第25話 枠と、大人

 早速、丈に真冬と夏美を任せ、春奈と共に堤防から糸を垂らして釣りに興じる。

 一応、初心者である女性陣に釣りを教えるという名目で、指導担当の父たちは分かれると言ってある。

 だが、湊が春奈と二人っきりになりたかったのはフェアリージュエルを奪う目的があったからだけではない。

「春奈ちゃん、最近小説はどう? 進んでる?」

「…………」

 最近沈んでいる春奈の力になってあげたい。そう思っていた。

 何かに悩んでいるのなら、その相談相手になってあげたいと。

「ハァ……」

 春奈は海を見つめて物憂げにため息をついた。

「私は何てことを……真冬ちゃんと夏美ちゃんに……」

「二人に何かしたのかい?」

「え⁉ あ、違うんです!」

 ハッとして、手を振り否定しようとする。

「春奈ちゃん、竿!」

「え⁉」

 両手をパーにして振ったせいで、竿が海に落ちかけるが慌ててキャッチする。

「どうしたの? やっぱり会社のことと関係があるの? 忙しそうだけど」

「私、才能がないんです」

「え?」

 顔を上げた春奈。その顔はどこかさっぱりしていた。

「子供の頃から本を読むのが好きで、ずっと読むだけだった。だけど、それを将来の事に生かしたくて小説家を目指してきたけど、全然賞をとれなくて。実は、小説書いていることも親とか友達には言ってなくて。不思議ですよね、親しい人ほど伝えられなくて……だから駄目なんだろうな。枠にとらわれる人間だから、面白くない人間だから……面白い小説が書けないんですよ」

「春奈ちゃん……」

 彼女のスランプは本格的なようだ。凡人特有の悩みというものにとらわれて抜け出せない。

 湊も凡人ゆえにそれはわかる。子供、将来に悩む高校生から大学生にかけてはその常識という枠から外れようと必死になる。湊にもそういう経験が、あった。


 そう、過去形だ。今の湊は大人なのだ。


「枠から抜け出せないのなら、抜け出してしまえばいい。面白くない人間なら、面白くなればいい。答えは簡単にそこらへんに転がっているものだよ」

「そんな簡単に、私は枠を抜け出せません! ……だから、私は天才じゃないんです」

 春奈は語気を最初は荒げたが、段々と沈ませていった。

 激昂しかけて冷静になり、自己嫌悪に陥る。

そう……常識で考えて、感情を出せないから自分は面白い小説などかけないのだ。

「私って本当に駄目ですね……」

「そんな悩みはつまらないことだと、僕は思うね」

「私も思います、私がつまらないから、そんなつまらないことで一々悩む……」

「君がつまらない人間なのかは別にして、乗り超えようと思えばすぐに乗り超えられることなんだよ。恥も外聞も捨てるというのは、捨てる前は非常に大変なことのように思うが、捨ててしまえば案外なんてことはない。それができて、実は初めて大人になれるんだよ」

「…………でも」

「でもじゃない」

 春奈の竿を握る手に湊の手が乗せられる。

「できるできないの話じゃない。やるかやらないかの話なんだ。やれば、必ずできる。できないという状態になることは、そもそもないんだ」

 春奈の眼をじっと見つめる。

 春奈は目をそらそうとしたが、まるで引き込まれるように湊から目を逸らせずにいた。

「やれば、必ず、私は枠からはみ出ることができますか?」

「ああ、そして面白い小説が書ける」

「そう、ですか」

 わずかに春奈がほほ笑んだ。

 少しは自信がついたかなと、湊は安心する。

「春奈ちゃん、竿、引いてるよ」

「え、あ⁉」

 慌てて竿を上げると、大きなスズキが釣れていた。

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