第7話
僕は今、駅前の目立つオブジェクトの前にいる。ここに来たのは今朝、綾瀬からデートの誘いを受けたからだ。とは言っても、僕も綾瀬も女子同士。言葉通りのデートではなく、あくまで遊びに行こうという程度の意味合いだと思う。
だが――
「何でちょっと期待してるんだ僕は……」
自分のおろかしさ、考えの浅さに今更になって頭を抱える。断ることだって出来たはずだ。なのにどうして、律儀に待ち合わせの三〇分前に到着しているのだ。
綾瀬の電話が切れた後、浮き足だって洋服棚の中身を全部取り出して出かける服をチョイスした。普段遊ぶときに着るのは動きやすいラフな格好なのだけれど、今着ているのはカジュアルで清潔感のある服。着慣れていないせいか、どこか窮屈に感じてしまう。
「これじゃあ、完全に浮かれてるじゃないか」
駅前を行き交う人混みの中で、僕は一人溜息をつき空を見上げる。春真っ只中の空は昨日とは打って変わって、まるで僕の心を写し出したかのような灰色の曇り空だった。晴れか雨かはっきりしていない中途半端な天候。いつ雨が降り出すのかもわからない不安定な状態だ。
綾瀬との距離を縮めたいのか、それとも遠ざけたいのか。僕はどっちなのだろう。全てのものが黒か白かはっきりしていたらいいのに。それだったら、僕がこんなに思い悩むこともなかっただろう。
時計を見ると約束の時間まであとわずかとなっていた。綾瀬の姿はまだ見えない。だがあいつのことだ、約束の時間に遅れるなどということはないだろう。あいつが遅刻をしたことなど一度も無いし、遅刻する姿も想像出来ない。その内ひょっりと現れるはずだ。
「だーれだ♪」
急に目の前が真っ暗になった。誰かに手で目隠しをされたようだ。状況からして綾瀬しかいない。僕は目を覆っている手をどかして振り返る。
「何やってるんだよ綾瀬」
「ごめん、待った?」
「別に。今来たとこだよ」
僕がそう言うと、何がおかしいのか綾瀬はくすくすと嬉しそうに微笑んだ。今の会話のどこに笑うポイントがあったのだろうか。普段バラエティ番組を見ないからお笑いに詳しくないのだが、ひょっとして世間では笑える反応だったのか?
「一度言ってみたかったの、これ。まるで恋人同士みたいでしょう?」
「んっ……!」
不覚にも、可愛いことを言うじゃないか、とか思ってしまった。僕は誤魔化すように咳払いをして、ぶっきらぼうに返す。
「友達ですらないけどね」
「まあまあ。そう言わずに付き合って」
「だから付き合わないって。僕たち女同士だぞ」
「あら? 今の『付き合って』は今日のお出かけのことだけど?」
「っぅ……!! ま、まぁ今日は暇だったからしょうがない。出かけるくらいなら付いてってあげるさ」
揚げ足を取られたことで、僕は自分の顔が急速に熱を帯びていくのを感じる。ポケットに手を突っ込み「別にどうでもいいけど?」という態度で綾瀬に応じる。
綾瀬は学校では決して見せない、どこか意地の悪そうな顔をして追求してくる。
「ねぇ、何でそんな勘違いしたの? もしかして告白されたって思ったのかしら。いくら私でも振られたばかりでそんなことするわけないじゃない。真ちゃん、もしかして私のこと意識してる?」
「う、うるさいなぁ! それより、何しにこんなとこに呼んだのさ」
「話題を逸らした、可愛い。でもこれ以上したらまた嫌われそうだし、やめにするわ」
非常に満足したといった顔で綾瀬は笑う。流石に長年の付き合いだけあって、僕がキレるかどうかの線引きは見極めているようだ。このままからかわれていたら、僕は羞恥心に耐えられずこの場を後にしていただろう。
「どこに行くかはひとまず置いておくとして……とりあえずお昼にしない?」
「ん……確かに腹は減ってるかな」
「でしょう? 時間的にもちょうどいいし、あそこの店に入りましょうよ」
綾瀬は駅の中にあるカフェを指さした。それはどこにでもある、全国にチェーン展開してるカフェだった。カフェというと大人が通うおしゃれな店というイメージがあるが、その店は学生の僕らでも気軽に入ることの出来る店だ。
拒否する理由もないので了承して、僕らはその店に入る。窓際のテーブル席に座り、僕はサンドイッチ、綾瀬はエビカツサンドを注文した。しばらくすると料理が運ばれてきて、僕らはそれを口にした。サンドイッチ二使われているパンはとても柔らかくもちもちとした食感で、パンだけでも十分美味しい。綾瀬は大の男でも満腹になりそうなエビカツサンドを小さな口で一生懸命に食べていた。
「私ここのエビカツサンド好きなの。毎回これを頼んじゃうくらいよ」
意外だ、と僕は思った。綾瀬はもっとオシャレなカフェで休日を過ごすイメージがあった。こんなありふれたチェーン店で昼食をとるような姿は想像もつかなかったのだ。
「驚いた、綾瀬もこんな店に来るんだ」
「こんな店って失礼な言い方だわ。この店は全国に八〇〇店舗以上ある、大変素晴らしいカフェなのよ。値段はちょっと高いけど、その分注文した客も困惑するくらいボリューミーなのが魅力的ね」
「ああうん、綾瀬がこの店が大好きってことはよく分かった……」
いくら有名な店とはいえ、普通店舗数とか覚えておくだろうか……?
「ごちそうさま。とっても美味しかったわ」
「嘘だろ……僕より早く完食してる……」
「焦らないで、ゆっくり食べていいからね。その間に今日デートに誘った理由を聞いてもらってもいい?」
「ん、うん」
焦らなくていいと言われても、待たせるのも申し訳ないなと思う。サンドイッチを口に運ぶスピードを少し上げつつ、綾瀬の会話を聞くことにしよう。
「私たち、中学になってから遊ばなくなったでしょう。だからお互いに相手の知らないところも増えたと思うの。だから今日は真ちゃんの知らない、学校の外……普段通りの私を知ってもらいたいの」
そういうことか。だから気取ったレストランやおしゃれなカフェではなく、この店で普通の昼食を食べたというわけだ。これが本当にデートだったら綾瀬も違う店を選んだのだろうけれど、普段の綾瀬のを知ってもらうのならこういう店も間違ってはいない。
実際、僕は綾瀬がチェーン店でエビカツサンドを頬張っている姿を目にして意外に思ったし、その目論みは達成しているだろう。ということは、この後の行動も普段綾瀬が行くような場所を訪れるということだ。学校では上品に振る舞い完璧な優等生として慕われている彼女がどのようなところで遊んでいるのだろう。
小学生の頃は互いの家で遊んだり、公園に行ったりしていた。小さい頃は行動範囲も限られていて、電車で他の街まで遊びに行くようなことはなかった。だから、成長した綾瀬は普段どんなことをするのか。それは少し、興味があった。
「この後どこに行くの?」
「ふふ、それは見てのお楽しみ」
気付けばサンドイッチは残り一つになっていた。僕は最後の一つを頬張り、水と共に喉に流すのだった。
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