第12話
四月下旬。あれほど綺麗に咲いていた桜もすっかりと散ってしまい、それだけで春が終わってしまったような錯覚を覚えてしまう。春といえば桜、そんなイメージを持っているせいだろうか。一年間の内、ほんのわずかな期間しか見せない満開の姿、絶頂の瞬間だけしか語られない桜の事を思うと少し哀れにも感じる。
花を咲かせない桜に目を向ける人がどれだけいるだろう。完璧でない姿を見て、それが桜であると気付く人はいるのだろうか。桜が桜であると認識されるのは、誰もが心引かれる桃色の花弁を咲かせているからだ。色褪せた花弁と新たに芽生えた葉の混じる桜を見て足を止める人がいるか。
人もまた同じである。その人の一面を切り取って「この人はこう」というイメージで語られていて、そうじゃない面を見たら意外だとか、人が変わったみたいだなどと言われる。散った桜には誰も興味を示さないのと同じで、自分の望む姿と違う一面を拒む。
誰かが決めた固定化されたイメージという枠組みから少しでも外れれば、それはもう「普通」ではなくなる。本質は変わっていないのに自分が見た事がまるでその人の全てだと語ってしまう。
そんな生きづらさを感じてしまう。だから桜は嫌いだ。いつまでも同じでいられないこと、いつか変わってしまうことを悟らされてしまうから。
「なに黄昏れてんだよ、帰りのホームルーム終わったぞ」
「別に。ただ、桜を見てただけさ」
「桜~? 花見の時期はとっくに終わってるじゃんか。散った桜なんて誰も見ないだろ~」
「だから、だよ」
僕の言葉に平川は怪訝な顔をする。しかし特に気にすることもなく「変わってるな」と笑い、僕と同じ様に窓の外の桜に視線を向ける。
「へぇ~」
平川は存外楽しそうに声を上げる。
「今の時期の桜ってくすんだピンクと葉の緑がごっちゃになって、正直汚いって思ってたんだけどよ~。こうして見ると、新しい葉は綺麗な緑色なんだな」
「そうだよ。何も花びらだけが桜の全てじゃない。一見汚く見える姿も、次の年に向けて準備をするために頑張ってる姿なんだ」
「ははは、奥路って桜好きなのな」
「……いや、桜は嫌いだ」
平川はへぇと意外そうな声を出す。確かに、ホームルームから今まで、窓の外の桜を見続けているのに嫌いなのは可笑しいかもしれない。けれど、嫌いなことと興味があることは矛盾しない。興味が無ければそもそも視界に納めようとすらしないのだから。
「変な拗らせ方してるな~。好きなら好きって言えばいいのに」
「そんなんじゃないよ。ただ、花が咲いてないからって誰も見向きもしないのが可哀想って思っただけ」
「何だよそりゃ。それって結局好きってことじゃないのか? まるで嫌いになる理由を探してるみたいだな」
「……そろそろ部活の時間だろ。先輩になったんだから、遅刻したら後輩に呆れられちゃうよ」
「あっやべぇ! じゃあ行ってくるわ! 奥路、また明日な」
「ああ。じゃあな」
平川は鞄と部活のバッグを抱えて走って教室を出て行く。僕はそんな彼女の背中を見送った後、ふと先程の平川の言葉を頭の中で繰り返していた。嫌いになる理由を探してる――その言葉が、研ぎ澄まされた刃物の如く僕の胸に深く突き刺さっていた。
平川からすれば何となく口にした言葉なのだろう。だがそれは僕にとっては核心を突いたような言葉だったのだ。自分では気付かなかった、無意識にそうしていたのだろう。だが、一度意識すればもう戻れない。僕は桜が嫌いなのではなく、嫌いになろうとしているのだ。
何故、いつから嫌いになろうとしたのか。思い出せない、中学の頃には既に桜が嫌いだった。それより過去のことは、思い出そうにも記憶に靄がかかったようになってしまう。きっと、僕には桜が嫌いになる――嫌いになろうとする出来事があったのだろう。今ではもう、その出来事は覚えていないが。
「この時期の桜って素敵よね。未来に向けて頑張ってる姿を見て、元気が貰えるもの」
「綾瀬……いたのか」
「酷いわ真ちゃん! 私ずっといたわよ!」
「ごめん気付かなかった。いや、本当に」
いつの間にか目の前の席に綾瀬が座っていた。どうやら僕が気付かなかっただけで、ずっとこちらをのぞき込んでいたらしい。いるなら声をかけてくれればいいのに、そうしないのは僕への気遣いだろうか。いや綾瀬のことだ。単に僕の横顔を眺めていたかったからとか、そんな理由かもしれない。
「でもどうしたの、もう何十分も桜ばかり見てるじゃない。専門家だってそんなに見続けないと思うわよ?」
「そんなに見てたのか」
「ええ、何か考え込むようにずぅっと」
「いや僕じゃなく、綾瀬の方だよ」
僕がずっと外を眺めていたことを知っているということは、つまり綾瀬も僕をずっと見ていたということだ。それほどの時間、つまらなそうな顔をした僕の顔を眺めているなんて、綾瀬も大概に変わっている。それによく考えると、何十分も間近で見られていたと思うと普通に怖いのだが。今更ながら自分が変な顔をしていなかっただろうか心配になる。
「真ちゃんは絵になるからね。いくら見てても飽きないわよ」
「そんなこと言うの、世界で綾瀬だけだろうな」
「つまり真ちゃんの良さを分かってるのは私だけ。真ちゃんを独り占め出来るってことね」
「独り占めするほどの価値は無いと思うが」
「もう、私が好きな人のことを悪く言っちゃ駄目よ? どんなところが好きかなんて人によって違うでしょう。それが価値あるものかどうかは私が決めるわ」
綾瀬は子供を叱る親のように、柔らかい声で僕に言った。確かに物の価値というのは人それぞれだ。石ころを大事にする子供もいれば、宝石にしか価値を見いだせない大人もいる。それ自体は否定しようが無い。だが、大勢の人から見たら石ころに大金を払うのは愚かとしか言えないだろう。綾瀬が僕に向けた感情も、周りの人からすれば払う価値のないものなのだ。
だから僕はその感情を安易に受け取ることは出来ないし、自分の価値を相場よりも引き上げようなんてずるも出来ない。対価が釣り合っていないのだから。
だが、こうして話す程度なら僕にも許されるのだろうか。完璧な優等生がクラスメイトの一人と会話する、それくらいなら僕にも資格があるのだろうか。白月さんの言葉を思い出しながら、そんなことを考える。
『孤高で至高の姫乃様があんたのような地味なやつと……!』
きっと白月さんだけではなく、他の子もそう思うのだろう。完璧な優等生というレッテルが貼られた綾瀬と、凡人の僕。天秤に乗せたら綾瀬の方に傾いてしまう、釣り合いの取れない二人。嫉妬されるのも当然だ。
だが僕は知ってしまった。綾瀬の優等生以外の一面を。他の子と同じように休日を過ごす、普通の少女としての彼女を。白月さんがそんな綾瀬を見ればどう思うのだろう。僕と同じように意外だなと思うのだろうか。いや、今まで築き上げてきた綾瀬のイメージが崩れてしまうかもしれない。もしかすると失望されるかもしれない。
そう思うと、昨日のことが誰にも言ってはいけないことのように思えてくる。僕だけが知る綾瀬、他の人が知りたくない彼女。完璧優等生にとって、意外な一面は許されないのだろうか。
「真ちゃん、そろそろ日が暮れるわ。帰らないの?」
「うん、そうだね」
僕は席を立ち、教室の出口に向かう。扉を開く前にもう一度、窓の外の桜を見る。そして思う。
大勢の人にとって、緑の桜に価値はあるのだろうか……と。
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