第20話 私をどこか遠くに連れて行って♥

「?」

 湊の手に握られた五百円を春奈が指さす。

「私をどこか遠くに連れて行ってください」

「どこか遠く……? ってどこに?」

 お金を払ってちゃんと依頼をしているとなれば彼女は気が楽になったのか、目に活力が宿っている。最も、依頼のためのお金の額はあまりにちっぽけだが。

「どこかは……どこかです……海でも山でも、この街じゃなければ私はどこでも……」

 段々と春奈の眼が愁いを帯びていく。

「春奈ちゃん……もしかして小説が行き詰ってる?」

 春奈は、こくんと頷いた。

「それもあります。だけど、この街を出たいんです。仕事の事が忘れられるほど、どこか遠くに……」

 悲し気な彼女の瞳を見て、湊と丈は顔を見合わせる。

「わかった。僕たちが連れて行こう、君の気が晴れる場所へと」

「何かあったらおじさんたちに言いな。なんでも力になるぜ」

 彼女は何かに悩んでいる。それはわかった。

 だが、湊も丈もこの場で聞き出そうとはしない。彼女自身が話したくなるまで待つ。それが大人のやり方だ。

 自分自身の中で整理し、相手を信用できると理解し、初めて彼女自身が悩みに向き合える。

二人共それを理解し、春奈の力になってやろうと思った。

「やった、旅行だ! どこに行く? 夏美」

「そうねぇ……まだ泳ぐのも早いから山でピクニックとか?」

 旅行に行けるというだけで二人の娘は飛び上がって喜んだ。

「おいおい、お前らのための旅行じゃないぞ。春奈ちゃんのための旅行だ」

 丈が二人を諫めると、夏美は不満気に頬を膨らませた。

「え~! いいじゃん、春奈さんどこでもいいって言ってるんだから。そういうところがパパの器の小さいところなんだから」

「器が……小さい……!」

 娘に言われると丈は何も言い返せずに胸を抑えてショックに打ちひしがれるだけになる。

「ねぇ、ねぇ、春奈さんは小説を書いているんでしょう? なら、その小説の参考になる場所に行った方がいいんじゃない? どんな小説を書いてるの?」

「え……」

 キラキラした目で春奈の顔を覗き見る真冬。

 春奈は真冬の純粋な瞳にたじろぎ、助けを求めるように湊を見た。

 湊は頷き、

「いいんじゃないかな。僕は休日ならいつでも合わせられるし、好きな場所でいいよ。あ、流石に海外とか、沖縄とか北海道は行けないよ。お金が凄くかかる」

「沖縄、沖縄か……いいなぁ」

「ダメだってば」

 沖縄と聞いた真冬が妄想にふける。だが、今から飛行機をとるのをお金がかかる。一か月以上以前から予約すればそこまでお金を払わなくて済むが、当日予約は非常に割高なのだ。

「私、私は……」

 春奈の瞳が揺れた。

「いつもあの席で原稿と向き合ってるじゃないか。その小説の、助けに僕たちはなりたいんだよ」

 春奈に頬見かける湊。

 春奈は、戸惑い、やがてにへらっと奇妙な笑いを浮かべた。

「海へ、海へ行きたいです。どこかの港町へ」

 静かにつぶやくというか、この状況から逃れたい一心で絞り出したような声だった。

 だが、そんな春奈の様子に湊は気づけずにあごに手を当てて感慨にふけった。

「海、海かぁ。いいなぁ……青い海を見つめてただ無心になる。そういうときも人には必要だからね」

「やっほい、うっみ~! 一緒に泳ごうね、夏美」

 飛び上がって夏美とハイタッチをする真冬。

「海に入れるわけがないだろう。まだ春になったばかりだよ」

「えぇ~……」

「えぇじゃない、こんな時期に海に入ったら凍えて死んじゃうよ。じゃあ、今週末の休日を使って港町に旅行だ。丈もそれでいいな」

「え……俺も行くの?」

 若干蚊帳の外だった丈が自らを指さし尋ねる。

「当然だろう」

「いいよ、俺は家でテレビでも見てるよ」

 湊は丈に近づき、肩を組んで、真冬たちには聞こえないように声を潜めた。

「もしも旅行先でラファエロの魔人が出てきたらどうする。二人一組じゃないと変身できないんだぞ」

「夏美と真冬ちゃんがいるだろう」

「夜に出たらどうするんだ。娘の安眠を妨害する敵を君はぬけぬけと許し、娘たちを盾として後ろに隠れて呑気にテレビを見れるのかい?」

「むぅ……」

 諦めたようにガクッと丈は頭を下げた。

 湊の腕を振りほどき、

「わかった。俺も行くよ。夏美が何かしたら、俺がどうにかしないといけないからな」

「何だと?」

 丈の言いぐさに、カチンと夏美が反応し、睨みつける。

「りょっこう! りょっこう! 久しぶりのりょっこう!」

「アハハ……」

 楽し気に体を揺らし歌う真冬を見ながら春奈は笑った。

 その笑い声は乾いていた。

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