第3話

 ――どうして弐沙は俺に何も言ってくれないのだろう。


 不気味な色をした赤い夕焼け色に染まった帰り道、怜はスタスタと歩く弐沙に遅れをとっていた。

「ねぇ、弐沙ったら。ねぇねぇ」

 怜の呼び止めにも弐沙は答えることは一切無く、どんどん二人の距離は離れていく。

「ちょっと、弐沙。俺の話聞いてる?」

 怜の呼びかけにピタッと足を止める弐沙。コチラを振り向いて何かを言っているようには見えるのだが、口をパクパクさせるだけで、肝心の声は怜には届かない。

「弐沙、一体何を言って……」

 怜が弐沙の声を聞き取ろうと近づいた時、急に弐沙は苦しみだし、その場に倒れこんだ。

「えっ、ちょ、弐沙!」

 その様子に驚愕した怜はすぐさま弐沙の元へ駆け寄る。その場は空と同じ色をしていた。

 朱を通り越した黒い赤。弐沙の口と腹部からはとめどなく赤いモノが流れていた。

「誰にやられた?」

 誰かが狙っている気配は感じられなかった。少なくとも、この場所では。

「……さあな」

 顔をしかめながら、弐沙は答える。

「弐沙なら誰がやったか検討は付いているんだろ? 言いなよ」

 怜には弐沙自身ならその答えを知っていると分かっていた。しかし、弐沙の口からその答えを出すことは無かった。

「……お前には関係ない」


 ――いつもこうだ。いつも弐沙は自分の身に何か起こっても俺に助けを求めない。


 ――俺は、弐沙の影なのに。


 ***


 ベッドからバッと怜が飛び起きる。顔には夥しい量の汗をかいていた。

「いやな夢を見た」

 夢の内容を思い出し、怜は顔を顰める。自分が怪我をした訳でもないが、夢の場面で弐沙か傷ついた箇所が痛い。

「……クソッ」

 怜は拳を力いっぱい振り下ろし、マットレスにたたきつけた。


「やっと起きたのか」

 リビング兼、探偵社Worstの仕事スペースへやってくると、弐沙は何か飲み物をすすりながら、読書に励んでいた。

 一先ず、夢が現実ではなかったことに怜はホッと胸を撫で下ろす。

「少し夢見が悪かったからねー、寝なおそうって二度寝してた。でも、依頼の時間には間に合うでしょ?」

 午後三時から件の古屋から護衛を頼むという依頼が入っていた。怜がちらりとリビングの時計を見ると、正午を少し回ったくらい。まだ待ち合わせ時間には少々の余裕がある。

 怜は自分専用のお菓子箱を取り出し、適当にお菓子をピックアップしてから袋を開け始める。

「ねぇ、弐沙」

 怜はバッと弐沙のほうに視線を向けて口を開いた。

「なんだ」

 弐沙は本から一切目を離すこと無く返事をする。

「弐沙はどうして何もかも自分で解決しようとするの?」

 怜の言葉にパタンと弐沙は本を閉じた。

「いきなりなんだと思えば、そんなことか。そんな事簡単だ」

 怜はマグカップで飲み物をすする。

「誰の手も借りたくないからだ」

「弐沙の影である俺の手すら借りないってことは、俺が弱いから助けられたくもないってこと?」

 怜はゴリゴリと口の中で甘味を噛み潰しながら問う。

「……そういう次元の問題ではない。ただ、気持ちの問題だ」

 弐沙はそういうと、座っていた椅子から立ち上がる。

「……少し、出掛けてくる。怜もちゃんと約束の時間には出掛けるように」

「まだ俺の話は終わっていないのだけれど?」

 そう話す怜を一瞥し、弐沙は玄関へと歩き始める。

「弐沙! だから俺の話がまだっ」


 バタン。


 怜の話を最後まで聞くことなく、玄関のドアが閉められた。

 はぁ。とため息をつく怜。

「……強くならなきゃ。弐沙は俺を頼ってくれない」

 静寂の部屋の中ではその声のみが響いていた。


 ***


 午後三時。怜は指定された駅の改札口で古屋の到着を待っていた。

 護衛が必要だという割には、公共交通機関でやってくるというのも何か妙だと思いながら待っていると、

「おーい、怜さん! お待たせしましたー!」

 古屋がモノトーンのシンプルなパーカーとワイドパンツジーンズ姿で怜の方に向かって改札から手を振っているのが見えた。

 改札をぬけて、怜の方へとやってくる。

「いやぁー、時間ピッタリですなー。ん? どうしました?」

 怜が驚いている様子を古屋が不思議そうに見る。

「和装で来るんだろうと思ったから、ビックリしただけ」

「今日は雑誌のインタビューで私服指定だったので洋服にしたんですよ。それに和服だと目立ってしまうので、目くらましには丁度よいかと。怜さんも驚かれたようですし」

 古屋は怜にニコッと笑いかけた。

「さて、この先の喫茶店でインタビューを受ける約束をしているんですが、待っている間スイーツでも食べていてください。奢りますよ」

「えっ! 本当!? まさか奢り代とかで依頼料を値切ろうとか考えていないよね?」

「いえいえそんなケチなことはしませんよ。護衛してくださっているんですから当然です。もし良かったら弐沙さんも一緒にと思ったんですが、今日はいらっしゃらないんですね」

 古屋は駅の周囲を見回すが、弐沙の姿は何処にもない。

「護衛任務は俺一人って最初から言っていたでしょ。だから俺一人が来たんだけど?」

 怜はムスッとした表情で答える。

「あー、そうでしたね。ごめんなさい」

「……もしかして古屋俺だけでは不満なの?」

「……」

 怜の言葉に古屋は暫し無言になったのち、ニヤリと笑う。

「……いえ、上出来ですよ。さて、そろそろ約束の時間なので向かいましょうか」

 そう言って二人は駅から出て、喫茶店の方へと歩き出した。


 喫茶店内。古屋がインタビューを受けている中、怜は店のメニューで気に入ったものを注文し、至福の表情で食べていた。その様子を怪訝そうに見る、記者。

「あの、すいません。彼は……?」

「ん? あー、私が雇ったマネージャー兼護衛の人ですよ。。さ、続きのお話を再開しましょうか?」

 古屋はあっさりと記者に怜の紹介をした後、インタビューの続きに応じた。



「はー、甘くて美味しかった」

 幸せ気分で喫茶店から出てきた怜。

「それは良かった。ここの喫茶店のスイーツは美味しいと有名でしたから。怜さんのお口にあってよかったです。お好きなんですよね、甘味」

「……甘いモノがあれば最高だからね」

 そんな会話をしながら最初の待ち合わせだった駅へと向かっていく。

「さて、今日はありがとうございました。次回はまたご連絡しますが。よろしかったらコレを」

 古屋は怜にメモ紙を一枚手渡した。怜がソレを見るとメモには何処かの地図と住所、そして電話番号が書かれていた。

「これは?」

「僕の別荘の場所と僕の携帯の電話番号が書かれてあります。もし、怜さんが今より強くなりたいと思うのなら是非その電話番号に電話してください」

「何故こんなものを俺に渡すんだい? それにどうして俺が強くなりたいとか考えていると思った」

 怜は古屋を睨みつける。しかし、そんな事は全く気にしない様子で古屋は怜のことを見てただただニコリと笑うだけ。


 怜は古屋が自分のことを全て見透かしているような気がしてならなかった。


「ただ単にそんな予感がしただけですよ。でも、貴方がそのつもりなら僕がそのお手伝いを出来ると思ったんです。別荘に訪れていただければ、怜さん。貴方はきっと強くなれますし、その強さでなんだって出来ると思いますよ」

「……その根拠は」

「焦らないで下さい。それから先の話は別荘にもし来ていただけるのでしたらお話しますよ。では、僕は電車の時間がありますので、これで」

 古屋はそういうと、改札を通って電車の乗り場へと消えていった。

 怜は暫くの間、古屋から握られたメモを握ったまま動くことで出来なかった。

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