でも生活していけるよう、なんとかする」
「そう……でも、なにかあったら私を頼って。いつでも力になるわ」
「ありがとう、その気持ちだけでも十分だ」
ここまで心配してくれるのはとてもありがたい話なんだけど……その分、罪悪感も増していく気がする。
あの時はとっさに嘘をついてしまったが、素直に話しても彼女なら信じてくれたかもしれない。
それにしても、本人と中の人でここまで性格に差が出ているとはな。
俺は控えめに言って優しくないし、お人好しでもない。
けれどクリッサは記憶喪失と嘘をついている俺をここまで気にかけてくれている。それこそ、損をしてしまうのではないかと俺が思ってしまうほどに……。
別れ際にでも、正直に話して謝罪しておくか。
でないと良心の呵責にさいなまれてどうにかなってしまいそうだ。
「――下がって」
刹那、クリッサは俺の歩みを腕で制した。
そして近くの茂みの中を鋭い目つきで睨みつけると、腰につけている片手剣の鞘に手をかけたのだ。
俺は彼女の声色から察す。そこに何者かが隠れているということに。
辺りが静寂に包まれてから寸刻が経過したその時、茂みからニ体の黒い狼が牙を剥いて飛び出してきた。
ブラックウルフ――アークトゥス周辺に生息する人食い狼だ。
獲物を待ち伏せしていた奴らは、久しぶりの食事にありつこうと俺たちに急接近してくる。
しかしそれをクリッサは許さなかった。
流れるような動作で銀色に輝く片手剣を抜いた彼女は、それを構えるよりも早く俺の前へと飛び出していく。
飛びかかってきたニ体の狼を前に怖気づくことなく、クリッサは電光のごとく加速し、その紅の双眸で静かに見据えた。
その直後――彼女が握りしめる片手剣が淡い水色の光を放ち始める。
それが、その光がスキルの発動の合図であると頭で理解するまで、さほど時間はかからなかった。
「ハアアァ――――ッ!」
裂帛の気合とともに、彼女の片手剣には凍てつく冷気がまとわれる。
そしてそのまま狼たちを剣で薙ぎ払うと、目に留まらぬ速さで次の一撃へと移り、吹っ飛んだ奴らに追い打ちをかけるように切り上げた。
奴らの傷口から鮮血が飛び散るが……それは瞬く間に彼女の剣が放つ冷気によって凍りつく。
あれこそ、AMOの戦闘要素の大部分を占めるアーツスキル。
しかもただのアーツではない。異なる職業を極めることで得た2つのアーツを組み合わせた、デュアルアーツと呼ばれるものだ。
二回斬りつけられた狼たちは「キャインッ!」と短い叫び声を上げて、空を舞う。
だが残念ながらクリッサの連続攻撃はまだ終わっていない。彼女は一歩前へと踏み出すと、上へと跳ね上げた剣を今度は斜め下へと振り下ろした。
そして彼女の三撃目が入ると同時に、奴らは鮮血を撒き散らしながら地面へと叩きつけられ、完全に動かなくなってしまう。
初級魔術アーツ《アイス》を剣にまとわせ、中級剣術アーツ《トライアングル・ブレイク》を放つという見事な魔法剣術だ。
だがそれ以上に……俺はゲームでは絶対に見ることのないリアルな戦いを目の当たりにし、圧倒されていた。
VR機器越しに見るエフェクトまみれの戦いなどではない。
命と命を取り合う、本当の戦いだったのだ。
当然だが全年齢対象のゲームであるAMOに流血表現などない、しかし先程のクリッサと狼の戦いではこれでもかと、紅い血が待っていた。
正直……怖かった。この世界にゲーム感覚で生きている者たちはいないと、思い知らされた。
それに――
俺はもう一度、自分の頬をつねってみる。
たしかに痛い。ゲームの世界では
ここはAMOの序盤のエリアだし、仮に俺もクリッサ見たくアーツが使えるのであれば、ブラックウルフ程度の奴らには負けないだろう。
けれどもし、奴らに噛みつかれたとしたら……どれくらい痛いのだろうか?
「カズヤ、大丈夫だった?」
「ああ、俺は大丈夫だ。君こそ、怪我はないか?」
「ええ。この程度の魔物を倒すくらい、朝飯前よ。怖いことを言うようだけど、草原にはこういう奴らがウロウロしているから気をつけてね」
そう言うと彼女は片手剣についた血と氷を払い落として鞘に収めたのだった。
ここまでくれば……もう疑いようがないだろう。
俺は現実となったAMOの世界へと転移してしまったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます