第15話 お誘い

「い、いただきまふ!」

「はーい、いっぱいあるからどんどん食べてね」

「はひ!」


 母のカレーを目の前にしてガッチガチに緊張した様子の紫月はまるで昨日から何も食べていなかったかのようにカレーにがっつく。

 慌てすぎて、一口目で「あちっ」といいながらすぐに水を飲んでひーひー言ってる幼馴染を見ていると、昔に戻った気分になる。


 毎週こうやってうちでカレー食べてた時期もあったなあと。

 でも、俺たちが付き合ったらまたこうやって毎週一緒にご飯を食べたりするようになるのかな。

 なんか、昨日の勢いそのままにここで告白しちゃいたい気分だ。

 ま、母さんがいるからそんなことできないけど。


「がつがつ、がつがつ、あっち!」

「……」


 そんな俺の気も知らず、相変わらずカレーを貪る紫月は、あっという間に完食。

 そしておかわりをねだろうとした時に、母がそっと席を立つ。


「あ、私ちょっと今からお友達と会う用事あるから。おかわりは秀太に頼んでね」


 じゃあ、ごゆっくり。

 そう言って母はさっさと退席した。


「……」

「カレー、注ごうか?」


 お預けを喰らった犬みたいな顔で固まる紫月に声をかけると、今度はぶんぶんと首を横に振って「お、おなかいっぱい!」と言って下を向いてしまった。


「……」

「いや、遠慮すんなよ。カレー、食べたいんだろ?」

「……だって」

「お前がカレーを飲み物みたいに食べるのは今に始まった話じゃないだろ。恥ずかしがるなよ」

「は、恥ずかしいもん!」

「……紫月?」


 少し涙目になりながら。

 唇を噛む紫月は膝に手を置いて拳をきゅっと握る。

 少し肩を震わせながら、潤んだ瞳でじっと空になった皿を見つめている。


「……しゅうちゃんの前では、女の子っぽくしたいもん」

「なんだよそれ。別に俺は何も気にしてないって」

「き、気にしてないの?」

「まあ、今更だし」

「……じゃあ、大食いでも嫌いにならない?」

「……当たり前だろ」


 そんなことで嫌いになるくらいなら、他にもっとめんどくさいポイントはいっぱいある。

 案外わがままだし、バカだし、ドジだし、素直でもない。

 そんな全部が好きなんだから、少々食べ過ぎるくらいどうでもいいって話だ。

 ……やっぱり今かな。

 家でカレー食べながらってのも味気ない話だが、昨日はちゃんと口にできたんだ。

 今だって。


「紫月、俺はさ」

「じゃあカレー食べたい!」

「いや、あのさ」

「や、やっぱり変?」

「……大盛りでいいか?」

「うん!」


 結局、カレーに夢中だった紫月とは、食べ終えるまで話ができる雰囲気ではなく。

 三杯目のカレーを見事に平らげたところで「ふひー」と空気が抜けたような声を出して椅子にもたれかかる紫月を見て、ようやく話を戻す。


「もういいのか?」

「う、うん。ごちそうさま」

「じゃあ片付けてくるから、お前はテレビでも見てろよ」

「え、だ、ダメだよ! わ、私も手伝う」

「いいって、そんなに洗い物多くないし」

「だ、だって……あ、洗い物もできないお嫁さんとか、絶対嫌、だよね?」

「え?」

「……と、とにかく私が洗う! 洗うから!」

「お、おい危ないぞ」


 テーブルの皿とコップをかき集めるようにガチャガチャと重ねて台所に走っていく紫月の顔は、まるで顔に真っ赤なペンキでも塗られたのかと言いたくなるほどに真っ赤っか。

 で、やっぱり予想通り。


『ガシャンッ!』


 何かが割れた。


「お、おい。紫月、大丈夫か?」

「……ごめんなさい、コップが」

「ああ、別にいいよ。それより……手、血が出てる」

「あ、ほんとだ……」

「絆創膏持ってくるから、そのままでいろよ」


 紫月は指の先を少し切っていた。

 すぐに絆創膏を出して、傷口に巻く。

 

「これでよし、と」

「……」

「痛いのか?」

「んーん、そうじゃなくて……しゅうちゃん、私がこんなんなのに怒らないの?」

「別に悪いことしてないんだから怒る必要がないだろ」

「だけど、迷惑ばっかかけてる」


 コップの破片をつまみながら、今にも泣きそうになる紫月が何を言いたいかはわかる。

 多分、ドジな自分に自信がないのだろう。

 だから踏み出す勇気もなく、俺との関係にも自信を持てないってわけだ。


 そんなの……。


「俺はお前がいてくれないことの方が迷惑なんだよ」

「……しゅうちゃん、それって」

「あ、いや……だ、だって幼馴染がフラフラしてたら心配、だろ? お前、騙されやすそうだし」

「……うん。じゃあ迷惑かけないように、しゅうちゃんの側に、いていい?」

「……当たり前だろ」


 そっと、頭を撫でた。

 すると恥ずかしそうに下を向きながら紫月は「ほ、ほうき持ってくるね」と言って、玄関の方へ走っていって。


 大きな破片を手で拾い集めながら、随分とキザなことを口走ったなと反省して。


 やがていつまで経っても戻ってこない紫月を心配になって見にいくと、玄関のところで充電が切れたルンバのように固まったまま、靴箱にもたれかかってすやすや寝ている彼女を発見し、慌ててソファまで連れていくことになった。



 夕方に目が覚めた紫月はそのまま自宅へ帰り、結局進展のないまま週末を終えることとなった。

 いや、進展がなかったというのは少し違うかもしれない。

 収穫はたくさんあった。

 ただ、それが形として身を結ばなかっただけ。

 それもこれも俺がいざとなったら緊張してしまうことと、紫月が肝心な時に気絶するからだ。

 俺の問題は俺自身で解決するとして、問題はどうやって紫月が気絶する前に告白するか、だ。

 サプライズ、というのは考えたけどそのあとが大変そうだし。

 ある程度心の準備ってものはさせてあげたい。

 でもその時に緊張しすぎない程度にしながら、か。

 難しいなあ、ほんと。

 

 あれこれ考えながらもいい方法が思い当たらないまま、夜。


 紫月からラインが来た。


『明日の放課後、たこやき焼く練習しない?』


 一応、模擬店のことを彼女なりに考えていたようだ。

 たしかに時間はあまりない。

 それに、俺がたこ焼きをうまく焼けるというのが嘘とバレたら、俺も鹿島も、なんなら紫月だって皆に責められること間違いなし。

 それは避けなければだし、店の売り上げはクラスの評価にもつながるわけだから代表としてちゃんと努力するのは義務ってわけだ。


『わかった、じゃあ帰りに買い物して帰るか?』


 紫月と寄り道する口実にもなるし、結果オーライかと。

 そう返事を入れたあと、彼女からの連絡はないまま。


 やがて眠気に誘われて、目を閉じた。



「秀太、秀太起きなさい」


 朝。

 まだ登校時間まで少しあるというのに母さんが部屋まで俺を呼びにきた。


「ん、なんだよまだ早いって」

「紫月ちゃんが迎えにきてるわよ。早く降りなさい」

「紫月が?」


 ここ最近、朝に迎えに来るなんてことがなかった紫月が制服に着替えて家にやってきた。


 玄関に立つ彼女は下を向いたままもじもじしていて、「おはよう」と声をかけると聞こえるか聞こえないかの声で小さく「おはよう……」と。

 言ってから顔を真っ赤にしていた。

 

「どうしたんだよ、珍しいな」

「め、珍しく、ないもん……毎日、来てたもん」

「まあ、そうだけど。最近来なかったし」

「……学校、一緒に行こ?」

「ああ、わかった」


 どういう心境の変化か。

 まあ、彼女なりに頑張ってくれてるってことか。

 俺は少し嬉しくなって、慌てて靴を履いて彼女と一緒に通学路へ。

 少し早いので人通りは少なかったけどそれでも朝練やらなんやらで学校に向かう連中もぼちぼちいて。

 みんな、紫月の方を振り返って見ていた。

 ついでに俺は睨まれていた。


「やっぱりお前、人気者だな」

「し、知らないよ……別に、人気者じゃなくていい」

「いいじゃん、みんなに好かれるのは才能だよ」

「……」


 どうやらここらが限界のようだ。

 これ以上話していたら学校に着く前に気絶してしまいそうなので俺も黙って。


 淡々と学校を目指して歩いていると、正門が見えた辺りで紫月の方から話しかけてきた。


「し、しゅうちゃん……」

「なんだ?」

「お、お弁当……今日は作ったよ?」

「え、ほんとに? じゃあ今日は一緒に食べよっか」

「う、うん……でね、あの、えとね、ええと」

「落ち着けって。別に逃げないから」

「……今日の放課後のこと、なんだけど」

「たこ焼き作るんだろ? だったらうちで」

「そ、それなんだけど……うちに、来ない?」

「まあ、いいけど。いいの?」

「……うん」


 家は隣だし、別にどっちの家でやっても一緒のことだろうと思って軽く返事をしたつもりだったが、何故か紫月の顔はみるみると赤くなっていく。


 何がそんなに恥ずかしいんだ?

 昨日だってうちに来てたのに。


「紫月?」

「……」

「ん?」

「な、なんでもない! さ、先行くね!」

「お、おい」


 なぜかはわからないが、紫月は逃げた。

 相変わらず変な走り方で、すばしっこく。

 それを見て呆れながら、ゆっくりとあとを追いかけて。

 やがて教室につくと、先に着いた紫月が席に座って固まっていて。


 俺も席につくと、いつものように彼女の独り言が聞こえてくる。


「今日、おうちに誰もいないからって……え、えっちだとか思われたらどうしよう……」


 ということだ。

 今日は紫月の家の人は留守だそうだ。


 で、敢えてそこに俺を誘って、か。


 ……。


 別にいつものことのはずなのに、改めてそう言われるとちょっと緊張してきた。


 二人っきり、か。

 頼むから今日だけは気絶しないでくれよ。


 

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