第17話

 体育館に戻ると、顧問の先生がつくしの様子を確認しにやってくる。つくしの鼻血はすっかり止まったものの、念のため試合には出ない事、また自分の代わりに綾瀬を試合に出して欲しいことを伝える。


 顧問は綾瀬ならば大丈夫、むしろ大歓迎だと快く受け入れてくれた。どうやらバレーの授業で活躍したことを部員に聞いていて、その実力に興味があったらしい。綾瀬の学校での評判も後押ししたのだろう。


 結果的に助っ人が二人参加するという異例の練習試合となった。


「バレー部の皆さん初めまして。綾瀬姫乃です。よろしくおねがいしますね」


「わぁ~! 綾瀬先輩だ、本物だ~!」


「すごぉい! 私綾瀬先輩に憧れてこの学校に入学したんです! 一緒にバレーできるなんて感激です!」


「あら、嬉しいことを言ってくれるのね。ありがとう」


 一年生たちは感激の声を漏らして綾瀬を歓迎する。僕の時とはずいぶんと違うな、などと気にしてはいけない。たとえ僕の時に比べて一年生のテンションが目に見えて上昇しているとしても、気付かないふりをしてあげなくては。それが大人というものだ。


「綾瀬目当てに入学するってどれだけ有名人なんだか……」


「そりゃ学校のパンフに載ってSNSで話題になったくらいの美人だし、当然だろ。まさしくこの学校の広告塔って感じだな」


「そんなことまでやってるのか、あいつ」


「なんだ、知らなかったのか? 幼馴染なんだろ、お前と綾瀬さん」


「幼馴染だけど、友達ってほどの関係じゃ無かったからなあ」


 少なくともこの前までは。


「でも奥路が綾瀬さんを誘ったんだろ? 隅に置けないやつめ、この野郎」


野郎おとこじゃないけどな」


 それにしても、入学したばかりの一年生が綾瀬のことを知っているなんて、流石学校一の有名人だと言わざるを得ない。果たしてその名前はどこまで広まっているのか。パンフレットのように、僕の知らないところで色々やっているのだろうか。


 ひょっとしたら僕の幼馴染は、僕の思っている以上に有名なのかも知れない。小さい頃とはずいぶんと差が付いたものだ。あの頃はどちらかというと僕が綾瀬を引っ張っていたが、今では綾瀬が見えないほど遠くに行ってしまった。芸能人やスポーツ選手の幼馴染なんかは、似たような気持ちを味わっているのだろう。


「綾瀬さんの力は借りたくなかったんだけどなぁ……」


 平川がぼそりと漏らした言葉を僕は聞き逃さなかった。


「平川、もしかして綾瀬のこと嫌いなのか?」


「別にそんなんじゃないっつーの。ただ、これで試合に勝っても何か悔しいじゃんか」


「まぁ助っ人に良いところを持って行かれるのは嫌かも知れないけど、そこは大目に見てくれ。綾瀬を呼んだのは僕なんだしさ」


「……だから悔しいんだけどな」


「ん、何か言った?」


「別に。さぁ、このセットで勝敗が決まるんだから気合い入れようぜ!」


 平川は何かを呟いたようだが、残念ながら僕には聞こえなかった。一体何を言ったのか気になるが、今は試合に集中することにしよう。せっかく綾瀬まで呼んだのだ、これで試合に負けては僕が今日ここに来た意味が完全に無くなってしまう。




「ブロック!」


「えいっ」


「ああ、また抜かれたわ!」


「流石綾瀬先輩! うちの先輩たちより凄いスパイク!」


 試合は8ー18と今までとは打って変わって僕らの優勢で進んだ。綾瀬が加入したことで攻撃も守備も格段に上昇したおかげだろう。特に綾瀬と平川という校内の運動神経トップの二人が揃ったことで抜群のコンビネーションを見せてくれる。


 これは僕がいる意味はないな……と思わざるを得ないほど、二人の動きは他と抜きん出ていた。意外なのは平川が先程よりも更に動きのキレを増していることだろう。もしかしたら今までは一年生のカバーに回っていて、綾瀬がいる今が本来の実力を発揮した状態なのかもしれない。


 はっきり言って驚いた。なぜなら平川の動きはあの完璧少女の綾瀬に勝るとも劣らない程なのだ。そりゃ、綾瀬も人の子なのだからやること全てが他の人より優れているかと言われればそうではないだろう。だが、実際に綾瀬より優れた人間を目にするのは僕が覚えている限り、平川が初めてだ。


「やるわね、凄いわ平川さん。流石はバレー部の次期部長、一年の時から有名な大学に目をつけられてるって噂は本当なのね」


「綾瀬さんも中々。本当になんでも出来るんだ、びっくりした」


「あら、何でもは出来ないわよ? 私はただ、自分の出来ることをしているだけ。本当に凄い人は不可能を可能にする、絵本の中の王子様のような人よ」


 一瞬、綾瀬の視線が僕に移った気がした。しかし既に綾瀬の視線は目の前の平川へと戻っていた。気のせいだったのだろうか。それとも……。



 ベンチで観戦していたつくしが近くの僕に聞こえるように話す。


「凄いっスね綾瀬先輩。奥路センパイとは全然違うっス」


「おい、まるで僕は全然役に立ってないかのような言い方は止めろ。あんなのと比べられるこっちの身にもなってくれ」


「あ、いや自分そんなつもりで言ったんじゃないっス。何て言うか、綾瀬先輩を見てると『ああ、このまま勝つんだろうな』って思っちゃって。相手には失礼っスけど、ひと目見て試合の結果が分かっちゃうような、そんな絶対的なオーラがあるんスよね」


「……まぁ、あいつは完璧だからな」


「それに比べたら奥路センパイは、この人で大丈夫かな~って思ったっス」


「ぐ……。言い返したいけど何も言えない……」


 事実、僕自身大丈夫なんだろうかと不安に思っていたのだ。そんな雰囲気を周りが感じ取っても仕方のないことだろう。頼りなさそうな見た目をしているのは十分承知の上だ。こうして軽口を聞いてくれるだけでも、つくしは僕に十分優しい。


 でも――とつくしは言葉を接ぐ。


「心配してたけど、奥路センパイは何とかしちゃう人って分かったっス」


「それは喜んでいいのか……?」


「もちろん、ある意味綾瀬先輩より凄いっス」


「まぁ褒め言葉として受け取っておくよ。ありがとうな、つくし」


「うっす! 頑張ってください!」


 つくしはニカっと笑い、拳を突き出してくる。僕は一瞬、何をしているのだろうと訝しんだが、それがすぐにグータッチの合図ということに気付く。なるほど、体育会系はこうやってコミュニケーションを図っているのか。


 こつん、と拳を合わせてバレーのプレイに戻る。何だろう、一人でも応援してくれる人がいるとやる気が湧いてくる。何かに真剣になるなんていつ以来だろう。今まで色んなことから逃げてきて、向き合うのを恐れてきた。でも、小学校の頃は毎日目の前のことを楽しみ、全力で取り組んでいたことを思い出す。


 あの頃のように、本気になれる勇気を貰えた気がする。それが知り合って間もないつくしから貰えたものだというのが、何とも奇妙な話だけれど。



「えい!」


 綾瀬が綺麗なサーブを放つ。相手が苦心しながらもボレーを返し、トス、スパイクへと繋げる。前衛にいる僕と平川がブロックをして、相手のスパイクをカットすることに成功した。ちなみにカットしたのは平川の方だった。終盤にして動きがキレキレである。


 これで8ー19、残り六点取ればこちらの勝利である。


「後から入ってきたやつ、やばくない? あんなやつ、去年はいなかったはずだけど」


「さっき先輩って呼ばれてたし、去年はベンチ外だったんじゃない-?」


「つーか急に出てきて生意気。ムカつくわ~」




 相手チームも綾瀬の活躍を見て思うところがあるのだろう、明らかに綾瀬を敵視する言葉が聞こえる。どんな人にでも好意を持たれる綾瀬も、流石に対戦相手には快く思われないのは新鮮だ。


 もっとも、それはこちらにとっては好都合だ。綾瀬に注意が向くことで僕と平川も動きやすくなる。それで僕が活躍出来るかはまた別の話だが。


「てや!」


 再び綾瀬のサーブが放たれる。相手はボールを拾いスパイクを放つも、一年生の奮闘もありスパイクまで繋げることが出来た。そして試合8ー24、あと一点で勝利するところまでやってきた。


「はぁ……はぁ……」


 この試合で一番動いている平川は息切れを起こしている。万全のメンバーが揃っていない状況で、今までよく活躍してくれたものだ。一年生に至ってはもう立っているのもやっとといった様子。ここが最後の執念場、踏ん張りどころだ。


「あっ……」


 だが平川のスパイクが相手にブロックされてしまい、サーブ権が相手に移ってしまう。そして、勢いが向こうについたのか、その後も連続で得点を許してしまう。気付けば点数は23ー24まで追いつかれてしまった。綾瀬にボールを回せば得点出来るのだろうが、中々そこまで持って行くことが出来ない。


「そんな……。このまま負けちゃうんじゃ……」


「綾瀬先輩に来て貰ったのに負けちゃうなんて、そんなのいやー!」



 一年生の弱気な言葉に、綾瀬も少し困った顔をした。


「ごめんね真ちゃん……。せっかく呼んでもらったのに、試合に負けちゃうかもしれないわ。かっこ悪いところ見せちゃうかもしれないわ」


 その言葉を聞いた時、僕は怒りとも失望とも言えない不思議な感情を抱いた。


 完璧幼馴染が僕の目の前で失敗してしまう? 僕がバレーの試合に呼んだせいで、綾瀬の完璧さに傷が付く?


 僕は別に綾瀬が完璧であることを誇らしいとは思わない。小さい頃から一緒なのだ、はじめから綾瀬が完璧だったわけでないことはよく知っている。だが、周りのみんなは綾瀬が何でも出来る子だと思っている。そんな周りからの信頼を僕のせいで崩してしまうのは、何だか面白くない。


 それに、綾瀬の完璧じゃ無い普通の部分を周りに知られるのは、少し寂しくも思ってしまった。だから、守らなくてはいけない。綾瀬の完璧というイメージを、僕の手で。


「諦めるなんて綾瀬らしくないな。少なくとも、僕は普通に勝てると思ってる」


「でも私のマークも厳しくなってきてるし、簡単にスパイクが決められるとは思えないわ」


「なら僕に回して。このセットは綾瀬と平川の二人が得点を稼いでる。僕なら相手の意表をつけるはずだ」


 無意識のうちに、僕らしくも無い積極的な申し出をしてしまった。僕がスパイクを打つなど、試合前ではやりたくもなかったはずなのに。


 僕の提案を綾瀬は嬉しそうに了承した。いつ以来だろう、僕から綾瀬に意見を言うなんて。綾瀬も同じ事を思っているのだろうか。どこか懐かしい気持ちになる。


「真ちゃん、任せたわよ!」


「まぁ、やれるだけやるよ」


 敵のサーブが飛んでくる。一年生の一人がなんとか返球するも高く浮いてしまい、そのまま相手のコートへ入ってしまう。「チャンボ!」という敵のかけ声に一同プレッシャーを感じてしまうもスパイクは止まってはくれない。


「くそ!」


 慌ててブロックをするがボールは僕の手に当たった後、勢いを殺しきれずに高速で落下する。だがボールが地面にぶつかる瞬間、そこには平川がいた。彼女の手がボールと地面の間に滑り込み、ボールは奇跡的に生還した。


「いけ奥路!」


 そして、平川のボレーを受け継いだ綾瀬が綺麗なトスをあげる。僕がスパイクを打ちやすいように、ベストな球を送ってくれた。さすがは綾瀬、アシストも完璧だ。


「真ちゃん!」


 僕は膝を折り曲げ、全身のバネを解き放つ。そうして高く飛んだ最高の到達点で腕を振り下ろす。僕が打ったスパイクは相手の意表をついたようで、ブロックの間を抜けて飛んでいく。そうして、試合の決着が着いたのだった。

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