第6話 隠しているつもりだろうか……、

 先ほどの現実離れした光景はどこへやら、少し歩けばいつもの日常の風景が湊の視界には広がる。

 「ザルクシックス」の扉を開ける。


「おぉ、ちゃんと春奈ちゃんにお金返せたか?」

「……………」

「お、おい」


 話しかけてくる丈を完全に無視して、早歩きでカウンターの中に入る。

 カウンターの後ろに置いている携帯を手に取り、耳に当てる。


「丈、お前も夏美ちゃんに電話しろ」

「はぁ? この時間はもう寝てるよ」

「いいから」


 いぶかし気な顔をして丈が首をかしげる。

 湊の予想通り、何度コールしても相手は出ない。プルルプルルという音がいつまででも響くだけだ。


「…………」

「どうしたんだよ。お前、誰にかけて」


 ガチャ!


『ど、どうしたの、お父さん⁉ こんな時間にかけてきて何かあったの?』


 電話の向こうから真冬の声が聞こえる。

 「自宅」の電話にかけていたが、随分と出るのに時間がかかったようだ。


「いや、何でもない。ずっと家にいたよなぁ、真冬?」

『……ハァ、ハァ……え、当たり前じゃん! 勉強してたよ……フゥ』


 何度も荒い息遣いを吐き、電話越しでも肩で息をしているのが分かる。


「呼吸が乱れてるようだが、勉強をしてたんだよな?」

『そ、そうだよ⁉ い、いや、ちょっと息抜きにお風呂に入ってて……! 急いでとったからちょっと疲れちゃった』

「なるほどなぁ、今日駅前で……」

『え⁉ 何っ⁉ ごめんよく聞こえない⁉ ああ! 丁度電車がトンネル入って電波が悪くなっちゃった! 一旦切るね! またかけなおして!』

「おい、ちょっと……」

『じゃあね!』


 湊が口をはさむ余地もなく、電話が切られた。


「自宅の電話にかけてるのに……」


 余りにも、娘の嘘が下手糞すぎて唖然とする。


「おい、一体どうしたんだよ? 何でいきなり真冬ちゃんに電話をかけてるんだ?」

「お前、エンシェントフェアリーズって聞いたことないか?」

「あ~…………」


 面倒そうに頭を撫でる丈。


「ついにお前がそれを知っちゃったか」

「知ってたんだな」

「警察だからなぁ……だが、警察が扱うのは事件だ。オカルトじゃない。報告はいくつか上がってるがどうせ、若者たちのくだらない遊びだろう」

「じゃあ、本格的に調べてはいないのか? 写真とかは?」

「あ~……これだから、お前さんの耳には入れたくなったんだよ。ファンになっちゃったんだろう?」

「そんなわけがない。どうしてそうなる?」

「魔法少女大好きじゃないか、お前。現実にそんなものがいたら会ってみたいとか思っちゃているんじゃあないのか?」

「それはそうだが、現実にいるとなるとまた別問題だし、それに、それに……」

「それに何だよ?」

「それに……もしかしたら、僕たちの娘が……」


 ちらりと丈の顔を見る。


「何だよ、人の顔をじっと見て……」


 こいつに本当の事を言って信じてもらえるだろうか。丈は昔から現実主義だ。

 自分たちの娘が何十メートルも跳躍して、ビルほどの巨大な怪物と戦って打ち負かしたんだよ。と言っても信じてもらえるかどうか。


「いや……何でもない。僕も疲れているのかもしれないな」

「……変な奴。結局、金も返しそびれたんだろう?」

「ああ……だけど……」


 正直、娘の事で頭がいっぱいで春奈の事を考える余裕がなかった。


          ♥       ♥      ♥


 朝になり、自宅に帰る湊。

 朝食の準備や洗濯ものなどの家事を終わらせ、席に着く。

 時計を見ると、もう家を出ないと学校に間に合わない時間だ。

 頭上にある真冬の部屋からはずっと目覚ましの音が鳴り響いている。


「仕方がないか」


 階段を上がり、真冬の部屋の前に立つ。

 思春期の娘なので、部屋には入るなと言われたが、今回は仕方がないだろう。


「お~い、真冬。起きろ~!」


 扉を開けると目覚ましのけたたましい音が湊を襲う。


「……真冬! 真冬‼」


 やかましい騒音。鳴り響く部屋の中で、穏やかな寝顔を浮かべて眠り続けている真冬。

 彼女の体を揺り起こすと、パッと目が開く。


「お父さん?」

「おはよう」


「今何時⁉」


「七時半」


 真冬は「うぎゃ~‼」と悲鳴を上げて跳び起き、服を脱ぎ始める。


「⁉ いつまで部屋にいるの出てって⁉」


 慌てる娘をほほえましく見ている湊を部屋の外へ追い出す。


「朝ご飯はちゃんと食っていけよぉ~!」

「は~い!」


 扉越しの真冬の返事を聞いて、リビング戻ろうと右足を前に出した。


「お?」


 何かが当たった。



「イルカの……ぬいぐるみ?」



 蒼いすべすべした毛並みのイルカの人形のようだった。


「まだ、こんなもの持っていたのか」


 子供っぽいなと思いながらしげしげと眺める。


「いや、こんなもの買ってやった覚えあったっけ?」


 真冬が幼いころ、いくつかぬいぐるみを買ってやったがイルカのぬいぐるみなど買い与えた覚えがない。


「まぁ、いっか」


 自分で買ったかもしれないし……。

 湊はぬいぐるみを放り投げると階段へ向かう。


 ガチャリ……。


 背後で扉が開いた音がした。


「もう着替え終わったのか、まふ……」


 だが、廊下には誰もいなかった。


「?」


 気のせいだったかと思い直し、湊は階段を降りていった。

 そういえば、さっき振り返った時、ぬいぐるみが廊下になかったような気がする。


          ♥       ♥      ♥


 ドタドタと階段を踏み鳴らす音が響いた後、真冬がリビングに入ってくる。


「やばい、やばいよぉ! もう遅刻しちゃうじゃん! しかもこんな時に限って白飯だし!」


 テーブルの上を見た瞬間に天を仰ぐ真冬。


「寝坊するお前が悪い、いいから早く食べな……食べてるね」


 言うまでもなく、席について、ブラックホールのようにご飯とみそ汁を吸い込んでいく。


「ごちそうさま! いってき……」

「待ちなさい真冬」


 食べ終わり、リビングを出ようとする真冬を呼び止める。


「今日寝坊したのは、「勉強」が忙しかったからかい?」


 湊の言葉を理解し、真冬の眼が下に向けられる。


「……うん、最近「勉強」しなきゃいけない時間が長くて。昨日はちょっと夜更かししちゃった」

「無理をしてまでやることはないんじゃないかい? 「勉強」するために真冬が体を壊さないか、僕は心配でたまらないよ」

「お父さん……」


 真冬が胸を抑え、ギュッと拳を握る。


「大丈夫。夏美も一緒に「勉強」してるし。私だって自分がやりたくてやるって言ったことだもん。最後までやり通さないと」

「真冬……」


 真冬の微笑みに、ジンと胸が熱くなる。


「じゃあ、行ってきます。あ、そうそう、この間は気持ち悪いって言ってごめんね。お父さんの事は好きだよ」

「う、うん……そのことはもういいよ」


 こっちとしてはもう思いだしたくもない。


「お父さんが『魔法少女ミラクル・ミライ』を見てるのは驚いたけど、好きなものは仕方がないし、別に見ても、見ても……」


 真冬の声のトーンがだんだん落ちていく。


「ごめんやっぱり無理、やっぱり気持ち悪いわ……見るのはいいけど、私が見てる前では見ないでね。じゃ」


 リビングを出て、学校へと向かう真冬。

 一人残された湊は、ただただ真冬が出ていった扉を見つめつづけた。

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