8.焼きまんじゅうと商業都市
「これ、中々旨いな」
俺は串に刺さった小麦粉菓子を食べながら、率直な感想を述べた。
「ええ。まさかこのような物が我が家からそう遠くない場所で作られているとは。驚きです」
リシャノアお嬢さんもその菓子を食べながら言う。
街道をしばらく行ったところで旅宿を見つけた俺達は、ケートラをしばし休めて旅宿と併設して営まれている茶屋で休憩がてら名物の菓子を食べていた。
「この辺じゃあよう作っとるよ。酒さ飲みながら食うもんだんべ」
「そうなんですか。小麦粉を蒸して練ったお菓子は食べたことがあるのですが、そこから更に甘辛いタレをかけて焼いた物を食べるのは初めてです」
裏でせっせと作業している店のお婆さんに返事をしながら、俺は二串目に手を付ける。
一度蒸したふわふわの小麦粉菓子を更に焼くものだから、サクサクした食感とふわっと感が両立していてかなり不思議な食べ心地となっている。
焼かれた結果による香ばしさもさることながら、甘辛いタレがまた絶妙にマッチする。
「私も初めて食べました」
「この辺りはまだ屋敷と目と鼻の先だと思うんだが、それでも食べた事はないのか?」
「ええ、食卓に上ったことはありません」
「そうなのか。まあ、貴族と庶民じゃ食べているものは違うからな」
「屋敷の近くだけとは言え私なりに領地を歩いて色々と見てきたつもりだったのですが、こんなにすぐ傍にも知らない事があるのですね」
屋敷の中で過ごすことが多かったお嬢さんにとって、見るものすべてが新鮮であろう。
だが、それとは逆に屋敷で過ごしてきた日常も、また稀有な体験であることを忘れないで欲しい。
それに、ジョッシュ公のあの態度を見るに、彼女は父親に頭を下げさえすれば、まだあの屋敷に戻ることが出来る。
お嬢さんには少々不誠実であるが、適当に世間に触れさせたところであの屋敷に連れ戻すのが俺の与えられた役目なのだろう。
「まあ、気ままな旅人だしそれもいいか……」
隣にいるお嬢さんには聞こえないよう呟きながら、俺は二串目の小麦粉菓子を平らげた。
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「城壁のような囲いと大きな門が見えてきたな。あれが、商都ティカシキだ……って、自分の領内なら行ったことがあるか」
「お父様に連れられたのも幼少期に僅か一度だけですよ。実質初めてのようなものです」
ケートラを走らせていると、ジョッシュ地方で一、二位を争う規模の街が見えてきた。
領主の屋敷からは徒歩でも二日三日かければ到着する程の距離にあり、この地域の基幹を担う街でもある。
東西に伸びる大街道から北に向かう小街道が分岐する交通の要衝であると同時に、王都まで続く大きな川の近くと言うこともあり、古くは軍事拠点として興りつつもその利便性の良さから商業都市に形を変えて発展してきた街だ。
そんな街の出入口である大門の傍まで来たところで、衛兵達に止められる。
「変わった荷車だな。通行証はあるかい? それとも通行賃か?」
「通行証だ。確認してくれ」
ケートラの窓越しにジョッシュ公が直々に用意してくれた通行証を渡すと、衛兵達は「ははぁ」と言った顔をして通行証を返却しつつ道を開けてくれた。
「あんた等が代官様の言ってたお客人だんべか。いや失敬した。通ってくれ」
どうやら街の代官には既に話が通っているらしい。
俺達がのんびり物見遊山をしている間に、公の出したメッセンジャーが追い抜いて行ったのだろう。
「これは、先に街の代官に挨拶に行っといた方がいいな。代官とは知り合いか?」
「ええ、今は私の従兄弟に当たる方が任用されております。年に二回、種蒔期と収穫期の挨拶には必ず屋敷に訪れておりましたので、顔は知っておりますよ」
「そうか。了解した」
そう言って俺は石畳で舗装された街の馬車通りを使い、代官屋敷の方へとケートラを走らせた。
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「ようこそおいで下さいました。お待ちしておりましたよリシャノア様、マルヴェール殿」
街の中心にある代官屋敷の応接間で待っていると、リシャノアお嬢さんと同じ金髪碧眼の持ち主の青年が現れた。
「お久し振りです、アンテマ様。この度は突然の来訪にもかかわらず応対頂き、誠にありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ真っ先に我が屋敷を訪ねて下さって恐悦至極です。お二人に部屋を用意してございますので、この街に滞在している間は自由に使って下さい」
お嬢さんよりも少し年上だろうか、シンプルながら小奇麗な服に身を包んだ青年アンテマ氏は、礼儀正しくもフランクな態度である。
「早速で申し訳ないのですが、旅の汚れだけは先に落としたく存じます。湯殿をお貸し願えないでしょうか」
「ええ、既に用意させてあります。使いの者に案内させますので、ごゆるりとお過ごし下さい」
お嬢さんは召使いの案内に従い、応接間を後にする。
後には俺とアンテマ氏とその召使いだけが残された。
「ええと、ジョッシュ公から聞いているのかも知れないのだが……その、お嬢さんのことで」
「はい、お聞き申し上げております。リシャノア様が勘当されたことは」
そう言うとアンテマは俺が座っているソファの対面にある椅子に座り、召使いにワインを持ってくるよう命じた。
「そうか。いや、まあ建前上は勘当と言いつつも、どちらかと言うと『そんなに言うならしっかり外を見てこい』と言う内心も隠しきれていないと言うか……分かるだろうか」
「ふふ。ええ、分かりますとも。何しろジョッシュ公……我が叔父上は大変に甘い方ですので。叔父上から頂いた手紙には要約すると、このように書かれていましたよ。『リシャノアは勘当した。それはそれとして、マルヴェール殿には世話になったから彼が望むよう便宜を図るように』と」
……なるほど。
「なんとも言外に『娘を宜しく』と言っているようにも聞こえるな……」
「まさしくその通りで……あ、マルヴェール殿もどうぞ」
「すまない、下戸なんだ。ちょっと飲んだだけでも、そのまま気持ち悪くなって寝てしまう」
「それは何と勿体ない。それでは、フラガリアの実を潰して牛の乳で溶いた飲み物はいかがです? 今が旬で
「それでお願いしたい」
アンテマ氏に勧められたワインを断り、赤いベリー系の果肉と牛乳の白が綺麗に入り混じったノンアルコールのドリンクを頂いた。
「さて、本日はこれでお休みとして、明日はどうなさるのです?」
「ああ、街の見物がてら買い物だな。色々と見て回りたいものもあるし」
「それでしたら、明日までに私から商人ギルド宛の書状を一筆手配しておきましょう。この街でのマルヴェール殿の支払いは叔父上が持つと言っておりましたので」
「そこまでは流石に……悪い気がするな……」
と言いつつも、お嬢さんの分の必需品についてはジョッシュ公に負担して貰ってもいいだろう。
その部分についてはお言葉に甘えることにした。
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翌日、俺とリシャノアお嬢さんはケートラに乗りながら、馬車通りを走っていた。
「ええと、どこに向かっておられるのですか?」
「ああ。まずは仕立て屋だ。昨日アンテマ氏に冒険者向けの衣服を作っている仕立て屋を教えて貰ったのでね」
ケートラの運転をしながら、お嬢さんの問いに答える。
「仕立て屋?」
「そう。お嬢さん、まさかその白くてヒラヒラした服のまま旅をするわけにはいかないだろう? まずは仕立て屋でお嬢さん向けに丁度いい服を買うか、無ければ仕立てて貰うって訳だ」
「なるほど。確かにこのような姿では、野を歩くのに向きませんね」
昨日とは違う服だが、今お嬢さんが来ている服もまさに貴族の淑女然とした召物だ。
そんな恰好で歩き回るのはリスクしかない。
「その後はこの街の冒険者ギルドに行く」
「それは、マルヴェール様のご用事で?」
「いや、違うな」
俺はもう冒険者登録を抹消し、ギルドとは関係がないただの旅人である。
「冒険者ギルドに行くのはお嬢さん、君のためだ。……なりたいんだろう? 冒険者」
「……! はい! 是非にとも!!」
お嬢さんは目を輝かせながら頷いた。
「よし、そうと決まればまずは服からだ。丁度いい在庫があればいいけどな」
ここまで来たのだから、まあ取りあえずは本人の希望通りの道は歩ませてあげよう。
そんなことを思いながら、俺は商店の立ち並ぶ方へとケートラを走らせた。
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