第10話
「このプリントに書いてある会話を隣の席の人と英語だけで会話してみましょう。あ、もちろん日本語は駄目ですよ。私語も全部英語で会話してください」
「え~ムズくないっすか~?」
「ミス平川、日本語は禁止ですよ」
「ソーリーソーリー」
平川が拙い英語で先生に謝ると、クラスメイトたちの軽快な笑い声が教室に広まる。
英語の授業は普段の教室で行われるものとは別に、教室を移動して実施する授業がある。この授業は英会話コミュニケーションの能力を向上させるのが目的で、頻繁に生徒同士で会話をさせている。一見楽に思えるこの授業だけれど、席順は完全にランダムで友達同士で組むのは禁止されている。何でも友達同士だと手を抜いて授業に力が入らないからだとか。
実際新しいクラスになったばかりというのもあって、あまりよく知らない子と組まされると緊張するので、会話能力を磨くという点では正解なのかも知れない。
正解なのだが――
「じゃ、じゃあ白月さんがエマの台詞、僕がジェシーの方を読むってことで」
「…………」
「ぷ、プリーズスタート、ミス白月……」
何故よりによって白月さんがペアなのだ。先程廊下で「綾瀬にこれ以上近付くな」と警告されたばかりだというのに、間が悪すぎる。案の定白月さんは僕と一緒なことに不服なようで、眉をつり上げている。しかしそれでは授業にならないので仕方ないといった様子で、配布されたプリントに記載された英文を読み上げる。
『あらジェシー、こんなとこで会うなんて奇遇ね。昨日は学校が終わったら急いで帰ったようだけど、何かあったの?』
まるでネイティブな外国人のように、詰まることなくスラスラと読み上げる。こういった授業では恥ずかしがってわざと棒読みのように発音する子も少なくないのに、白月さんは一切の迷い無く英語を発音する。
白月さんとは一年生の頃は別のクラスだったが、テストの度に廊下に張り出された順位表からその名前は知っていた。確か英語に限れば綾瀬と同じ百点満点だったと記憶している。その時は綾瀬と張り合える子がいるなんて凄いな、としか思っていなかったがいざ目の当たりにするとその会話能力の高さに驚かされる。
「ちょっと、次あんたの番でしょ」
「あ、ごめん……じゃなくてソーリー」
差し込まれるような視線で我に返り、慌ててジェシーの台詞を朗読する。白月さんと張り合うわけではないがいつもと違い少し真面目に英語の発音を心がける。白月さんのレベルの高さに引っ張られてしまったのかもしれない。
『おはようエマ。昨日は妹が体調を崩して家で寝ていたの。親は仕事でいないから、看病をするために急いで帰ったのよ』
『そうなの。じゃあ街中でキャシーと一緒にいたのは私の見間違いじゃなかったのね』
『えっ』
白月さんがプリントには載っていない台詞を言い始めて、思わず僕は白月さんの方を見る。白月さんは「何か問題でもあるの?」といった顔をして、僕の台詞を待っている。どうやら廊下での会話の延長戦のつもりらしい。
やむを得ず、僕はプリントの台詞ではなく白月さんの言葉への返答を英語で話す。
『あれはキャシーに誘われたから仕方なく出かけたのよ。あなたの言う通り、今後はむやみに彼女と遊ぶのは控えるわ。こう言えばあなたは満足かしら』
『…………』
英会話はあまり得意ではないため正確なニュアンスが伝えられたか自信は無いが、僕が白月さんの忠告を聞き入れたというのは理解してもらえただろうか。白月さんのスピーキングに比べたら大したことはないだろうけれど、何となく意味を拾ってもらえたらありがたい。
しかし白月さんは僕の返事が気に入らなかったのか、眉の角度をより一層上げてしまう。上手く発音出来ていなかったのだろうか。それとも、ニュアンスが間違っていたのだろうか。どちらにしても白月さんからすれば僕の返答は気分のいいものではなかったらしい。
『ええジェシー、よーく分かったわ。あなたの神経が図太いってことがよく分かった』
白月さんはまるで洋画の女優のように感情豊かに英語を発して、会話を打ち切った。途中難しい単語が混ざっていて上手く聞き取れなかったが、どうやら「あなたの心意気は十分です」みたいなことを言っていた様に聞こえた。どうやら僕の拙い英語からどうにか意味を汲み取ってくれたようだ。
これで白月さんから恨みを買われることもないだろう。一悶着ありそうだったが、事を荒げずに済んで何よりだ。
そのまま英会話の授業はつつがなく終了し、クラスのみんなが自分たちの教室に戻るため移動し始める。僕も筆記用具を片付けて教室を後にしようとすると、綾瀬が楽しそうな表情で僕に話しかけてきた。
「真ちゃん、白月さんと流暢に会話してたのを聞いたけど凄いわ! 二人ともまるで海外ドラマの女優みたいだったわよ! 教科書には載ってないようなスラングも織り交ぜてて実践的ね」
「聞いてたのか。まあ僕は偶然見た映画の台詞を真似ただけさ。凄いのは白月さんだよ」
「そんなことないわ、真ちゃんったら授業であんなスラングを使うなんて大胆なんだから。先生が聞いてたら怒られてたわよ♪」
「え、待て僕何かまずい台詞言ったのか? 字幕だと普通だったと思うんだけど」
「それはそうよ、字幕は口パクに合わせたり表現の規制で本来の意味とは違うニュアンスにされることもあるもの。もしかして、知らないで使ったの……?」
綾瀬の言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たい汗が流れ落ちる。僕は恐る恐る廊下に視線を運ぶと、そこにはとてつもなく怒りの感情を顕わにした白月さんが僕のことを見ていた。
もしかして僕が「白月さんの忠告を受けた」と言う意味で発した英語は、白月さんからすると「お前の忠告なんか知るか」という意味で伝わったのかも知れない。そうとすれば彼女が最後に感情豊かな英語で会話を打ち切ったのも納得出来る。あれは「お前の喧嘩は買った」という皮肉だったというわけだ。
「? どうしたの真ちゃん、顔色が悪いけど」
「すまない。当分は僕に話しかける時は誰もいない時にしてくれないかな」
「まぁ、それって密談ってこと!? なんだかいけないことをしてるみたいでドキドキするわね!」
「こっちは別の意味でドキドキしてるよ、本当……」
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