第8話 寝坊
金曜日。
今日を乗り切れば楽しい週末を迎えられるこの日、朝の学校に紫月の姿はなかった。
遅めの登校かなってくらいに思っていたけど、始業時刻が迫っても彼女が姿を見せない。
で、心配になって電話してみた。
「……もしもし紫月?」
「うーん、今何時……」
「おい、寝ぼけるな。遅刻だぞ」
「え!? え、え、えー!」
寝ぼけたまま電話をとった彼女は、電話の向こうで慌てふためいている。
寝坊とは珍しい。
夜更かしはしないというか、すぐ眠くなるから夜更かしできないタイプなのに。
「とにかく落ち着け。ダッシュでこいよ」
「ま、待ってしゅうちゃん! 今、家の鍵探してるんだけどどこにもないの! どこ!?」
「知らないよ……」
「うえーん、鍵かけずに出たらお母さんに怒られちゃうよ!」
「……」
四条家はうちと同じく共働き。
だから学校に通う紫月が最後に家を出ることも多く、しかし天然な彼女は鍵の閉め忘れが多くて昔はよく怒られたそうで。
だから今となってはその辺はとてもきちんとして……たはずなんだけどまさか鍵をなくすとは。
うーん、どうしたものか。
「今日は休むか?」
「そ、それもダメ! ズル休みしたらお母さんに怒られちゃう」
「……今からそっち行くから、なるべく心当たりの場所を探しとけ」
「え、でも」
「いいから、切るぞ」
ほんと手のかかる幼なじみだ。
最も、世話が焼けるからこそ可愛いのだけど今はそういうことを言ってはいられない。
紫月が困ってるんだからなんとかしてやるのが幼なじみの役目。
学校が始まろうという時間なのに俺は慌てて登校してくる生徒たちとすれ違うようにして、校庭をかけぬける。
正門で。
遅刻者をチェックしている先生に止められそうになったが、「家の鍵を閉め忘れたんです」と言ったら通じた。
ま、遅刻免除とはならないだろうが。
学校を出て、そのまま走る。
こっちに向かってくる紫月の姿を期待したが、残念ながら彼女の家の前についてもその姿はなく。
チャイムも鳴らさずに四条宅に入る。
「紫月、いるか?」
「し、しゅうちゃん! ないの、どこにもないのどうしよう!」
「だから落ち着けって」
二階の彼女の部屋からドタバタと降りてきた紫月は一応制服には着替えていたが、髪の毛は寝癖だらけで目の下にはクマができている。
夜更かししたってのは当たったみたいだな。
「ど、どーしよ? このままだと遅刻しちゃうよー」
もう落ち着くのに昼までかかりそうな紫月を置いて、俺は勝手に冷静になる。
とにかく鍵だ。
鍵がないと紫月は家から出られないわけで、とにかくその手がかりを……。
いやまてよ?
「なあ紫月、鍵って昔から変わってないよな?」
「う、うん。壊れたこととかなかったはず、だけど」
「……俺、そういやここの鍵持ってるわ」
紫月のお世話係として。
彼女の母親から中学の時に預けられたものがあったのを思い出した。
ほとんど使うことがなくてすっかり忘れてたが。
「ほ、ほんと? え、ほんとに?」
「ああ、確か……あった。これでとりあえず鍵閉めて学校行くぞ。探すのは放課後だ」
「うん! しゅうちゃんありがとー!」
「お、おい」
紫月が、甘えるように抱きついてくる。
この状況の解決がよほど嬉しかったのだろう。彼女は嬉しいと昔からこうして俺に戯れてくる癖があった。
最近はあまりなかったけど、甘えて頬を俺の腕にすりすりしてくる仕草もそのままだ。
「は、早くいかないと」
「うん、わかってる。でも、もうちょっとこうしてて、いい?」
「……ああ、いいよ」
こうしてると、やっぱり彼女の顔は見えない。
目も合うはずがない。
だけど今はこのままでいいかな。
焦ってたせいで俺への恥ずかしさも忘れてこうやって甘えてくる彼女の目が覚めるまでの間、もう少しだけこのままで。
◇
「神前さん、四条さん。あとで職員室まで来なさい」
二人揃って仲良く遅刻した。
紫月が恥ずかしさを取り戻したのは甘えん坊が加速して、ふと俺を見上げた時に目があったあと。
じわっと顔を赤くして俺から離れ、既に遅刻だというのに部屋に逃げ帰ってしまった彼女を引っ張り出すのに手間取って。
登校できたのは三限目が終わるころになってだった。
「あー、昼休みが潰れたな……」
窓の外を見ながらぼやいてしまう。
まあぼやきたくもなる。なにせうちの学校は遅刻とかに厳しいから、この後は間違いなく説教だしなんなら反省文とかも書かされるだろうと知ってるから。
ただ、あまりぐちぐちも言えない。
なぜなら、
「私のせいでしゅうちゃんまで……嫌われちゃう、嫌われちゃうよ……しゅうちゃん、嫌いにならないで……」
と、後ろでずっとつぶやいてる紫月がいるから。
だから嫌いになんかならないんだけど。
むしろそういうドジなところも可愛いって思ってるんだけど。
あまり甘やかしすぎたら反省しないし、かと言って気に病んでる彼女をほったらかしというのもどうかと思うし。
うーん、どうしたものか。
悩んではみたものの答えは見つからなかったが、とりあえず自分たちの罪を軽くする為の裏工作くらいは働いてみようと。
頼れる生徒会長様のところへ。
「鹿島、今日の遅刻の件についてだけど」
鹿島は先日の模擬店を誰がするかの一件では随分とヘマを働いてくれたが、それでも基本的には有能な生徒会長としての立ち位置は揺るがない。
先生からの信頼も厚く、彼が事情を説明してくれれば俺たちの罪もいくらかは軽くなるはず。
持つべきものは頼れる友、というより使えるものは使う。
紫月のためなら。
「うーん、実際の理由はなんだったんだ?」
「正味なとこは紫月が寝坊して、そのあと家の鍵がないからってことで探しに行ったんだけど」
「で、見つかるまでに時間がかかったと」
「そ。だから仕方ないじゃんか」
「うーん」
難しい顔で鹿島が見てくる。
何か変なことでも言ったかな?
「なんだよ」
「いや、それで四条さんが遅刻するのはわかるけど、お前まで遅刻する理由がないじゃん」
「ほ、ほっとけないだろ紫月が困ってるのに」
「はいはいご馳走さま。その気持ちはよくわかるけど先生には通用しないってこと。幼なじみとはいえ、他人なんだから」
「ふーむ」
今度は俺の眉間に皺が寄る。
たしかに鹿島のいうことは最もだ。
だからこの場合は怒られることを覚悟で幼なじみを助けに行った以上、そのリスクはきちんと背負えということか。
「はあ、どうにもならんな」
「そゆこと。生徒会長といってもやれることとやれないことがある」
「最高権力者じゃなかったのかよ」
「いずれそうなる」
「ならねえよ」
学校を乗っ取る計画でも立ててるのかこいつは。
「でもまあ、結果オーライなんじゃないか?」
「何がだよ。反省文とか、最悪じゃんか」
「それだよそれ。遅刻者はさ、居残りで反省文書かされるんだけど、それってつまり放課後に二人で残るってことだろ? 話す機会できそうじゃん」
「どうせ居残るなら模擬店の打ち合わせでいいだろ」
「あ、そっか。ていうか模擬店の件は進んでんのか?」
「ぼちぼち。明日飯食いながらやる予定」
「あ、そ。惚気話ご馳走さま。ていうかそろそろ席もどったら?」
呆れた様子で鹿島は首を振ってから、紫月の方を見る。
俺も釣られて紫月の方を振り向くと、彼女が。
こっちを見ていた。
もちろんすぐに目を逸らす。
「ずっとこっち見てたぞ。戻ってやれよ」
「戻っても話してくれないよ」
「照れてるだけなんだろそれって。結局ラブラブじゃん」
「……まあ」
俺も否定はしない。
他人から見れば俺たちのやってることなんて好き同士の茶番だ。
ただ当人たちからすればそんな風に笑えないから困ってるってのに。
もうお腹いっぱいですと腹を叩きながら鹿島は逃げるように席を離れた。
なので仕方なく席に戻ると、紫月は慌てて下を向いた。
席に着くと、また彼女の独り言が聞こえるかと思ったが静かだった。
そのまま授業が始まって、気が付けばあっという間に昼休み。
紫月と一緒に、職員室へ呼ばれた。
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