11.商都ティカシキ代官、アンテマ・ルヴィエート
その日も、客人二人は朝から出かけて行った。
白亜の荷車が出発するのを屋敷の二階の窓から見ながら、商都ティカシキの代官アンテマは独り呟く。
「お嬢様もよくお続きになられますね……。すぐに投げ出して叔父上のところへ戻ると思っておりましたのに」
聞けば、今日は西にある山の方へと出向き、焚き付け用の柴を刈り込んでくるのだと言う。
全くもって領主のお嬢様とは縁遠い仕事であった。
商都ティカシキはジョッシュ地方の最重要拠点である。
それ故にこの地を任せられる者は代々優秀かつ領主から血の近い者を選任する事が慣例となっており、先代代官はジョッシュ公の弟であるアンテマの父が務め、そしてその父が病死したことによって息子であるアンテマがその役目を引き継いだ。
アンテマは聡明な上に民にも慕われており、その若さにもかかわらず適任と言える存在であった。
代官であるアンテマにはこの街で起きる様々なことがすぐ耳に入ってくる。
あの二人がこの街に来てまず沸き立ったのは、冒険者ギルドであった。
「伝説のパーティの一人がこの街にやってきた」と。
最近は日中に冒険者ギルドの役員や高位ランクの冒険者達がひっきりなしに代官屋敷を訪れ、マルヴェールとの面会を望んでくる。
アンテマとしても、何か街やその周辺で厄介事がある度に冒険者達に頼っているところがあるので面会の一つでもセッティングしてあげたいところだが、肝心のマルヴェール自身がリシャノアの世話の為に屋敷を留守にしているため、未だ彼等の面会の望みは叶えられていない。
そしてそうこうしているうちに、あの白亜の荷車の奇妙さに街中が夢中になり始める。
馬もなしに休みなく走り続けるあの荷車はまさに謎と浪漫に満ちた乗り物であり、まだそれほど日が経っていないのにも関わらずいつの間にかこの街の名物となってしまった。
気の早い者はあの荷車に似た馬車や人力の車を作って街を駆け回っているのだと言う。
加えて、勘のいい者が白亜の荷車に乗っている人物のことを領主のお嬢様だと言う事にそろそろ気付き始めたようである。
建前上は勘当された身ではあるが領主の娘であることに変わりがなく、また、領主本人の明かされておらぬ内心を考えればその身に危険が迫る事は許されない。
このままいけば、本格的に警備の強化やら何やらを考えなくてはいけなくなってくるだろう。
「何とも賑やかな方達ではありますが。さてさて」
個人的に言えば、リシャノアもマルヴェールも嫌いではない。
二人とも充分に仲良くやっていける人物達である。
しかし商都代官の目線で見れば、あの二人が街に与える影響はあまりに大きい。
アンテマはあの二人が巻き起こす今後の事について考えながら、本日の公務へと向かって行った。
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「おや、今日はまだ起きていらっしゃるのですか」
その夜、アンテマが公務を終えプライベートスペースの方へ戻ると、家の者のために開放している居間のソファでリシャノアがホットミルクを飲みながら本を読んでいた。
「ええ。本日はまだ身体が動きますので、寝る前に書物でも読もうかと思いまして」
ここ数日は帰ってきて汚れを落とすや否や食事も摂らずに寝てしまうことの多かったリシャノアであるが、今日は珍しく夜灯の下でくつろいでいる。
アンテマは自分用の椅子に座り召使いにワインと軽食を持ってくるよう命じると、リシャノアと話を続けた。
「どうですか冒険者のお仕事は。楽しんでおられます?」
「ええ、日々新しい驚きがあって、新鮮です。それに、人から感謝されるのは大変嬉しいですね」
「そうですか。それは良かった」
そうは言いつつも、正直に言えばアンテマとしてはリシャノアが仕事をすると言うのなら冒険者稼業よりも自分の公務を……特に対外的社交的な仕事を手伝って欲しいところではあった。
上流階級の社交場は彼女にとってお手の物であろうし、今まで培ってきた経験もある。
しかし、本人がそれを望まないのだから、詮の無いことであることも理解していた。
(仕方ないか)
などと思いながら、アンテマは次の話題に切り替える。
「ところでリシャノア様。一つお聞きしたいのですが、マルヴェール殿はどのような方なのですか?」
「マルさんですか? アンテマ様も普段マルさんと親しくお話をされているようですが、何か疑問でも?」
「ええ。リシャノア様の目線で見られているものを知りたく思いまして」
召使いがアンテマにワイングラスと赤ワインを持ってくる。
そしてワイングラスにワインを注ぐと、テーブルの上に置いた。
「そうですね……一言で言えば、お人好しです」
「お人好し」
テーブルの上に置かれたワイングラスを手に取りながら、アンテマはリシャノアの言葉を思わず反復する。
「ええ、お人好し。私が冒険者ギルドに登録するとき、お金か時間のどちらかを担保とする必要があったのですけれど、あの方は迷いなくお金を選ばれました。その時に何とおっしゃったと思います?」
「さあ。想像もつきませんが」
「『私が雑用期間をずっとここで過ごしていたら、俺がいつまで経ってもここから旅立つことができないだろ』ですって。私をこの街に置いて放り出してもいい筈なのに、きっちりと面倒を見て下さるおつもりなのですよ。お人好しと言わずに何と言います?」
「なるほど……しかし、それはリシャノア様が高い身分の方であり、その縁を繋いでおきたいと思ったからとかではないのですか?」
「それでしたら、お姉様を危機からお救いした時にもっと長く屋敷に滞在していたはずですよ。なにせ領主の娘の恩人なのですから」
それもそうかと思いながら、アンテマは運ばれてきたワインに口を付ける。
「あとは……そうですね、マルさんに昔の事を聞いても『パーティメンバーの誰が凄かった』とか『あの時メンバーの咄嗟の機転がなければ自分はここにいない』と言った話ばかりで、ご自身がどのようにパーティに貢献したとか言った話はして頂けませんね。あの方の実力を見るに本当に活躍が出来ていないわけはありませんし、恐らく自分を出すのが苦手なのだと思います」
「なるほど。いえ、私も実はそれが気になっていたのですよ。お話を伺っても、ご自身が活躍した話は全然なさらないので……。大変失礼ながら、ひょっとしたら魔王討伐の話自体が虚言なのではないかと疑ってしまいました」
アンテマ自身もマルヴェール達がこの街にやってくる以前から「ラスト・バスティオン」が魔王を討伐し大戦を終わらせた事を知っている。
彼等がこの世界を救った事は耳に入っていたし、他国では大戦により大きな爪痕が残っていることも把握していた。
しかし、張本人であるマルヴェール本人に大戦の事や魔王との戦いの事を聞いてみても、戦役の事やパーティメンバーの事は饒舌に語ってくれるにも関わらず、本人の事となると「自分はただ荷物を持ってただけなので」とはぐらかされてしまっていたので、僅かながら疑念の気持ちが湧いていたところであった。
「こう言っては何ですが、世界を救った張本人の一人なのですから、下手な謙遜などせず相応に堂々としていて欲しいのですがね。何と言うか、誤解を恐れずに言えば損な性格の御仁のようで」
「損な性格ですか。確かにそうかも知れませんね」
そう言うと、リシャノアは飲み終えたホットミルクの容器をテーブルに置き召使いに指図する。
召使いはテーブルの上に置かれた容器を手に取り、それを片付けた。
「それで、リシャノア様は明日も冒険に出られるのですか?」
「いえ、明日から三日間はお休みだそうです。私の体調を気遣ってのこともありますが、主にマルさんご自身の都合で」
「マルヴェール殿の?」
「冒険者ギルドに頼まれて、三日間臨時の講義を開くそうですよ。『ギルドに再登録しないと言うのならせめて後進に向けての講義や魔王討伐に関する講演会の一つでも開いて欲しい』と請われて、渋々と」
「なるほど」
ただのお人好しですね。
という言葉を呑み込んで、アンテマは空になったワイングラスをテーブルの上に置いた。
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