後日談①

「オレはスティーグだ。こっちがお前達の母親になる、ケイティ。これからオレ達は家族となる。仲良く、やろう」


 スティーグの言葉に、目の前の少年少女は微妙な顔をしていた。急に連れて来られては、こんな反応をしてしまうのも無理は無いだろう。


「ケイティ、男がアウル、女がカロリナだ。良くしてやってくれ」

「アウルとカロリナね! ケイティよ、これからよろしくね!」


 努めて明るく言ってみたが、あまり効果はなかった様だ。アウルは十歳、カロリナは七歳の兄妹だと聞いている。二人はケイティを警戒して、スティーグの後ろに隠れてしまった。

 ケイティがスティーグと結婚して三年。

 遅くからの結婚だったという事もあり、子供は出来なかった。ケイティとスティーグは四十一歳となり、養子を取ろうかと悩んでいたところである。

 アウルとカロリナは、ミハエル騎士団で騎士として活躍するスティーグが救った子供達だった。

 ある家で奴隷として働いている情報を聞きつけ、強制捜査に踏み切った時にスティーグが助け出したらしい。両親は子供を奴隷として売りに出した事で逮捕され、留置所送りだ。本来なら孤児院行きのところを、スティーグが引き取った。スティーグが彼らを助け出したお陰か、二人はスティーグに懐いている様子だ。


「部屋は二人一緒の方が良いわよね? ここを使って。何か必要な物があれば、何でも言って頂戴」


 スティーグとケイティの新居は、互いの実家のすぐそばにある。結婚後、ケイティはスティーグの実家のクラインベック家に住むつもりだった。しかしこういう時でないと家を出られないというスティーグの考えに沿って、貴族にしては小さな家だったが一軒家を買ったのだ。

 部屋数は十程しかないが、二人で暮らすだけなら広く感じるくらいである。特に両親と兄二人、その子供達と暮らしていたケイティには寂しい家だったので、人が増える事自体は大歓迎なのだが。


「今日はゆっくり眠ってね。おやすみアウル、カロリナ」


 ケイティがにっこり微笑みかけるも、二人は怯えた顔でおずおずと部屋の中に消えて行った。


 やっていけるかしら。


 心底、不安になる。いきなり母親と言われて戸惑っているのは、子供達だけではない。この兄妹を受け入れるのはケイティも同意したことではある。しかしいきなり十歳と七歳の子の母親となったケイティは戸惑っていた。


 まぁ、スティーグには懐いているみたいだし。

 スティーグを介して少しずつ仲良くなって行けばいいわよね。


 そう考えていた次の日のことだった。

 ケイティが一般教養の教師として働いている士官学校に、若い騎士が飛び込んで来る。そして彼はこう言った。


「スティーグ様の奥方、ケイティ様ですね?! 今すぐこちらにいらして下さい。スティーグ様に出撃命令が下りました!」

「出撃……命令?」


 職員室で次の授業の用意をしていたケイティは、その報告を聞いても今一ピンと来なかった。

 奥の席に座っていたカールが素早く立ち上がり、ケイティの背中を押してくる。


「早く行け、ケイティ!おそらくグゼン国との抗争が激化したんだ。本格的な戦争になる。今会っておかねぇと、しばらく会えねぇぞ!」


 カールの言葉を理解したケイティは、走り出した。何も考えられない状態になりながら、とにかく懸命に。


「スティーグ!! スティーグ!!!」


 街の出口で、スティーグが今まさに出撃しようとしている。スティーグはケイティに気付き、それでも馬から降りようとはせずに言った。


「すまんが、行ってくる! アウルとカロリナを頼んだぞ!!」

「スティーグ!!」


 前に出ようとするのを止めたのは、教え子であるイオスだった。


「ケイティ殿、下がって。危険ですぞ」


 そのイオスも馬にまたがっている。彼もまた出撃するのだろう。


「スティーグ……」

「心配するな!」


 スティーグはそれだけを言い残して馬を走らせた。スティーグはあっという間に姿を消し、トレインチェの街からいなくなる。

 スティーグは行ってしまった。妻と、家族になったばかりの子供達を置いて。


 その後、仕事を終えて家に帰宅すると、既に小学校の授業を終えた子供達が家に戻っている。二人はケイティを見るなり、警戒するように家の端へと移動した。


「スティーグ様は……」

「スティーグはね、今日戦争に行ってしまって、しばらく会えないのよ。我慢してね」


 そう言うと、カロリナが泣き出してしまった。正直、こっちの方が泣きたい。


「お腹空いたでしょう。何が好き? 寒くなってきたし、シチューでも作りましょうか」

「……母さんのシチューがいい……」

「え?」

「本当の母さんのシチューがいい!!」


 アウルがそう叫び、カロリナはさらに大声を上げて泣く。

 どうすればいいというのだろうか。この状況は。


「……どこか、食べに行く?」

「いらない」


 アウルはカロリナの手を引いて、部屋にこもってしまった。

 スティーグさえいれば、この最悪な状況をどうにかしてくれたであろうに。ケイティは溜め息をつかざるを得なかった。


 ケイティと子供達の最悪な関係は続いた。何を言っても子供達は心を開いてくれず、ケイティも踏み込めない。半年経ってもその状況は変わらなかった。事あるごとに子供達は本当のお母さんに会いたいと泣き咽び、頭がどうにかなりそうだ。地獄の様な毎日。スティーグが戦地から帰ってくる気配は、まだない。


 そんなある日、ケイティが家に帰ってくると、珍しく子供達の方からおずおずと近寄ってきた。


「どうしたの? アウル、カロリナ」


 ケイティが首を傾げると、アウルが恐る恐る口を開く。


「あの……ケイティさんに、お願いが……」


 初めて名前を呼ばれた。お母さん、と言えないのは仕方ないだろう。今はそんな事はどうでもいい。アウルから話しかけてくれたのだ。


「なぁに? 何でも言って!!」

「ケイティさん、猫、好き?」

「……猫?」


 少し嫌な予感がした。猫は嫌いではない。が、好きというわけでもない。


「どうして、いきなり猫なの?」

「……拾ってきちゃった」


 うわー、と心の中で絶叫する。正直、猫の世話までする気力も体力も、今は無い。


「……どこにいるの、その猫」

「僕らの部屋」

「見せてくれる?」


 そう言うと、アウルとカロリナは部屋に入って行った。ケイティも続いて中に入ると、そこにはヨチヨチと歩く子猫が愛らしい顔で鳴いていた。


「かわいいでしょ?」


 カロリナが、ケイティにそう聞いた。それも、笑顔で。ケイティは、カロリナの笑顔をその時初めて見た。


「ええ、かわいい……」


 ケイティは子猫を見ずに、カロリナの顔を見て答える。彼女はこんな笑顔が出来る子供だったのだ。ケイティはそれを初めて知った。


「飼っちゃダメ……?」


 今度は一転、今にも泣きそうな表情である。これで断ってしまえば、さらに子供達との関係は悪化してしまうだろう。ケイティは、覚悟を決めた。


「いいわよ。この子猫、うちで飼いましょう」


 わーい、と無邪気に喜ぶ子供達。だがケイティも、無条件で猫を飼うつもりなどない。


「ただし」


 ケイティが大きな声で言うと、子供達の声はピタリと止む。


「これからは、私と一緒に食事をして頂戴。そして、その日あった出来事を何でもいいから話してくれる? それが出来なければ、猫は飼わないわ」


 今までふたりは、部屋でひっそりと食事を取っていたのだ。家族なのだから一緒に食事を取りましょうと言っても、聞いてくれなかった。

 アウルとカロリナはケイティの提案に顔を見合わせ、そして首肯してくれた。ようやく、一歩前進である。


 それからも子供達とのぎくしゃくとした関係は続いていたが、子猫を介して徐々に仲良くなっていった。

 猫はニャーニャと名付けられ、元気に成長している。


「ケイティさん、ちょっとこっちに来て!」

「え? どうしたの?」


 ある日、アウルに右手を、カロリナに左手を引っ張られ、二人の部屋へと連れて来られた。その部屋の状態を見て、ケイティは目を丸める。


「……え?」


 色紙で綺麗に飾り付けられた部屋。テーブルの上には、小さなショートケーキがひとつ。


「お誕生日おめでとう! ケイティさーん!」


 驚きのあまり、言葉が出ない。


「ケイティさん、嬉しい?」

「ケーキもあるんだ、食べてよ!」


 またも手を引っ張られ、たった一つのショートケーキの前に座らされる。ここでようやくケイティは声を発する事が出来た。


「ど、どうしたの?これ……」

「買ってきたんだ」

「どうやって?」

「毎日くれるお小遣いを貯めたのー!」


 ケイティは言葉を詰まらせた。

 お小遣いと言っても、そんなに大きな額は渡していない。一日一つお菓子を変える程度の金額だ。


 それを貯めてたの?

 色紙や、ケーキを買うために……?


 いつも渡していたのは、お菓子用のお金だ。他に必要な物があればいくらでも渡すつもりでいた。お金には困っていないのだ。ケイティ自身、昔は欲しいものがあれば父親にせがんで買ってもらった記憶がある。そういうものだと思っていたケイティは、このサプライズに熱いものが込み上げた。

 この子供達は、自身のお小遣いを削ってまで用意をしてくれたのだ。


「はい、誕生日プレゼント!」


 さらに二人は、それぞれに紙を渡してくれた。そこには男と女が描かれている。


「これは……?」

「ケイティさんと、スティーグ様だよ」

「私も書いたのー!」

「そう……上手ね、ありがとう……」


 それを受け取ると、涙が溢れそうになった。スティーグがここにいたら、何と言っただろうか。早く会いたい。会って、仲良くなれた子供達との姿を見てもらいたい。


「ねぇ、食べてよ、ケーキ!」

「ええ……三人で、一緒に食べましょう」


 ケイティはそのショートケーキを切り分け、三人で一つのケーキを食べた。

 机の下では、ニャーニャが物欲しそうにニャーニャと鳴いていた。


 スティーグが帰って来たのは、戦争に行ってから約一年後の事だ。


「スティーグ様!!」

「スティーグさまぁーーー!!」


 ケイティがその名を呼ぶよりも早く、二人の子供達がスティーグに抱きつく。


「おお、大きくなったな! アウル! カロリナ!」


 スティーグは軽々と二人を抱き上げ、嬉しそうな笑顔を見せている。


「お帰りなさい、スティーグ」

「ただいま、ケイティ。変わりはなかったか?」

「あったわ、いっぱい」


 ケイティはクスリと笑う。その意味が分からぬスティーグに、ケイティは思いっきり飛び付いた。


「おっと」


 スティーグはケイティさえも抱き上げる。右肩にアウル、左肩にカロリナ、ケイティはお姫様抱っこをしてくるくると家の中を舞っていた。


 家族四人が揃い、順調にこの生活が続く……と思っていた、ある日の事だった。

 スティーグの口から、信じられない言葉が発せられたのは。


「アウルとカロリナの母親が、子供を返して欲しいと言っている」


 ケイティの息は止まった。何も言えずに、スティーグの顔を見つめる。スティーグは眉に皺を寄せ、どこか諦めたような寂しい顔をしていた。


「刑を服して、もう出てきている。更生のカリキュラムも経て、更生できるとの判断も下された。刑期中は何度も反省の言葉が聞かれ、子供達に会いたいとしきりに言っていたそうだ」


 ケイティは、ぐっと拳を握りしめた。


「勝手よ!! 子供達を売って奴隷にしておきながら、今更何を……!」

「子供達を売ったのは、夫だった男がギャンブルで作った借金を返すためだったんだ」

「そんなの、関係ないわよ!!」

「大きな声を出すな。子供達が起きる」


 ケイティの拳がぶるぶると震えた。ようやく、ようやく本当の親子になれそうだったのに。


「嫌よ……アウルもカロリナも、私の子供よ。渡さないわ」

「ケイティ……」

「スティーグには私の気持ちなんて分かりっこないでしょう! 私がこの一年、どんな思いであの子達を育てて来たと思ってるの!?」

「ケイティ、こんな事になってすまないと思ってる……だが、あの子達は本当の母親を慕っている。それはお前にも分かるだろう?」

「………嫌よ……嫌よっ!!」


 ケイティは流れる涙を拭く事もせず、スティーグに訴える。しかしスティーグは、非情な言葉を口にするだけだった。


「元の母親の所に帰りたいとあの子達が言えば、オレ達に止める権利は無い。明日……二人にどうしたいか聞いてみよう」


 ケイティはその晩、スティーグの腕に抱かれながらいつまでも泣き続けていた。


 翌朝、スティーグは食事の後に、二人に本当の母親の事を話して聞かせた。すると二人の反応は……。


「お母さんとまた一緒に暮らせるの!?」

「ああ」

「やったー!!」


 カロリナは無邪気に笑い、嬉しそうにピョンと飛び跳ねている。

 涙が出そうだ。やはり、本当の母親には敵わない。


「アウルはどうだ? ここの子として暮らすのも、もちろん良い。元の母親の所に帰るなら、止めはしない。好きな方を選ぶといい」

「僕は……」


 アウルはチラリとケイティの方を見た。その顔は罪悪感を伴っていて、明らかにケイティを気にしてくれている。


「いいんだ、アウル。正直な気持ちを言ってくれ。オレ達の事を気にする必要は無い」


 スティーグの言葉を受けて、アウルは申し訳なさそうに口を開いた。


「僕、お母さんのところへ戻りたい」


 ケイティはギュッと目を瞑った。子供達の前で泣くまいと、必死に。


「分かった。じゃあ、今から行こう」

「やったーー!!」


 カロリナがアウルの手を取り、嬉しそうに飛び跳ねた。アウルも久しぶりに母親に会えるとあって、嬉しそうだ。


「行くぞ、ケイティ。それともお前はここにいるか?」


 ケイティはふるふると首を横に振る。


「一緒に行くわ……これが、最後だもの……」


 ようやく、これからだと思っていた。スティーグも戻って来て、ようやく家族としての絆を深められる……そう思っていたのに。


 ノース地区に並ぶ小さな家の扉を、スティーグはノックした。ドアノッカーはない。それが必要のない程、小さな家だという事だ。


「はい」


 中から声がして、女の人が顔を出した。その瞬間、子供達がその女性に抱きつく。


「お母さん!」

「お母さーーーーん!!」

「アウル! カロリナ!!」


 母親は二人の名を叫んで抱きしめ返した。子供達は笑顔で喜び、母親は涙を流して喜んでいる。


「ごめん……ごめんね、二人共……お母さんを、許して……」

「大丈夫だよ、お母さん。僕達、クラインベックのお家で楽しく暮らしてたから」

「スティーグ様、本当にありがとうございました……」


 そう言いながら、またも泣き崩れる様に子供達を抱きかかえる母親。それにつられるようにカロリナも泣き出し、カロリナを見てアウルも涙を流し始める。


「帰るか、ケイティ」

「ええ……」


 ケイティとスティーグはそっとその場を後にした。子供らに後ろを向けた瞬間から、ケイティの涙は留まることを知らずに流れ落ちる。


「ケイティ……」

「スティーグ……どうして私には子供がいないの……私……自分の子供が欲しい……」


 ほろほろと涙を流しながらスティーグにもたれかかる。スティーグは何も言わずにケイティの肩を抱く。

 悲しかった。自分より、奴隷として売った母親の方が良いと言われて。

 羨ましかった。子供達に無条件で愛されている、あの母親が。


「お母さーーーーん!!」


 後ろから、アウルの声がした。大きな大きな声。ここまで届く程の、大きな。それ程喜びが大きかったのだろう。


「お母さーーん!! ケイティお母さーーーーん!!」


 突如として自身の名が呼ばれ、ケイティは目を丸めながら振り返る。


「アウ……ル?」

「ケイティお母さーーーーん!! また遊びに行くからねーーーー!! 待っててーー!」


 ケイティの目から、更に涙が溢れ出た。滝の様な涙に姿を変え、次から次へと地面と言う名の滝壺へと叩きつける。


「ケイティお母さーーん! 待っててねー!」


 カロリナの声も聞こえた。

 もう終わりだと思った。本当の母親の元に帰っては、自分など忘れられてしまうと。

 しかしそれは違った。アウルとカロリナは、ほんの少しでもケイティを母親として慕ってくれていたのだ。


「いつでも来なさい!! いつでも、待ってるから!!」


 大きく手を振ってくれる二人に、ケイティも両手で手を振って応えた。涙は、いつまでも流れ続けていた。


 家に帰ると、「寂しくなったな」とスティーグが呟く。そこに、一匹の猫が二階から降りてきた。


「ニャーニャがいるわ……この子が、私達の子供ね」

「そうだな」


 ケイティとスティーグは一匹の猫を囲んで、優しく撫でた。

 壁に飾られた二枚のケイティとスティーグの絵。それを見て、ケイティはそっと目を細めて微笑んでいた。



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