第89話 ぎこちなさの中

 メイドとしての立ち方、歩き方、生活習慣の見直しやスキンケアが日常となって10日が経った。

 意外にも男たちは全員音を上げず、ひたすらに努力している。

 まあ、こいつら馬鹿だけど不真面目ではないからな。それに講師のメイドさんが美人というのも拍車をかけて、やる気が持続しているみたいだ。

 全員頭に水を乗せて、なんとか教室の端から端までを歩いている。随分な進歩だ。

 俺も、今となっては頭に水を乗せて歩くのは朝飯前。それどころか、両手に丸型のトレイとグラスを乗せても自在に歩き回るまでになった。



「素晴らしいです、八ツ橋様。目覚しい成長ですね」

「はは……どうも」



 紬さんが手放しで褒めてくれる。それに対し、膝を折って軽く会釈をするも、水は一滴も零れなかった。これに関しては、家でも雪宮に鬼の指導をされたおかげだな。



「おぉ〜。はづきち、ピエロみたい」

「そこは曲芸師と呼んでくれ」



 違い? 知るか。

 一先ずグラスを下ろしてもらい、みんな一列に並ぶ。

 横を見るとみんな疲れた顔をしているが、背筋だけは真っ直ぐで微動だにしなかった。

 すごいな。こんなに動かないこいつら、初めて見たかも。

 と、紬さんが前に出て、俺もそっちに注視した。



「皆様、大変素晴らしい成長を見させて頂きました。これにて、基礎の研修を終わります。お疲れ様でございました」



 膝を折ってお辞儀をする紬さんと他のメイドさんに、俺たちもお辞儀を返す。

 これもみんな、堂々とやっている。初日は恥ずかしそにしていたのが、嘘みたいだ。



「それでは本日より、パーラーメイドとして接客の研修に移ります。接客は実際に目の前にお客様がいた方がよろしいので、これより2人1組に別れますが……1人風邪で、本日はお休みのようですね」



 あぁ、そう言えばそうだった。てことは、今俺たちは11人……1人余るな。



「なので、1人は私がお相手致します。そうですね……では、八ツ橋様。私とペアでよろしいですか?」

「え、俺……ですか?」



 まさかの指名に、全員の目がこっちを向く。特に雪宮と黒月の目が怖い。なんでそんな目で俺を見るの。



「はい。この中では、八ツ橋様が一番練度が高いので。わたくしのような末席で申し訳ございませんが、よろしくお願い致します」

「い、いえいえっ。こちらこそ、よろしくお願いしますっ……!」



 という事で、俺と紡さんがペアとなり、雪宮は黒月と。純也は別の男子生徒とペアになった。

 いつの間にか6組分の机と椅子が準備されており、1人が椅子に座り、1人がテーブルの傍に立つ。



「それではまず、紅茶の注ぎ方から。今は練習ですので、ポットにはお水が入っています。ポットを暖めたり、蒸らしたり、ポットの移し替えは、また後日説明致します」



 紬さんが、水の入ったポットを持ち上げる。



「よく皆様がやりがちなのが、左手でポットの蓋を押さえるということ。日本の急須を使う場合は良いのですが、今回は英国式でやりましょう。単純に、紅茶の入ったポットを高すぎない高さから注ぐ。これだけです。紅茶が跳ねてお客様のお洋服を汚したり、テーブルクロスを濡らさぬよう注意してください」



 と、慣れた手つきで水をカップに注ぐ紬さん。水の流れが一定で、音すら心地いい。正に一流の仕事だった。

 次に交代して、俺がテーブルの横に立つ。紬さんは椅子に座るも、その姿さえ優雅で隙がなかった。



「さあ、どうぞ」

「は、はい」



 と言っても、まあ注ぐだけだし、そんな気負わず……。



「そこ、注ぎ口が高いですよ」

「そちらは逆に低すぎます」

「動きが硬い」

「もっと優雅に」

「零れています」



 え……えぇ。めっちゃ指摘されるじゃん。

 後ろから聞こえてくる指摘の嵐に、俺もつい動きが硬くなる。



「大丈夫です、八ツ橋様。一先ず、いつもやっているように注いでください」

「いつも……」



 いつもは紅茶じゃなくてインスタントコーヒーや、緑茶だけど……雪宮に、淹れてやってるな。

 それをイメージしながら、なるべく慎重に、丁寧に……。

 見様見真似でカップに水を注いでいる間、紬さんは黙ってその様子を見ている。



「ど……どうでしょう」

「大変ぎこちないですね」



 でしょうね!? やっぱ、お客さんの前でお茶を注ぐのって緊張するよなぁ……。

 ポットをトレイに置いて肩を落とすと、「ですが」と紬さんは続ける。



「ぎこちなさの中にある、誰かを思いやる丁寧さは感じられました。普段から、誰かにお茶を淹れていらっしゃるのですか?」



 っ……すごいな。今の一瞬で、そんなことまでわかるのか。

 でもここで、はいそうですなんて言えない。誰が聞いているかはわからないし。



「いえ、そんなことはありませんよ」

「……大変失礼致しました」



 あ、この人今、「全部わかってますよ」みたいな笑顔を見せた。そういや、春風さんには雪宮との関係を知られてたな……そりゃあ、紬さんにも共有されてるか。

 気恥ずかしくなり、紬さんから顔を背ける。

 その先にいた雪宮と偶然目が合い、またも背けることになった。

 なんとなく、居心地悪いなぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る