第19話
五月も十日ほど過ぎた頃、日に日に昼の気温が暑くなり出してきた日のことだった。
貴重なゴールデンウィークを無為に過ごして、青春を浪費しているなとひしひしと僕は感じていた。
結局ゴールデンウィークの間にやったことと言えば勉強と部活の助っ人くらいで、特別なことはやれなかった。まぁ、完全に寝て過ごして終わるよりはマシだろうと前向きに考えるとしよう。
収穫があったとすれば、助っ人に行ったバレー部で新しく知り合いが出来たことだろう。
年下の知り合いが出来るなんて、僕にとっては非常に珍しいことで、こればかりは誘ってくれた平川に感謝する他ない。
その知り合い、下地つくしが僕の目の前で怠そうに座っていた。
「連休明けってどーしてこうやる気が出ないっスかねー」
時刻は十四時、五限目の授業が行われている時間である。僕とつくしは学校の屋上に二人きりで空を眺めていた。言い訳のしようも無い、完全なるサボりだった。
「
「その割にはずいぶんと堂々としてるね」
「そりゃ、真センパイと一緒っスから」
持ち前のからっとした笑顔をこちらに向けるつくし。その表情を見るとこちらまで気が抜けてしまうから困りものだ。
気付けばいつの間にか「奥路センパイ」ではなく「真センパイ」と呼ばれるようになっている。つくしに懐かれてしまったらしい。
昼休みが終わる直前、つくしが教室を尋ねてきたのは驚きだったが、まさか一緒に授業をサボろうと言い出したのはもっと驚きだ。
しかも、これが初犯だという。彼女の頭の中でビックバン級の大爆発が起きでもしないと、そんな急にサボろうなどと考えないだろうに。一体何があったのだろう。
「それで、何か言いたいことがあるんだろう。話してみれば?」
「あ、気付いちゃいました? センパイも中々鋭いっスね」
「そりゃ気付くさ。というか、これで何もなかったらお前にゲンコツを与えてたところだよ」
先月も授業をサボってしまったのに、今月もサボったら不良街道まっしぐらだ。教師が聞いてくれるかはともかく、自分自身への言い訳は必要だ。
授業をサボるだけの理由があったから仕方がないと、己に言い聞かせる逃げの理由が。
もっとも、つくしが僕を呼び出した理由が言い訳になり得るかは甚だ疑問ではあるが。
「自分、真センパイに伝えたいことがあるんスよ。聞いて……くれますか……?」
つくしの真剣な眼差しが僕に向けられる。こんな表情も出来たのか、と少し意外に思った。まるで何かの決心が付いたかのような表情に、思わず固唾を呑んで身構える。
何か相談事でもあるのだろうか。だとしたら、年下に頼られるのは初めてだから悪い気はしない。だが、そういうことはもっと仲の良い相手に相談するべきではなかろうか。それこそ、僕ではなく平川とかに。
つくしは中々次の言葉を言おうとせず、次第に彼女の顔が紅く染まり、りんごのようになってしまう。
そんなに恥ずかしいことを言おうとしているのか。一体、僕は何を聞かされてしまうのだろう。
そういえば、先月の今頃も似たようなシチュエーションがあったな、と僕は綾瀬に告白された時のことを思い出す。
あの時も今のように、いきなり屋上に呼び出されていたな。あれからもう一ヶ月か。
ん? 待てよ、もしかしてつくしの言いたいことというのは……!
「センパイ、好きっス!!」
やはりと言うべきか、悪い予感は的中し、僕は頭の中が真っ白になった。
告白された。しかもまた同性の相手からだ。告白してきたつきしの顔は今にも爆発しそうなほど真っ赤だ。
もはや「人として好きです」なんて勘違いもあり得ないだろう。これは、完全に告白だ。
「この前の試合で真センパイの優しいところとカッコいいところに惚れました! 自分と付き合ってください!」
「あの、つくし……。一応確認したいんだけど、僕が女ってことは分かってるよね? 付き合うって行っていったって僕たち女同士なんだけど」
「もちろん分かってるっス! でも、そんなの関係ないくらい自分は真センパイに惚れたんス!」
この学校に、女同士で付き合おうとするやつが綾瀬以外にもいたとは。しかも二人とも僕に告白してくるなんて。
もしかしたら僕の体は同性が好きな人間を引き寄せるフェロモンでも出ているのか? いや、そんなわけないか。
僕は慎重に言葉を選びながら、つくしに僕たちの「性別」について言及する。
「いいかつくし。本人たちが好き合っていたとしても、一般的に同性カップルはまだ受け入れられていないんだ。昔に比べてそういう人たちへの理解が進んできているかもしれないが、少なくとも一般的じゃあない」
「承知の上っス。でもこの気持ちは抑えられないんです。それに、周りの目とか世間の評判なんてあやふやなものより、自分たちが幸せならそれでいいと思うんスよ」
確かに、つくしの言うとおり周囲の顔色をうかがって自分の気持ちを押し殺すことは愚かなことだと思う。
愛だの恋だのにうつつを抜かすよりも、仕事や勉強を頑張りなさいと大人たちは言うだろう。
けれど、
つまり何が言いたいかというと、思春期に高まるリビドーを恋愛に注ぎ込むのは決して間違いじゃないということだ。
だが、僕にはそれが出来い。「好き」という気持ちを表に出すことに臆病になってしまったのだ。
それは小さい頃に同級生に言われた「女同士で気持ち悪い」という言葉が、未だに僕のトラウマとして残っているから。
どうしても一歩を踏み出せないことを、言い訳を探すかのように周りの言う「正論」で誤魔化してしまう。
「いいかい、女同士で付き合ってるなんてバレたら周りから白い目で見られるし、だいたい親にも申し訳ないだろう?」
「そんなことどうでもいい! 自分が聞きたいのは、センパイの気持ちっス!」
「僕は、僕はまだつくしのこと知らないし、今はただの後輩としか思ってないよ。好きとか付き合いたいとか、そんな風に思えない。第一、僕らは同性だし……」
「つまり、恋愛対象と意識すればいいんスね?」
「え? つくし、何を……」
つくしの細くしなやかな腕が僕の体を抱く。ほっそりとした見た目とは裏腹に、意外と力のあるその腕はいとも簡単に僕を抱き寄せてしまう。
そして、僕の顎の下あたりにあるつくしの顔が、背伸びをしたことで目と鼻の先まで来ていた。
「ん……っ!!」
唇に柔らかい感触が伝わる。まるでマシュマロのようなやわらかさに、水を纏ったような潤い。そして感じる、確かな温かさ。
下地つくしの唇が、僕の唇に重ねられていた。
くすぐるような鼻息が僕の顔にあたり、なんだかとてもくすぐったくなる。目の前には瞳を閉じたつくしの顔がでかでかとある。眉毛が綺麗に整えられているなとか、まつげが長いなとか、つくしの容姿の良さを今更ながらに意識してしまう。
それは時間にして数秒だったが、この時確かに世界が制止していた。錯覚などではなく、僕とつくしに流れていた時間はまるで永遠のように長く、光のように刹那に過ぎていった。
そしてようやく、つくしは唇を離した。僕の唇にはまだ温かな肌のぬくもりが残っている。
つくしは自分の口を指でなぞり、上気した顔で笑っている。
「これで自分のこと意識して貰えましたか?」
「お、おま……き、ききき、キス……するとか……っ!!」
「センパイのファーストキス、ごちそうさまっス! あ、もちろん自分も初めてっスよ♪」
つくしがスキップをしながら屋上のドアを開ける。そしてそのまま階段を降りていく姿を眺めながら、僕は今自分に起きたことを確認するように、口元を手で覆うのだった。
「知り合ったばかりの後輩に……キス、されちゃった……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます