第19話 つまり
「可愛い赤ちゃんだったわね。アハトくんとセリンちゃん」
一軒の大きな家を出て、ケイティは言った。スティーグは一言、「そうだな」と言うに留まる。
出産祝いを持っていくと、そこにはケイティが長年憧れていた光景があった。
スティーグ曰く、相思相愛の二人の間に生まれた、可愛い男女の双子の赤ちゃん。
幸せな家族図。
「ごめんね。赤ちゃん、出来なくて」
「焦るな。まだ結婚して一年も経っていないだろうが」
しかし、先日ケイティは三十九歳になってしまった。妊娠率は決して高くないだろう。
スティーグは一人っ子だ。クラインベック家の血筋が途絶えてしまうかもしれない。
それでなくともスティーグは、好きで自分と結婚した訳ではないのだ。ケイティを自殺させまいとした、スティーグの優しさであり、彼の苦肉の策だ。
スティーグならば、もっと若い、ちゃんとした貴族を娶れたはずだ。それなのに。
「……ごめんね」
「もう謝るな」
やはり、安易に結婚などすべきでは無い。後悔する事ばかりだ。
空を仰いで溜め息を吐くと、スティーグもまた同じように嘆息していた。
「ごめん……スティーグ」
「何故そう何度も謝るんだ? そんなにオレとの結婚生活が不満か?」
「違うのよ、申し訳なくって」
「言っておくが、オレは存外幸せだぞ」
「今、溜め息をついてたじゃないの」
「お前が何度も謝らなきゃ、オレは幸せなんだ」
スティーグは少し怒ったように、鼻息をフンっと飛ばす。その顔はどう見ても幸せそうには見えない。
「だが、オレだけ幸せでも意味がない。オレはお前を幸せにしてやると約束したんだからな」
「十分幸せよ。スティーグと結婚出来て、仕事もしやすくなったし」
でも、とケイティは続ける。
「結婚三年を目安に、子供が出来なければ離婚した方がいいのかも……」
目を伏せて言うと、スティーグがポンとケイティ頭に手を置いた。
「子供が出来なきゃ養子を取っても構わんのだ。離婚などと、二度と言葉に出してくれるな」
「ごめ……」
「謝るな」
ガシガシと乱暴にケイティの頭を撫でつける。グシャグシャにされた髪を手櫛で直しながらスティーグを見上げると、彼は珍しく少し赤面していた。
「スティーグ?」
「ギル兄の事を言えんなぁ」
「ギル兄様が、どうかしたの?」
「あれはいつだったか……ギル兄に惚気られた事がある」
「のろけ?」
「ああ」
スティーグの言わんとする事が分からずに、ケイティは首を傾げながら聞く。
「ギル兄が今の嫁を貰う前に、別の女と別れさせられた事は話したと思うが……わずか結婚数年で、今の嫁さんにゾッコンになっていてなぁ」
「それが、何?」
「いや、だからまぁ、そういう事だ」
「……つまり?」
「つまりだなぁ……」
今度はスティーグは自身の頭をグシャグシャと掻いた。目は瞑られ、口はいの字になり、顔は赤面したままだ。
「その……お前が、可愛く見えて仕方ないんだ」
「……可愛く?」
「ああ」
首肯するとスティーグは目を開けて、ケイティを見下ろした。そんな彼の眉は下がり、困ったように笑っている。
「つまり、どういう事?」
「皆まで言わすな」
「聞きたいのよ! 聞かせて?」
「つまりなんだ、その、オレはお前の事が……ごにょごにょ」
「何? よく聞こえない」
スティーグはごにょごにょ言うのは止めて、ひとつ息を吐いた。
「お前はあれから、オレの事を好きと言わなくなったな」
「話を逸らさないでよ」
「聞きたいんだ。何でだ? 心の中にカミルがいるか?」
生まれてからずっとスティーグに好きと伝えてきたケイティだったが、この一年はその言葉を発していなかった。
同情して結婚してくれたスティーグの負担になりたくない。そんな思いからだ。
「違うわ。言葉にするのは止めたの。聞き飽きたでしょうし」
「結婚した途端に冷めたとか……そういうのではないんだな?」
「まさか」
「じゃあ、これまで通り言ってくれんか」
今度は口を尖らせて前を見据えている。今日のスティーグは百面相だ。
「好きよ、スティーグ」
「オレもだ」
初めて聞く同意の言葉。スティーグは優しい瞳をこちらに向け、そして微笑んでいた。
「……本当に?」
「ああ、本当だ」
「全然、態度変わらなかったじゃない」
「三十九年も一緒にいるんだ。結婚した時から長年連れ添った夫婦のようになるのは、仕方ないだろう」
「信じられない」
「オレも信じられん。まさか、お前をあい……」
パクリと言葉を飲み込み、口を噤むスティーグ。そんな彼を、ケイティは覗き込んで見上げた。
「何?」
「いや、そのだなぁ」
「言って! 男らしくないわよ!」
むぐぐ、と口元を歪ませた後、スティーグは覚悟を決めたように声にする。
「お前を愛する日が来るとは思わなかった!」
「……スティーグ」
スティーグの顔が一段と赤く染まっている。図体はでかいが、まるで女の子のようだ。
そして盛大に路上で告白させてしまった事に、ケイティも頬を赤く染める。
「おい、何とか言ってくれ。これでも恥ずかしいんだ」
「ふふ、見れば分かるわよ」
ケイティは可笑しくて嬉しくて、声を上げて笑った。
スティーグがいつの間にか自分の事を愛してくれていた。これ以上の喜びがあるだろうか。
「あは、あははははっ!!」
「よせ、はしたない」
「うふふふっ! ありがとう、スティーグ! 私も大好きよ!」
そう言ってケイティはスティーグに抱きついた。スティーグはそんなケイティを、軽々と抱き上げてくれる。
「幸せか?」
「とっても!」
ケイティの言葉を聞いて、スティーグは満足そうに頷く。
そしてその喜びを表現するかのように、彼はケイティを高く、高く抱き上げていた。
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