第4話

 怜が探偵社Worstに帰ると、まだ弐沙は帰っていないらしく、部屋の電気は全て怜が消灯したままであった。怜がリビングの時計を見ると時刻は午後七時になっていた。

「全く何処に行ったんだよ。弐沙は」

 ソファで丸くなるように座り込む怜。あの古屋とのやり取りをずっと脳内で反芻していた。

 何処か古屋は自分のことをすべて知っているような、そんな印象を抱く。ズボンのポケットから例のメモを取り出してじっと見る。

 怜の長年の経験からするとこの誘いは恐らく罠だ。だからこの誘いにのる様な行為は出来るだけ避けたいのだが、どうしてもあの言葉が気になってしょうがない。


『貴方がそのつもりなら僕だそのお手伝いを出来ると思ったんです』


「俺はどうしたらいいんだー!」

 リビング全体に響き渡るように大声を出しながらソファの上で暴れる怜。

「……何をそんなに暴れているんだ?」

 その様子を帰宅したばかりの弐沙が冷ややかな目で見る。弐沙の顔を見るなり、怜はサッとズボンのポケットにあのメモをさっと仕舞う。

「何を隠した」

 その様子に弐沙が気付く。

「別に、何も? それにしても俺より遅い帰宅だなんて相当大事なおでかけだったんだね。何処まで行ってたの?」

「ちょっとした野暮用だ。怜に教える義理は無い」

「へぇ。野暮用なのに俺に教えてくれないんだ。本当に……、弐沙っていつもそうだよね」

 怜はソファから立ち上がって弐沙の胸倉に掴みかかる。

「そうやって、何でも自分一人で解決しようとする。いくら、人より丈夫な体だからって……!」

「お前には関係のないことだろう?」

 弐沙から冷ややかな言葉で返され、怜はカッと頭に血がのぼる。

「関係大アリだよ!」

 怜は思いっきり、弐沙を突き飛ばす。力が強すぎたのか、地面に叩きつけられた弐沙はウッと声を漏らし、立ち上がることができない。

 その上から覆いかぶさるように怜はのしかかる。

「動けないだろ? 意図的に動けないようにしているから当たり前だけれども。こういうことがいつ何処で起こったっておかしくないんだ。それでも、弐沙は誰にも頼らないの?」

「あぁ。今までもそうやって来たからな」

「そうやって隙ばかり見せていると、死ぬかもしれないよ?」

「……平気だ。何せ私は死なないからな」

「そういうのを屁理屈っていうんだ」

 そんな事を言っていると、いきなり怜の視界がぐるりと反転した。弐沙が逆に怜に馬乗りになったようなカタチだ。

「屁理屈なのはどちらのほうだ。私は護ってくれるヤツなんて必要ないというのに、ただその時私が助けたというだけで恩着せがましくノコノコ一緒にいるだけではないか」

「恩着せがましいと思ってたんだ。へぇー。こう見えても結構頑張っているつもりなんだけどな」

 ギリギリと二人の攻防戦は続いていく。

「ハッキリ言う。怜、お前は私には必要ない。迷惑だ」

 弐沙からの言葉にピタッと怜の動きが止まった。その様子を見て弐沙が立ち上がり、怜から離れる。

「私はもう休む。そういえば古屋から連絡があった。次の護衛は明後日だそうだ、場所は今日のところでいいと、ではな」

 冷ややかな声でそう告げると、弐沙はリビングから居なくなる。

 怜は床に転がったまま呆然とした顔をしていた。

「あーあ、弐沙に本格的に嫌われちゃったや」

 それは改めて確認するような声だった。怜はむくっと起き上がって自分の部屋へと向かう。

 ベッドへと飛び込み再びポケットから例のメモを取り出した。

『貴方はきっと強くなれますし、その強さでなんだって出来ると思いますよ』

 古屋の言葉を反芻させる。これがもし何かしらの罠だとしても、もう乗っかる以外の方法なんて無かった。

 携帯を取り出し、メモに書かれている電話番号に電話を掛けた。


「……もしもし」


 もう、この先後戻りは出来ないとわかっていた。

 だが、これでいい。



 翌朝。

 怜の部屋のドアを弐沙がノックしていた。

「おい、今日もいつまで寝ているんだ」

 しかし、部屋から反応は返って来ない。弐沙がドアを開けると、そこに怜の姿は無く、部屋はもぬけの殻であった。

「……行ったか」

 何かを悟ったように弐沙は部屋のドアを閉めた。


「……さて、やるか」


 ***


 腕時計の時刻を確認すると、そろそろ正午を回りそうな頃合いだった。

 怜は地図の通りに順路をひたすら歩いていた。

「前々から思っていたけれど、どうして富豪とかはこんな人気の無いところに別荘を作りたがるのかな! 凡人にはその考え方が理解できないよ!」

 最寄り駅から歩いてそろそろ四十分か経過しようとしている。古屋からのメモには駅から徒歩一時間と書かれていた。しかも、バスという交通機関は無く、タクシーすら見つからなかったのでひたすら目的地まで歩かなければならない。

 せめて迎えに来い! とは思ったけれども、昨日古屋に連絡を入れた時点で、迎えの車は出さないとハッキリと明言されてしまったので、仕方なく歩くしかない。

「こんなに遠いなら、やめて戻るべきか」

 しかし、今まで駅から四十分も歩いたのだ。ココで更に四十分かけて引き返すのは酷だ。

 それに……と過ぎるのは昨日弐沙に言われた言葉だった。

「まぁ必要とされて無いなら、このまま突っ込んでいくしかないよね。帰れる場所なんて無いんだから」

 怜は持ってきたカバンから飴を一つ取り出して口の中に入れた。

 残り二十分ほど頑張って歩こうと意気込んでいると、怜の目の前に分かれ道が出現した。どっちに進めばいいのだろうかとメモを確認すると、分かれ道を左に進むと書かれていった。怜が左の方を確認すると、青々と木が生い茂る森への入り口が見えた。

「うげ」

 どうやら古屋の別荘はあの先にあるらしい。森への入り口を見た途端に一瞬で無くなったやる気を何とか奮い立たせ、怜は森の中へと歩き始めた。


「いやぁー、いらっしゃい こんな遠いところまでよく徒歩で来てくれましたねー。僕ならムリですよーはっはっは」

 古屋が呑気に玄関の扉を開ける。その顔を見て怜は少し殴りたくなったがグッと堪える。

「迎えが寄越せないと言ったのは古屋の方だよね? 途中で心折れて帰ろうと思ったんだけど?」

「そういえばそうでしたね。結構これには事情があるんですよ。芸能人は何処で誰に見張られているか分からないですから。怜さんのことを恋人だと間違われても困るでしょう?」

 たしかに、女に間違われるのはちょっと癪だなと怜は思ってしまう。

「ささ、中へどうぞ。案内しますよ」

 古屋に招き入れられて、中へと入る怜。別荘の中は時々使うような感じではなく、結構な生活観にあふれていた。

「祖父から譲り受けた別荘で、新作の創作講談を作るときの作業スペースも兼ねているので、よく出入りはしているんですよ。ここが僕の書斎です」

 そう言って案内された先には多数の本棚があり、みっちりと本が収蔵されていた。

「沢山本があるね。俺は本をあまり読まない人だからあまり興味は湧かないけれど」

「はは。人それぞれですからねー。次行きましょうか」

 古屋が次に案内したのは広い廊下にドアがいくつかある場所だった。

「ここはゲストルームのスペースなので、後で好きなのを使ってください。中はそれぞれこんな感じになってますよ」

 ドアを開けると其処は凄くシンプルな内装になっていた。

「あと、もう一つ案内する場所があるので行きましょう」

 そういうと古屋は別荘から出て更に森の奥へと進む。怜もついて数分ほど歩くと、其処には別荘の半分くらいの大きさの小屋が建っていた。

「この小屋は?」

「僕が増築した物置小屋ですね。もし必要なものがあればここから取ってきてください。中をご案内しますねー」

 小屋の中はかなりの食料や日用品が収納されていた。暫くこの小屋で籠城しても大丈夫そうなくらいの量だ。

「暗室保存用として、地下もあるんですよー。こちらです」

 横にあった地下へ向かう階段を下りる古屋。降りるとワインセラーや冷蔵庫などが完備されていた。

「凄い。別荘じゃなくて、この小屋でも住めそうな環境だ」

 怜が感心していると、ハハッと古屋が笑う。

「さすがにこの小屋は少々狭いので退屈しますよ。……まぁ」


「この奥の部屋で怜さんは住んでもらうんですがね?」


 古屋の言葉の直後に怜は背中に鋭い痛みが生じる。

「……っ」

 顔を歪ますと同時に急に力が入らなくなって、怜はその場へと倒れこむ。

「な……に……?」

 何が起こったか分からず、混乱した顔で古屋を見ると、彼の手には何か機械のようなものが握られていた。

「どうですか? 獰猛な動物用の特殊な睡眠剤なのですが、よく効くでしょ?」

「ど……う」

 どうして、と訊ねたいのだが襲い来る眠気が強すぎるため言葉を発することが難しい。

「そうですね。どうしても僕には欲しいものがあって、それには怜さん、キミが適任だったってことですかね。あ、眠くなったら寝ていていいですよ。後は僕がしておくので」

 途中から思考能力も低下していった怜はゆっくり目を閉じて、眠りへとつく。

 寝息を立てている怜を見て、古屋がくつりと嗤った。


「さぁ、“ウツワ”は手に入った」

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