第8話

 カフェから出て、僕たちは駅前に並ぶ店舗を歩いて行く。部活帰りの学生やカップル、休日を返上して仕事をするためにスーツを着ている大人、老人から子供まで色々な人が闊歩している。


 そんな人たちも綾瀬が道を通れば自然と足を止めて振り返る。ここにいる幾千の人間よりも綾瀬は目立つ。彼女からすればただ歩いているだけなのだろう、しかしその立ち振る舞い、身に纏う雰囲気は一般人のものではない。


 大勢の人間に注目されている綾瀬だが本人は気にする素振りは見せない。まるでそれが当然であるかのように、自然と受け入れている。容姿内面ともに人より遙かに優れている綾瀬にとって、他人の関心を受けるのはもはや宿命なのだから。


 こうして横に並んで歩いていると、より一層綾瀬が特別なのだと痛感する。周りの人間も「横にいるお前は何だよ」とでも言いたげな表情でいる。それはそうだろう、こんなぱっとしないやつが完璧な美少女である綾瀬の横にいるのは不釣り合いだ。とは言っても、替わってやる気もないのだけれど。


「最初はここよ」


 やって来たのはごく普通の本屋だった。特別な装いもない、店舗の入り口には雑誌が並び、暇そうなバイトがレジの前で頬を付いている。そんなありふれた店だ。


「本屋って……参考書でも買いに来たのか?」


「いらないわよ参考書なんて。授業をちゃんと聞いて、毎日予習復習をしていれば困ることないもの」


「それだけで学年一位を維持し続けることが出来る人間なんて限られてると思うけど……。じゃあ何が欲しいのさ」


「今週発売された新刊を買いに来たのよ」


 新刊、というと続刊ものの本ということだ。普通は漫画や小説などを思い浮かべるものだが、綾瀬の場合実用書などを買っていそうだ。もしくは僕が読まないような、社会人が通勤の時間つぶしに読むような難しい内容の書かれていそうな雑誌か。


 どちらにしても、僕には関わりのなさそうな物である。僕が読む本といったら専ら漫画ばかりだ。活字の本なんて学校の読書週間でもないと手を出さないし、雑誌も目当ての漫画が気になる時にしか買わない。


 綾瀬の場合、逆に漫画なんて読まないだろう。もしかすると、今まで読んだことさえないのではないか。そんな気さえしてくる。事実、子供の頃彼女の家に何度も遊びに行ったが漫画の類いは置かれていなかった。別に綾瀬家の両親が厳しいとかそういうことではなく、漫画を読まない家庭だったというだけだ。今もそうだろう。あの綾瀬が俗人の好むような娯楽を嗜んでいるとは思えない。


「これこれ! よかった、まだ残ってたわ! 新刊は特典にイラストカードが付いてるから、売り切れてたらどうしようと思ってたの」


「待って、それが綾瀬の欲しかった本なの……?」


「ええそうよ。真ちゃんも名前くらいは聞いたことがあるんじゃ無いかしら。去年アニメもやってて大人気なの、これ」


「いや、それは知ってるけど……。でもそれって……」


 綾瀬が手に取ったのは週刊誌に掲載されている少年漫画だった。荒々しくもどこか儚げなタッチで描かれる、端整な顔立ちの青年が剣を握った絵が表紙を飾っている。うちのクラスだけでも読者が十人を超すほどの認知度を誇る漫画だが、綾瀬もこれを読んでいたのは意外と言わざるを得ない。


 いや、もしかすると評判になっているから目を通しているだけという可能性もある。綾瀬のことだ。後学のために知見を広めようと、この漫画を読んでいるのかもしれない。


「私、この漫画が連載した時から応援してるのよ。最初は人気が出るか不安だったけど、今ではどこの書店でもブースを作られるくらいになったんだから、応援してきた甲斐があったわ」


 なんと古参アピールまでしてきた。これではまるで綾瀬が普段から漫画雑誌を読んでいるかのようではないか。

「もしかして綾瀬って、漫画好き?」


「うん、大好き。毎週雑誌を買って読んでるもの。真ちゃんは漫画って読んでる?」


「まぁ、うん。嗜む程度には……」


「そうなの!? じゃあこの漫画も知ってるわよね! ねぇ、ねぇ!!」


「うっ……いやごめん、読んでない……」


「あら、そうなの……残念だわ……。そうだ、今度私の単行本貸してあげるわ!」


「あ、ああ……。気が向いたら、ね」


 興奮して身を乗り出して話す綾瀬を落ち着かせた後、支払いを済ませた僕らは書店を後にする。まさか綾瀬にこんな趣味があるとは思いもしなかった。いや、漫画を読むこと自体は一般的な趣味の範囲ではあるのだが。



 続いて向かったのも、僕の驚きを隠せない場所だった。一般的なレンタルビデオ店だ。カフェ、書店に続いてまたもや普通の女子高生が行くような、ありふれた場所だ。さっきから僕が抱く綾瀬のイメージと全く一致しない場所ばかりだ。


 もしかして、僕に気を使っているのではないか。そんな考えが一瞬浮かぶ。しかしそれは杞憂であることを、綾瀬の楽しそうな顔見て察する。そもそも今日の目的は普段の綾瀬を僕に見てもらうということだった。それなのに、僕に合わせていたら主旨が台無しではないか。つまり今日行く場所は全て、正真正銘綾瀬が普段通っている場所ということだ。


「このCD欲しかったの。配信版は特典が付かないから、こうして店で買わないといけないのが面倒よね」


「アイドルソングなんて聞くんだ」


 そのCDは女性アイドルのニューシングルで、パッケージに大きく「初回購入特典! メンバーの生写真付き!」と書いてあった。なんというか、こういうのを綾瀬が欲しがるとは……。自惚れているような言い方だが、僕以外の女に興味があったのかとさえ思ってしまった。


 ……今、何故か胸の中にもやっとした気持ちが浮かび上がった。何が気に入らなかったのだろう。考えようとしても、既に胸のもやもやは消え去っていた。



「最後はここに行きましょう」


「ネイルサロン……? これって、僕も入らないとダメかな」


「まぁまぁ、そう言わないで真ちゃんも一緒に入りましょう。大丈夫、そんなに高くないから」


「いや僕ネイルとかしたことないから……。というか、綾瀬ってネイルなんてしてるの?」


「あー酷いわ真ちゃん! 私、結構真ちゃんの手を握ったりしてるのに。気付いてくれてないの?」


「ん、あ……本当だ」


 綾瀬の手を取って確認してみると、確かに彼女の爪は目立たない程度にだがピンクに染まっており、光の反射でキラキラと輝きを変えている。ラメか何かでも含まれているのだろう。間近で見るとその繊細な色合いにはっとさせられるが、遠目から見ていたら恐らくネイルアートに気付かない。


 ネイルは学校で禁止されている訳ではないが、あまり派手にやり過ぎると教師から注意される可能性もある。そのため、綾野は派手すぎるデザインは避けてシンプルな程度に抑えているのだろう。見る人によってはおしゃれだと分かる、そんな見事な塩梅だった。


「本当に、気付いてなかったのね」


「……………………」


 握った手の力が弱くなる。そうか、僕はこんなことにさえ気付けずにいたのか。綾瀬は下がった眉を元の角度に戻し、気にしていないという風体で店に入る。僕は何となく気まずいまま、綾瀬の後ろを歩いて行った。


 思えば今日起こったこと、全てがそうだ。僕は綾瀬のことを全く見ていなかった。カフェ、書店、レンタルビデオ店、そしてネイルサロン。その全てを「綾瀬はこんなことしない」という勝手なイメージを持って見ていた。僕が意外だと思ったことも、綾瀬にとっては全てが普段の彼女なのだ。


 こんなに長く一緒にいたのにそんなことも分からないとは、僕は本当の意味で彼女を見ていなかった。自分本位の極みだ。


「真ちゃん、どんな風にしてもらいたい?」


「そうだな……」


 僕は綾瀬の手を取って、その綺麗な爪を見る。


「じゃあ、綾瀬の好きなデザインにしてよ。綾瀬はどんなものが好きか、今日はそれが目的だろう?」


「そっか。ええ、じゃあ……!」




 サロンを出ると、外は夕日に染まっていた。時間的にもここで最後だろう。綾瀬は満足そうに僕の手を握り、爪をじっと眺めている。彼女のネイルとは打って変わって派手な見た目だが、悪くないと思う。


「これ、学校で怒られないかな」


「大丈夫よ。真ちゃんかっこいいもの」


「それなら、まあいいか」


「うん、とってもいいわ」


 僕のネイルは黒を基調にした下地に白で模様が入れられたデザインにされた。今までこんなことをしたことがないから、まるで自分の爪じゃないような感覚があるが、その内慣れるだろう。


 それにしても、今日は不思議な日だった。十年以上の付き合いがある幼馴染の知らない面をたくさん知った。しかも、隠していたことを知ったのではない。ありのままの彼女を知っただけだ。普通に付き合っていればもっと早く知ることが出来たであろう事を、今更知ったのだ。


「今日は付き合ってもらってごめんね? つまらなかったかも知れないけれど、これが普段の私よ。真ちゃんは意外そうな顔をしていたけれど、私だって普通の女の子なのよ。チェーン店でお昼ご飯も食べるし、漫画だって読む。流行のアイドルをチェックするし、人並みにオシャレもするわ」


「そうだね。僕はいつからか君のことを『優等生』ってイメージで勝手に固定化していた。小さい頃は、あんなに一緒に遊んでいたのに」


「ええ。ちょっとでも私のことを見てくれたのなら、今日の目標は達成できたわ」


 ありがとうね、と言葉を残して綾瀬は駅に向かっていく。彼女とは降りる駅が同じなのだが、彼女の口ぶりから現地解散しようということなのだろう。ここでお開きというわけだ。


 綾瀬の姿が小さくなっていく。次の角を曲がれば綾瀬は消えてしまう。気付けば僕は走り出していた。綾瀬に追いつき、彼女の手を取って告げる。


「次は……! 次は、僕の番だから」


「…………うん」


「つまんないかもしれないけど、でも、それが普段の僕だから」


「…………うん」


「じゃ、じゃあ……また」


 僕は来た道を戻っていく。帰るなら綾瀬と同じ方向へと歩かねばならないのだが、今行けば駅で綾瀬と鉢合わせになってしまう。とてもじゃないが、そんなことは耐えられない。恥ずかしくて死んでしまう。彼女と鉢合わせないように電車を数本遅らせるとしよう。



 こうして、僕と幼馴染の初デートは無事に終わったのだった。

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