第9話
月曜日、休みとお別れし再び一週間が始まる。気怠げな気分を抱きながら学校の校門をくぐると、後ろから手が迫ってきた。僕は反射的に胸に回されたその手を掴み上げると、手の主はちぇっと溢して笑った。
「冷たいぞ奥路、最近どんどん警戒が強くなってきてるじゃんか」
「そう思うなら平川、いい加減朝のコミュニケーションと称して胸を揉むのはやめてくれないかな」
「なーに言ってんだよ。これだけ育ってるのに勿体ないぞ~」
「好きで大きくなったわけじゃないって」
まったく。平川のやつにも困ったものだ。しかし一年の頃から毎日のように襲撃を受けてきたのもあって、最近では無意識にガード出来はじめている。その内未然に防げるようになるのではないかと、自分の可能性に期待している。
「そういえば土日って何してた?」
「べ、別に何も。いつも通りだよ」
「まーた家でだらだら過ごしたのか、そんなんじゃダメだぞ。ちゃんと体動かさないとよ~」
「お前は相変わらず部活か? バレー部って忙しいんだな」
「そうだぞ。全く、監督が何を考えたのか二日連続で練習試合を入れてさ~。もうマジ疲れたわ。奥路、私を癒やしてくれ~!」
平川が人目もはばからず抱きついてくるため、僕はそれを引き剥がすのに躍起になった。平川が離れたのは僕たちの教室に到着した頃だった。
「よっしゃ~。今日も奥路成分を補給できたから頑張るぜ~!」
「おい、やめてくれよ大声で……ったく」
クラスメイトたちと挨拶を交わした後、自分の席に座る。筆記用具を鞄から取り出して引き出しにしまうと、斜め前に座る綾瀬と目が合った。
「…………」
「…………にこっ」
「…………っ!?」
憎悪めいた感情が視線に込められているのを直感的に察知し、首を急速旋回させて視界から綾瀬の姿を外す。何故そんな目で僕を見るのか、理由が分からない。分からない……が、理由を知ったら知ったで怖そうなので本人に聞くことも出来ない。
休日に彼女と別れた時は悪い雰囲気ではなかったはずだ。あの時、綾瀬は笑っていた。喜んでいた。あればもし演技で、その実綾瀬の機嫌が悪かったのだったら、その演技力に主演女優賞を贈ってやりたいがそんなはずはないだろう。綾瀬が演技をしているかどうかくらい、見抜くことは容易い。
つまり、今綾瀬が僕に向けてこんな背筋が凍りそうな視線を送るのは別の理由がある。だがその理由とやらに全く心当たりがない。僕がしたことと言えば教室に入ってきたことくらいだ。そんな人間として当たり前の行動に対して綾瀬が何か思うところがあるのなら、それはもうどうしようもない。
「…………ん?」
再び、冷たい視線が向けられているのを感じ取った。綾瀬の方を確認するも彼女は友達と会話している。どうやら今感じ取った視線は綾瀬からのものではないらしい。それでは、一体誰のものなのだろう。周囲を確認して見るも、犯人は分からなかった。
「月曜の朝から何なんだ……」
休み時間、次の授業に向けて教室を移動しようと廊下を歩いているとふと後ろから聞き慣れない声に名前を呼ばれた。
「奥路さん、ちょっといい?」
振り向くとそこにはクラスメイトの……えっと誰だっただろうか。明るい髪を丁寧に編み込んだ、快活そうな少女が僕を呼んだ声の主らしい。新しいクラスになってまだ一週間ということもあり、この少女の名前と性格が把握できていない、そのため何と返答したらいいか少し迷う。
「確か……」
「舞、白月舞よ。こうやって話すのは初めてよね」
「白月さん、ごめん僕まだクラスの半分も名前覚えて無くって……」
「気にしなくていいわよ、私の方も奥路さんの名前今朝まで知らなかったから」
僕が安堵すると、白月さんはそれまでの友好的な表情をスッと引っ込めて途端に険しい表情を作り出す。そして「知る気も無かったけど」と悪態をつくように僕に聞こえるように言い放った。
「え?」
「あんたみたいな冴えないやつ、これっぽっちも興味が無かったわ。でも昨日のことがあったから急遽要注意リストに組み込まれたってわけ。本当、どうしてこんなやつなんかが……」
「あの、白月さん? さっきから何を言ってるんだ?」
「はぁ~……」
白月さんは腰に手を当てて、呆れたという風に露骨に溜息を吐く。何なんだ一体。今朝の綾瀬といい謎の視線といい、週が明けたばかりだというのに不可解なことが連続して起こるなんて。僕が何をしたというのだろうか。
待てよ。白月さんの向けるこの冷ややかな視線、どこかで覚えがある。そうだ、今朝体感したばかりのあの謎の視線に似ていないだろうか。この敵を射貫かんとばかりに研ぎ澄まされた鋭い眼力、まるで名うての狙撃手とでも言わんばかりの迫力だ。
もしかすると――
「今朝僕を見てたのって、白月さんだったのか」
「ふん、抜けた顔してるくせに察しはいいねの。そうよ、あんたが感じていた視線は私。猪口才にも姫乃様とデートをしたあんたを睨んでたのよ!」
「ひ、姫乃……さま!?」
「しらばっくれるつもり? 休日にあんたが姫乃様と駅前でデートをしていたのを、こっちは知ってるんだからね! 学校のアイドル、孤高にして至高のみんなの憧れ姫乃様。それをあんたみたいな地味なやつが抜け駆けしてデートするだなんて……ああぁ~!! 思い出しただけでムカつく~!!」
もしや見られていたのか!? 僕と姫乃が遊びに行っているところを。確かにあそこはうちの生徒の行動範囲内ではあるが、まさかクラスメイトの一人にピンポイントで発見されたとは。別にやましいことをしたわけじゃないのだが、なぜだか犯罪をおかしたような気分になってしまう。
白月さんは僕を壁に押しつけ、右手をドンと突き出してくる。逃げようとも逃げ出せない、追い込まれてしまった。
「いい? これ以上姫乃様に近付くんじゃないわよ。じゃないとあんたのこと……捻っちゃうから」
言いたいことは終わったのだろう、白月さんは壁に突き出していた手を引っ込めて次の授業が開かれる教室への移動を再開する。先程まで感じていた威圧的な態度は既に消えており、そこには普通の明るい雰囲気を纏った少女が立っている。
「警告はしたから」
最後に笑顔で振り返り、白月さんはその場を後にした。
「何なの、マジで……」
気怠げな月曜日は、幼馴染の信者に迫られたことで開幕を告げたのだった。
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