第14話 治癒魔法

 ラーセンさんが頷くと黙って踵を返し歩き始める、愛想がないね。

ドアを潜ると広いホールだ地味に見えるが、重厚な壁板や傍らに置かれた家具も腕の良い職人の物だろう。

 思わず口笛を吹きそうになるが、エディ君は行儀の良い子です。

 アイリは完全に腰が引けているので、軽く背に手をあててエスコートする。


 階段を上がり幾つかの部屋の前を通り、瀟洒な彫り物が施されたドアをノックする。

 内側から開けられたドアの傍らにメイドが立っている。

 ラーセンさんを見て黙って頭を下げる、ラーセンさんがアイリを促すがアイリが硬直している。

 無理も無い孤児院では想像すら出来ない部屋の造りだ。

 部屋の中央に大きな天蓋付きのベッドが置かれ、瀟洒な家具が配置されている。


 アイリの背を押してベッドの側に行くと、痩せ衰えたと表現するのがぴったりな女性が眠っている。

 ベッドの反対側に一人の男が腰掛けているが、アイリを見る目は懐疑的と表現出来る目だ。

 当然だろうな、ラーセンさんが此の家でどの様な立ち位置か知らないが、旅の途中で見かけた治癒魔法使いを連れて来て、信用しろと言われても無理だし。


 「アイリ気楽にやれ、どうせ治らなくても気にする必要は無いぞ。さっさとやって帰ろうぜ」


 向かいの男の目付きが鋭くなるが知ったことか。

 アイリが横たわる女性の上に手をかざし軽く目を閉じ集中するが、みるみる顔色が悪くなり口を押さえてしゃがみ込んだ。


 「どうしたアイリ」


 「気持ち悪い・・・吐きそう」


 今にもリバースしそうな青い顔で言われ、慌ててマジックポーチから木桶を取り出すと、アイリはそれを抱えて吐き出した。


 ラーセンさんが慌てているが、俺もアイリのこんな状態は初めて見た。


 「アイリどういう訳だ、何時ものお前と違いすぎる」


 「この人の身体から嫌な気配が押し寄せてくる。病気や怪我の気配とは違う。怪我や病気なら悪いところが感じられるけど、この人からはそれが無い。全身からムカつく感じがして気持ち悪い」


 「どうした事だ! 彼女は何を言っている」


 「黙っててくれ! いまそれを聞いているのだ」


 アイリが治癒魔法を使う時の事を初めて聞いたが、悪いところが感じられる。だがこの女性からはそれが無く、気持ちの悪さだけとは何だ。

 彼女の症状に悪いところが無く、気持ち悪いって病気以外のものって事か。


 オイオイ待てよアイリ、お前とんでもない事を言ってるぞ。

 迂闊に口に出すと不味いことになりそうだし、周囲を見回すとドアを開けたメイドの他に二人のメイドが壁際に控えている。

 ベッドの反対側に座る男が此の屋敷の主人だろう、彼とラーセンさん。


 「貴方はこの女性の配偶者ですか」


 「何故そんな事を聞く。それより役に立たない魔法使いなら必要無い帰れ!」


 「帰れと言うなら帰るが、その前に確認したい事がある。貴方とラーセンさんを残して他の者は部屋から出て貰えますか」


 「そんな必要は無い」


 「たった1,2分の事ですよ。大事な話です」


 俺の真剣な声に初めて室内を見回しメイド達に下がるように命じた。


 「此れで良かろう」


 「多分毒物を摂取してますね、アイリが言った悪い所が感じられる。ところが彼女からはそれが感じられず、ひたすら気持ち悪いと言って吐き出した。彼女が口にする食事や薬など全ての物を見直してはどうですか」


 俺の言葉を聞き身体を揺らして唸りながら考え込んでいる。


 「アイリ気持ち悪いだろうけど少しは治療出来ないか、このままじゃ長く持ちそうにないだろう」


 木桶を抱えたままアイリが女性を見、俺を見て考え込む。


 「やってみる。でもこんなの初めてだからどうなっても知らないよ」


 抱きしめていた木桶をどけて立ち上がり、再び女性の上に手を翳すと目をとじたが、みるみるアイリの顔色が悪くなっていく。

 青白い顔から蒼白になったところで耐えきれなくなったのか、崩れる様に木桶を抱えて吐き出した。

 アイリの背を撫でながら女性を見ると、多少顔色が良くなった様に見えるが気のせいかな。


 考え込む男を放置してアイリが落ち着くのを待ち、ラーセンさんに帰る旨を伝える。


 「待ちたまえ、その状態では辛いだろう。部屋を用意するから泊まっていきなさい」


 「冗談でしょう。貴方達の気まぐれに付き合って此の様ですよ。これ以上は御免被ります」


 ラーセンさんを促して馬車に戻ると宿まで送らせた。

 宿に帰っても顔色の悪いアイリに自分に治癒魔法を使ってみろと言う。

 リフレッシュやクリーンが自分に対して使えるなら治癒魔法も自分に対して使える筈だと言ったら即座に自分を治療している。

 余程気持ちが悪かったのだろう。

 暫くすると顔色も良くなり酷い目にあったと愚痴りだした。

 その夜は食堂に下りる元気もなく収納から取り出したスープだけ飲み、魔力放出でアイリは即座に眠りに就いた。


 二日後の夕刻、再びラーセンさんが宿を訪れ、アイリに革袋を差し出し深々と頭を下げた。

 聞けば俺達が帰った後彼女の部屋を封鎖し、薬草や毒物の詳しい者を呼び寄せ口にする物から食器や衣服まで全て調べたそうだ。

 お茶と薬草と水から毒草の煮汁が混ぜられているのが判ったが、その時には側仕えのメイド一人とメイド達を監督する責任者が血を吐いて倒れていたそうだ。

 事件は迷宮入りね、阿呆らしい。


 そして改めてアイリに治療を依頼したいので、受けてもらえないかと提案された。

 病人の容体を聞くと、あれから穏やかに眠り顔色も少し良くなったが、毒草の影響だろう弱った身体の治療をお願いしたいと頭を下げる。


 「ラーセンさん相手が誰だか知らず、旅の道連れの頼みを聞いて出向いたが、これ以上不愉快な思いはしたくない」


 「これは失礼した。暫く待って貰えないか」


 そう言ってラーセンさんが部屋を出て行ったが直ぐにドアがノックされた。 ドアを開けると病人の向かいに座っていた男が立っていて静かに頭を下げた。


 「先日は失礼した。折り入ってお願いが在るのだが入って宜しいかな」


 今日はえらく礼儀正しいな、皮肉な気持ちながら部屋に招き入れる。

 左右の壁際にベッドが有り二人掛けの小さなテーブルと椅子が二脚だけの部屋だ、ベッドに腰掛けて貰い向かい合わせに座る。


 「先日は失礼した。私は王都ラクセンのモール街で宝石商を営むガーランだ。今日は先日の詫びと、改めてアイリ殿に治療の依頼に来たのだが受けてもらえないだろうか」


 俺は気乗りしないが、アイリが病人の事が気になる様で一度容体をみたいと言い出し、仕方なく送り出そうとしたが俺の手を握って離さない。

 アイリが俺がいなきゃ安心できないと言うのを聞き、ガーランが安全は保証すると言ったがアイリの言い草が奮っていた。


 「私もエディも孤児院育ち、綺麗事には散々痛い目に合ってきたんだよ。あんたを信用してのこのこ出向く程間抜けじゃない。エディと一緒じゃなきゃ行かないよ」


 怒るかなと思ったが苦笑して立ち上がり、俺とアイリに深々と頭を下げ彼の妻の治療を頼み込んできた。

 まさか金持ちが自分に頭を下げ頼み込んでくると思っていなかったアイリが、困惑顔で俺を見つめてくる。

 ここで断るのも大人げないし、アイリも経過を気にしているので付き合う事にした。


 先日乗った馬車も豪華だったが、今日の馬車はそれを上回り流石の俺も乗るのを一瞬ためらう様な芸術品だ。

 外観は少し上等な感じだが御者が踏み台を出し扉を開けた時、アイリが後ずさった程である。

 レディーファーストで馬車に押し込むのに苦労するぜ。

 昼間に見るお屋敷は4階建て店舗兼用らしく俺達が以前通ったホールは裏口だってさ、あれで裏口か此の世界の金持ちも相当だねと感心した。


 先日入った同じ部屋なのに雰囲気が明るく感じられる、アイリも同じ様で部屋を見回しているが何処がどうとは言えない。

 アイリを促し病人の傍らに行くと手を翳し目を閉じたが、にっこり笑って前回より大分マシだと呟く。

 それでも治療を始めるとだんだん顔色が悪くなってくるのが判る、手を下ろし自分に治癒魔法を使って回復をはかり、俺に頷く。

 病人は呼吸も安定しているし、顔色も若干良くなっている。


 「今日は此れまでにして下さい。もし不調になれば治癒魔法使いを呼んで治療すれば回復が早まると思いますよ」


 「君達にはもう来て貰えないって事かな」


 「俺はあの宿に何時までいるか判りませんから」


 「君はって事はアイリ殿は当分あの宿に宿泊しているのかな。出来れば引き続き治療をお願いしたいのだが」


 「それはアイリ次第ですが、貴方をどの程度信頼してよいか判断材料がありません。もう一つ彼女を救う為に使った力は、貴方がアイリ以前に雇った治癒魔法使いよりも能力が高い筈だ。孤児院上がりの冒険者治癒魔法使い、他者より能力が高いと知れ渡ったらどうなると思います」


 黙って聞いていたがラーセンや使用人達に口止めし、誰にもアイリの事を口外しないことを約束してくれたが、先の保証はない。

 最も先の保証など求めても何れ知れ渡る事になるだろう。

 この男の事も当分は様子見だ、治療を続けるも止めるもアイリ次第にするしかない。

 俺も此の地で遣ることがある、何時までもアイリと行動を共にする気もない。

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